正しく正念を発することは簡単ではない
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文/中国の湖北省の大法弟子

 【明慧日本2016年5月27日】以前は三つの事の中で、一番簡単なのは発正念だと思っていました。自分への要求が高まるにつれて、実は簡単なことではないと気づきました。簡単だと思ったのは、自分に厳しく要求していなかったための勘違いでした。

 例えば、正念を発する時、頭はいつも妄想に妨害されていました。抑えようとしても抑えきれず、とても悩んでいました。そして、今年の2月から、ようやくこれらの妄想を排除しようと決めました。

 師父は「それはあなたが後天で形成した観念と業力です。ですから、あなたはそれを第三者として見れば良いのです。考えてもよい、静かにならない考えを見てみるとあなたは思えば良いのです。その中から出てきて、本当にわきまえることができれば、それらのものと一線を画したことになります。これによって、あなたは本当の自分を見つけたのです。これも修煉です。このようにすると、すぐに消滅することができます。本当にそれが自分ではないとわきまえることができれば、観念と業力が恐れてしまい、もうすぐ消滅されてしまうのです」[1]と説かれました。

 そして、発正念の時、妄想が現れたら、師父が説かれたように直ちにそれは自分ではないとわきまえると、妄想は本当に少なくなりました。

 しかし、今日経文『正念』を学んで、師父の要求にはまだ遠いと感じました。1つ目はずっと4つの時間帯の発正念が保証できていませんでした。私は個人経営の会社で働いています。お昼の12時と午後の6時はちょうど会社の給食の時間ですので、10数年来、この2つの時間帯は発正念ができていませんでした。今年の4月、同修に提案され、携帯にアラームを設定し、座禅をせずに、手も立てずやってみました。予想外に正念がとても強かったのです。本当に明慧編集部の言う通りに、いかなる環境でも発正念でき、座禅しなくても、目を閉じても閉じなくても、手を立てても立たなくてもできるのです。

 2つ目は、妄想は少なくなりましたが、なくなっていません。それを徹底的に取り除くには意志を固くして続ける必要があります。またあれやこれやの妄想はなくなったのですが、その代わりに仕事の事や法を実証するプロジェクトの事や、修煉上のあれこれが現れてくるようになりました。始めは気にせず、従っていましたが、数日後、いくらよい事でも現れてくるべきではないと認識しました。それでようやく考えないようになりました。

 3つ目は、師父は「宇宙の全ての邪悪を粉砕することができるという唯我独尊の勢いがなければなりません」[2]と要求されましたが、私はいまだにできていません。「この『滅』は宇宙天体の大きさと同じく強大になり」[2]にも達していません。よく正念を発することは本当に簡単ではないと思いました。

 でも、今年の2月から発正念を重視して、大きく進歩しています。自分への要求を高めつづければ、必ず師父の要求に近づいていけると信じています。

 もう一つの感想があります。つまり正念をよく発するには、よく法を学ぶ必要があると思います。それは基本であり、保障でもあります。法をよく学んで、自分の境地と次元が高まったからこそ、妨害を防ぐことができます。単なる発正念の要領を把握しても、それは形式に過ぎず、師父が説かれた「精力を集中して、頭を絶対にはっきりさせ、理性的で、念力が集中しており、強大なものでなければなりません」[2]のようにはできません。しかし、よく正念を発するには、これは最も肝心なことなのです。

 自分のわずかな体験ですが、ご参考まで。

 注:
 [1]李洪志師父の経文:『北米第一回法会での説法』
 [2]李洪志師父の経文:『精進要旨三』「正念」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/5/21/328998.html)
 
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