私たち大法弟子は、真に「神」になろう!
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文/中国の大法弟子  蓝馨

 【明慧日本2016年6月20日】最近、私が知っている他の地域の同修が、法輪功への迫害の真相を伝えたため、正当な理由もなく警官に強制連行されました。ある人は病気になり、病院に送られ、ある人は情欲の苦痛に陥っています。彼らは長い時間をかけて厳しい試練を乗り越えて、今まで歩いてきた修煉者です。では、どうして大法がいつもそばにあり、最後の総仕上げの段階で、これらの現れるべきではない問題が現れてきたのでしょうか。

 この問題について深く考える際、師父の言葉が頭の中に浮かんできました。「魔難がやってくるとき、本性の一面から認識することができず、完全に人間の一面から理解しているため、魔はこれを利用して尽きることのない妨害と破壊を行ない、学習者は長期にわたり魔難に陥っています。本当のところ、これは人間の一面の法に対する認識不足から起こったことで、人為的に皆さんの神の一面を抑制し、つまり皆さんが修めてできあがったその部分を抑制し、法を正すのを阻んでいるのです。修めてまだできあがっていない一面が、どうして主思想を抑制し、すでに法を得た一面を抑制することができるものでしょうか? 人為的に魔を助長し、それが法の隙につけ入っているのです。弟子として、魔難がやってくるときに、本当に平然として動ぜず、または異なる次元のあなたに対する異なった要求に符合するよう心を放下することができれば、充分に関を乗り越えます。それでも魔難が尽きることなく長引くのであれば、もし、心性または行動にその他の問題がないのであれば、きっと邪悪な魔が皆さんの放任している隙につけ入っているに違いありません」[1]

 その時、私は師父が言及された「皆さんの神の一面」「皆さんが修めてできあがったその部分」の内包が分かるようになりました。その部分は宇宙大法が、私たちにお与えになった要求と境界に完全に合致しています。異なる生命の境界と生命の特徴は様々ですが、それでも宇宙大法で覆われている異なる境界です。特徴から言えば、今の人類の言語で「無私無我」と「彼のため」を体現できます。私達が具体的に法を実践する時、もし、あることをする時、完全に「無私無我」と「彼のため」の出発点に基づいてすれば、そんなにたくさんの現れるべきではない支障が現れないはずだと思います。

 この数年間、多くの同修は「わずかな考え違いで、結果が全く違ってくる」の各種の実例について言及しています。ある同修の体は病気になる業の状態が現れ、彼(または彼女)はしっかり法を信じ師父を信じる以外に、このように考えるべきです。「私の体は法を実証するために用いるのであり、悪いものを迫害させるものではありません」。本当に純粋にこのように考えた時、病苦になる業の仮相はすぐに消えていきます。ある同修は真相を伝える時、完全に哀れみの可哀相な衆生を慈(いつく)しみからで、自分の損得、あるいはどっやって自分の威徳を立てるのか全然考えません。このように考えていれば、何かの支障があっても無事になれます。ある二人共に修煉者の同修は、夫婦間の情欲がとても重い状況で、自分を浄化すると同時に、悪いものを相手の情欲をこれ以上強めさせない、この同修を破壊し、壊滅させないと考えました。そうすれば相手の情欲も少なくなり、夫婦共にこの方面で調和が取れました。

 これらの例を通じて、私は師父が何度も言及された「誓約を果たす」の内包も分かるようになりました。神であれば、生命の特徴とレベルの違いにかかわらず、だれでも「言行一致」にしなければいけないのです。そうすれば、異なる境界の神になれます。そうでなければ、神になる資格がなくなり、さらに、結果は想像に堪えないものがあります。

 では、私達は問題にあった時、徹底的にすべての「昔の私」、さまざまな「偽の私」と「利己」の制限から出ていくべきではないのでしょうか。自分の過去の執着をなくし、本当に大法の要求に従い、師父の言われる通り「魔難がやってくる時に、本当に平然として動ぜず、または異なる次元のあなたに対する異なった要求に符合するよう心を放下することができれば、充分に関を乗り越えます」。すべての問題を考慮する時、自分のためではなく、他人のための状態でやり、徹底的に「私」のための考え方をなくすと、私達の神の一面が本当に神になり、すべての支障を排除し、もっと良い状態で人々を救えれば、もっともっと早く回帰できます。

 本当に新しい宇宙の法に同化してこそ、私達は個体として存在できます。様々な「自己」をなくさなければ、新しい宇宙大法の異なる階層の標準に達っすることが出来ず、もちろん新しい宇宙にも入れず、そこで生きられません。

 簡単に言えば、私達は法を実証する時、「私」は何を得られるのか、また、「私」の将来と過去はどうなるのかを全く考えず、師父の要求に従います。このようにすれば、最大限度に私達の「神」の一面を発揮でき、もっとよく私達自身が果たすべき歴史的使命を完成でき、自然と私達が果たすべき神聖な誓約を果たせると私は感じました。

 この文章を書き終わってから、元々ちょっと混乱していた頭が、すっきりとしました。多くの事情の認識も明晰になりました。この場をお借りして、師父に深く感謝いたします。

 私個人の悟りですが、同修の皆さんとここで交流出来たことに、感謝します。

 注:
 [1]李洪志先生の著作『精進要旨』「道法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/10/329858.html )
 
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