明慧法会|大法弟子の二つの歌しか歌えない
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 文/モンゴルの大法弟子

 【明慧日本2016年6月17日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は1999年「7.20」以前に修煉を始めた大法弟子で、明慧ネット第12回大陸大法弟子ネット法会の交流の場をお借りして、私の体験を師父にご報告するとともに、同修の皆さんと交流したいと思います。

 ここでは、刑務所の劣悪な環境の中で、あらゆる機会を利用して法を実証し、世の人々を救い済度した体験をお話しします。

 2012年、真相を伝えた、ということで国保大隊の警察官に不当に連行され、さらに懲役3年の刑を言い渡されました。刑務所に着くと、そこは法輪功修煉者が拘禁されている「攻堅組」でした。「攻堅組」とはもっぱら暴力を持って大法弟子に「転向」を強いる場所で、そこにいる人間は残酷無情で、さまざまな拷問で大法弟子に転向を迫り、まさに地獄のありさまでした。「攻堅組」に入れられた後、毎日大法を中傷するテレビと映像を無理やり見せられ、「転向」書を書くようにと迫られ、書かないと殴られ、ある同修は殴られてベッドから起き上がれなくなり、ある同修は殴られて失禁し、またある同修は殴られて半身不随になってしまいました。私も転向しなかったのでひどく殴られ、警官隊長が「やせ我慢をしているな」と言い、受刑者に私を連れて行かせ、続けて殴らせたので、私は大声で「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と叫びました。隊長がやって来て、「どうして叫ぶのか?」と聞くので、「これが私の信仰だから叫ぶのです」と答えました。

 隊長はあるアイデアを思いつき、私を監区へ送り、毎日16~17時間肉体労働をさせ、収容されている棟に戻ってからは、続けて洗脳しました。この脅迫的な肉体労働と休みない洗脳は、普通の人間なら2日で倒れてしまい、鍛えた者でも耐えきれないほどの酷いものでした。しかし、私には師父の加持があり、心の中には大法があったので、苦しいとは思わず、それどころか、日を追うごとにどうって事はなく、大変ではなくなりました。それだけではなく、時間さえあれば皆に大法の真相を伝え、三退を勧め、大法弟子の歌を歌いました。すると、ある人は大法弟子が作った歌を聞いて泣き出し、ある人は拍手を送り、ある人は「この歌は本当に素晴らしい、聞いていると気持ちが楽になる」と言いました。私は歌声で衆生の心の中にある善を呼び起こしました。

 私は『法輪大法は素晴らしい』と『君のために』の二つの大法の歌しか知らず、それしか歌えませんでした。しかし、この二つの歌が刑務所内の人を救うのにこんなにも大きな作用を働くとは夢にも思っておらず、みんな時間があると私を囲んで「おばさん、歌ってください」「おばさん、もう一度歌ってください」と言いました。私はプロの歌手ではないので、音程も少し狂っていましたが、それでも聞く人はその歌詞と曲調を好み、すばらしいと感じ、聞くと心がすっきりとするのでした。大法の内涵と歌が持つ正のエネルギーが刑務所内の人の心を動かし、人の元神の一面を明白にさせたことで、曲を聞いた人の気持ちを楽にしたのです。私は何回も何回も『法輪大法は素晴らしい』と『君のために』を歌いました。歌い終わると、刑務所内の人たちに大法の真相を伝え、三退させ、「法輪大法は正法で 佛光はあまねく照らす」という歌詞を覚えさせました。私が歌っている時に、たくさんの人が泣き出すことが何回もありました。ある女の子は麻薬犯で、私の歌を聞くといつも悲しそうに泣いていました。女の子は「おばさんは大法の本を持っているのですか? 私にも1冊ください」と言いました。私は「ここを出たら、法輪功を学んでいる人を探しなさい、そうすればすべてが解決します」と教えました。

 私と接触した人はほとんど私に感心し「70歳過ぎてこんなに高齢なのに、こんなにも楽観的だなんて、本当に感心します」と言いました。私は「大法弟子はどこにいても、未来と天地を作り出すことができ、なぜなら心には法があり、師父がいらっしゃるので、師父のことを思い出せば、すぐに苦しくなくなるからだ」と思いました。

 ある時、刑務所で講演会が開かれ、張教授が招かれて講演したのですが、教授の講演はとても力が入っていたので、私は聴講席から正念を発しました。すると、張教授は自分をしっかりアピールしようと考え、皆に向かって「何か問題があってここで質問したい人はいますか? 例えば、法輪功を学んで何を得られるのでしょうか?」と問いかけました。私はすぐに立ち上がり「説明していただきたい問題があります」と言うと、張教授は「どうぞ」と言うので、私は「ある日の夜9時過ぎ、地元の警察官が私を刑務所に送りこんだ時、はっきりと見た二つの法輪は、フロントガラスの前方で回っており、このように5回まわって、そして次はこのように5回まわりました」と言いました。私は話しながら、法輪がどのように回転していたかを手を使って説明しました。「その法輪は色とりどりに変化し、とてもきれいでした。さらに、以前、『轉法輪』という本を読んだ時、ある時私が読んでいると、最初に見えていたのは字でしたが、実は一文字一文字がすべて佛さまで、みな黄色い袈裟を着ておられ、一列に並んでいました。このことについてご説明をお願いします」と質問しました。

 すると、さっきまでよどみない弁舌をふるっていた張教授は、電池が切れてしまったように口は止まり、動かなくなり、会場全体のまなざしが張教授の顔に注がれ、教授は非常に困ったような表情になりました。そしてしばらくすると、小さな声で「この件につきましては、とりあえず置いておきまして、また今度説明しましょう」と言いました。

 その後、張教授は私に「あなたの言ってることは本当だと思いますので、もうあなたたちを『転向』させようとは思いません」と言いました。張教授の大法に対する態度が変わりましたが、教授がもっともらしい顔をして嘘を言っているようには思えませんでした。それ以後、張教授は大法を中傷しなくなりました。

 私が歌う大法弟子の歌と、私の楽観的な気持ちは周囲の人に大きな影響を与え、私に積極的に関心を持つ人や、私を手伝ってくれる人もおり、組み立て作業や掃除やその他の仕事の時間は、すべて大法弟子の歌を歌う絶好の機会となり、毎回歌うたびに、みんな静かに聞き入り、毎回必ず泣き出す人がいました。機会があるごとに歌っているうちに、何人かの人たちは歌をマスターし、いつも口ずさんでいました。「尊い中国人へ、私の心の声をお聞きください、法輪大法は素晴らしい、法輪大法は素晴らしい」「法輪大法は正法で 佛光はあまねく照らす」と口ずさみ、歌いました。

 ある時、監区長が訓戒を垂れた時、私は監区長に大法の真相を伝えました。監区長は「ずいぶん大胆ですね、この私に大法の真相を伝えようとするとは」と言いながら、録音装置のスイッチを押して録音を開始し、私を処罰するための証拠を残そうと考えました。しかしそれでも私は気にせずに「これぐらいのことで私を脅かすことなどできない」と思いました。そして、何事もなかったかのように真相を伝え「現在、この刑務所内では皆が三退しており、あなたもいざという時のために逃げ道を用意しておかなければならず、そうでなければ、天が中国共産党を滅ぼす時、副葬品にされてしまいます。神は人間の心を見ていますので、別名を使って三退しても大丈夫です」と言うと、監区長は録音を止め、まなざしから凶悪さが消えました。そして私は「法輪功は邪法ではなく、法輪功は正法ですので、人間を善に向かわせますが、法輪功のどこが間違っているのでしょうか? 私は大法を学んでいますので、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さず、他人が私につらく当たっても、私は他人に良くし、このことはあなたにだってわかるでしょう、監区長、私の言っていることのどこに間違いがありますか?」と尋ねました。すると監区長の口調は柔らかくなり「それは私にもわかります、これからは真相を伝えても誰かがあなたを咎めることはもうありません」と言いました。監区長の善心が出て来た事を見て取り、本人も悩んでいたことがわかり、共にこのような会話ができたことは素晴らしいことでした。

 3年余りの間、刑務所の受刑者は、次から次へと入って来ては、次から次へと出て行きましたが、新顔に会うたびに大法の真相を伝えて三退させ、大法弟子の歌を聞かせました。救われたいと渇望している衆生の顔を見た時や、大法弟子の歌を歌っている時に満面に涙を流している衆生の顔を見た時、自分の責任と使命を強く感じました。

 私が刑務所を出て行く日、多くの人が私を取り囲み、私に心の内を話し、新しく来てまだよく知らない人でさえ急いでやって来て「私も三退させてください、実名を使います」と言いました。ある人は「忘れないでください、私はxxx(名前)です」と言いました。私は一人一人の名前を心に刻み、というのは刑務所を出る時は検査が非常に厳しく、紙1枚でさえ持ち出すことができなかったので、私は心にしっかりと刻みとめることしかできません。

 この3年余りの間に真相を聞いてくれた衆生の顔を心にとどめ、90人余りの三退名簿を心の中で書き上げ、刑務所の人たちの心を震撼させた2曲の大法弟子の歌をここに残しました。刑務所の門を出るとうれしくなり、歩きながら「法輪大法は正法で 佛光はあまねく照らす・・・」と高らかに歌いました。

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/4/318477.html)
 
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