明慧法会|絹糸を真珠に通してネックレスを作り捧げたい
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 文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2016年6月24日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 法輪大法を修煉し始めてから瞬く間に19年がたち、歩んできた歳月を振り返ると、その一歩一歩に師父のご心労がありました! 師父の行き届いたご加持と保護の下、一歩一歩、歩んできました! 今回の神聖な法会に当たって、私の協調の仕事でのわずかな体験を書き出し、同修と交流したいと思います。

 一、私は死ななかったばかりでなく、正常な人間に生まれ変わった

 私は1943年に東北地方の小さな町で生まれ、物心がついた頃に中国共産党がやって来て、私の家は「黒五類(訳注:地主·富農·反革命分子·悪質分子·右派分子の5種類の階層)」と定められ、小さい頃から差別を受け、差別は学校に通うようになってから始まり、仕事をするようになってからも常に中国共産党に迫害され、人々から受ける差別の中で過ごしてきました。1969年、満26歳の時、夫とは別の地域で仕事をしていたため、仕事を別の地域に移したいと思い、転勤の手続きを担当する人に会いましたが、その担当者は転勤の手続きをしてくれなかったばかりでなく「あんたは自分の身分をわきまえているのか、あんたは黒五類の人たちだろう、あんたは臭いんだよ、それなのに転勤したいっていうのか!」と私を非難しました。どうにもならないので、夫と一緒に元々生活していた町から、誰も行こうとしない新しく建てられた工場に転勤し、その工場は町から数十キロ離れており、生活条件は非常に悪かったのですが、いずれにせよ、一家団欒で過ごせるようになったことは確かでした。しかし、それも長くは続かず、気候風土になじめず、さらに基本的な生活条件は時として完全に保証できるものではなかったために、子供の体にはできものができ、私の体にも疾病が現れ、腎盂腎炎、血尿、頸椎病、そして首が回らなくなり、ノイローゼになり、同時に長年の不眠症も伴って、注射と薬が日常茶飯事となり、長年治療しても好転せず、一年の大部分の時間を病院で過ごしていました。数年がたち、もともとの病気が治らないうえに肝硬変になり、お腹が膨らんでしまい、胃潰瘍に胃下垂で、毎食のご飯は食べきれず、やせて骨と皮ばかりになってしまい、1メートル64の身長で体重は40キロ強しかなく、本当に体の中に残っているのは骨だけのような感じでした。夫は私の状態を見て頭が痛くなり、私に「合併症で治療の方法はないから、薬で生命を維持するしかない」と言ったのですが、それは言いかえれば「この家で死を待ち、一日一日と生きるしかない!」という意味でした。

 その時、私はまだ40代でした。今でもはっきり覚えているのですが、同窓会があり、みんな20年ぶりに会い、あるクラスメイトは私に会うと呆然と私を見て、突然大声で「班長、いったいどうしたんですか、3割が人間で7割がお化けみたいじゃないですか!」と言いました。そう言うとそのクラスメイトは泣き出し、他のクラスメイトもそのクラスメイトが言った言葉を聞いていたので、私の心が傷つくのではないかと心配し、慌てて私を慰めました。実際、もう同窓会には参加したくないと思い始め、なぜなら、みんなが集まって喜んでいるその雰囲気を、私のせいでぶち壊したくなかったからです。

 1996年、法輪大法に出会い、修煉の道を歩み始めたのですが、その時、私は53歳でした。学法煉功を通じて、体は日に日によくなり、正常に眠れるようになり、体に力がみなぎって元気になり、ご飯が食べたくなり、胃が痛かったり張ったりすることもなく、それほど経たないうちにすべての病気がいつの間にかなくなってしまいました。その時から今まですでに19年がたち、その間、一度も病院にはいかず、薬を全く飲まなくても体は非常に丈夫になり、今では73歳の老人ですが、話したり笑ったりでき、食べたり飲んだりでき、腰は曲がっておらず、背筋もピンとしていて、歩く時も風を起こすような勢いで、農村へ行き真相を伝える資料を配り、横断幕を掛け、20~30キロ歩いても疲れを感じず、とても楽で、時には若者でさえ私に追いつけない事がありました。今、私の体重は六十数キロで、顔のしわはとても少なく、会った人はみな、おばあさんにはとても見えないよ、と言ってくれます。

 2007年の時、あるクラスメイトの家で、以前私のことを「化け物のようだ」と言ったクラスメイト(以下・Fさん)に偶然に会い、今回Fさんが私を見た時の驚きぶりは、前回の驚きぶりをはるかに超えており、というのも、私が死ななかったばかりでなく、正常な人間に生まれ変わるなんてFさんには思いもよらなかったことだったからです。法輪功が私の命を救ったことを知った時、Fさんは心から「法輪功は実に素晴らしい、死にそうだった人が生き返ったようになるなんて、今後どこに行こうと、あなたのこの素晴らしい変化を私は語りますよ」と言いました。

 二、病業中の同修と共に向上する

 私たちの地区に新しく修煉を始めた同修のAさんがやって来て、Aさんは病気のために修煉を始めて、リウマチ様関節炎以外の病気はみな良くなりました。同修がAさんを私に紹介した後、学法グループを探した時、Aさんの家に行って状況を確認してわかったのですが、リウマチ様関節炎のためにAさんの行動には制限があり、相談した後、Aさんの家に学法グループを作ることに決め、このようにすればAさんも学法しやすくなるからです。

 学法グループができた後、Aさんの近くにいる同修に連絡を取り、Aさんの家で学法を始めました。同修が数回Aさんの家で学法した後、同修はみなAさんの家に行かなくなり、というのもAさんの教養が低いためで、学法の時、Aさんはしょっちゅう読み間違えるので、2時間学法しても、一講を読み終えることはできませんでした。そこで、同修一人一人と「彼女が私たちの所に来たのは偶然ではなく、師父の按排に違いないので、このことは私たちにまだ修めなければならない心があることを表しており、彼女を嫌い、彼女を責めるのであれば、それは間違いであり、もしそうであれば、少なくとも私たちは修煉で善心を修めてはいないということになります」と交流しました。この交流を通じて、同修は自分の不足を見つけ出し、再び学法を続けました。しかし、しばらく学法すると、Aさんの人心が湧きあがって来て、私に「師父は他の病気は取り除いてくださったのに、どうしてリウマチ様関節炎だけは取り除いてくれないのでしょうか?」と尋ね、Aさんが泣き出したので、病業の問題についてAさんと交流し、私が修煉を始めた時の経験を話してAさんの正念を啓発し、Aさんに正念を持たせようとしました。しかし、Aさんの話を聞いているうちに、私も心を動かされてしまい、Aさんの状態を見ているうちに私もAさんの家で学法したくなくなってきました。私のこの考えは間違っており、さらに私のこの考えが学法グループの他の同修にも影響を与えてしまい、他の同修も学法に行きたくなくなってしまいました。しばらくして、私の考えは間違っており、私にはAさんを嫌う心があり、善心に欠けていたことに気づき、これらの不足に気づき自分を正した後、再び学法グループの同修と交流し「これは私たちに修煉の機会を与えてくださった師父の按排であり、私たちは心を広くし、善の心を修めなければならず、私たちは二度と彼女の不足を指摘してはならず、なぜならこれは私たちを修煉するためだからです」とみんなと交流をしました。交流を通して、みんな自分の不足を正し、今回は誰もAさんの態度は気にせず、自分を修め、Aさんのために正念を発すると、Aさんの状態は改善してきました。

 それからしばらくして、私たちの地区に脳出血になった年配の同修・Bさんがやってきて、Bさんは娘さんに迎えられて家の中で暮らしており、このほうが看病するのに便利だからです。娘さんは修煉しておらず、さらに家の中で憑き物を祀っていたので、学法グループを成立させるには適していなかったため、毎週1、2回、私がBさんの家に行って一緒に学法し交流しました。すると、Bさんの向上はとても速く、始めは話し方もたどたどしかったのですが、それほどたたないうちに、法を読むのもスムーズになり、真相を伝えに出て行くことができない以外は、三つの事の内の二つの事はしっかりやっており、特に全体で協力して真相資料を配った時、Bさんは参加することができなかったので、家で一心不乱に正念を発し、数時間も正念を発し、時には「定」に至って正念を発することもあり、Bさんの変化はとても大きく、髪も黒くなり始め、新しい歯が6本も生えてきました。

 病業の同修の件に携わっていた間、周りの同修も私の向上に力を貸してくれ、2人の病業中の同修がやって来たのを見て、ある同修は冗談半分で「どうすればあなたのように協調できるのですか、良い人はみんな協調して送り出してしまい(以前いた同修は引っ越して行った)、目が悪い同修や足が悪い同修に対して協調できてしまうなんて」と言いました。この同修の言葉に対して、私は内に向けて探すと、目前の功利を求める心や安逸を求める心があることがわかり、というのも、私は「私たちの地区に若くて何でもできる同修がやって来てくれれば、私のようないい歳をした者はのんびりできるようになり、何もせずに自分の世話だけをし、あちこち駆け回る必要もなくなるのに」ということを願っていたからでした。この心を見つけ出し取り除くと、同修はもう冗談半分な言葉を言わなくなりました。

 三、昔の同修を呼び戻す

 師父は説法の中で「中国大陸から出てきた学習者に会うと、まだ表に出てきていない学習者が早く出てくるように働きかけ、また方向を見失った学習者に早く真相を伝えるようにと伝えています。そうしなければ、彼らに最も惨めな結末が待っています」[1]と説かれました。

 師父の説法を学んで、昔の同修を呼び戻すべきだと認識すると、以前に同修のCさんがいたことを思い出し、迫害の後、Cさんを見かけなくなり、どうしているかもわかりませんでした。Cさんを探したいと思いましたが、家の詳しい場所を知らず、電話番号も知りませんでした。そこで時間が空いた時にCさんの家の付近をぶらついていると、思いがけずCさんが後ろから声をかけて来て、これは師父の按排に違いないと思い、連絡を取り合うことにしました。Cさんが言うには、迫害の後、家庭環境が悪化して、奥さんの目が厳しくなったので、同修との連絡ができなくなってしまった、ということでした。そこでCさんに学法グループと連絡を取ってもらうと、学法と交流を通じてCさんはとても速く向上し、去年の春、私たちと一緒に農村へ行って神韻芸術団の公演DVDを配ったり、真相資料を配ったり、真相を伝えたり、一緒に発正念をしたりすると、Cさんの家庭環境も改善しました。

 他には、60歳を過ぎた年配の同修・Dさんは、同修である娘さんが迫害に遭った後、恐れる心が重くなり、修めているかどうかわからないような状態に陥り、以前、娘さんが迫害された時にDさんに現れた状態は非常に悪く、私はDさんに対する観念が生じたために、その時はDさんに接触しようとは思いませんでした。その後、学法を通して、相手を見下す心があることを見つけ出し、この人心と観念を取り除いてからDさんに会うと、Dさんの状態も変わりました。

 他には60歳を過ぎた同修のEさんは、一日中常人の仕事で忙しく、三つのこともやっているのかいないのかわからないような状態で、ある時、時間と場所をきちんと決め、一緒に真相を伝えに行こうと約束したのですが、時間になっても何の連絡もなく、結局Eさんは来なかったのですが、後になっても何の説明もなく、そんなことが数回続くとEさんに愛想が尽き、もうEさんに会おうとは思わなくなりました。しかしその後、内に向けて探すと、Eさんの立場に身を置いて考えていなかったことに気づき、自分の善の心が不足していたことに気づきました。この時やっと「これはみな、私の修煉の向上のために師父が按排なさったことなのではないか!」ということに気づきました。これらの良くない観念と執着心を取り除くと、Eさんの状態も変わりました。

 四、全体で協力して真相を伝える

 私は周りの同修と一緒に学法し発正念する以外に、農村へ行って真相資料を配りました。真相資料を配りに行く前にはいつも、まず学法グループで学法した後にみんなと交流し、その後、行く場所を決定し、前もって真相カレンダーや神韻芸術団の公演DVDなどをしっかりと準備し、それから参加できない学法グループの同修の家を個別に訪問し、ある同修は仕事で行けず、また歩くことができないので参加できない同修もおり、その同修たちにそれぞれの情況に合わせて正念を発してくれるよう頼み、このように同修の家を歩いて回ると大体1、2時間かかりました。私たちがカレンダーを配るのに合わせて、Bさんに家で正念を発してもらうように頼んだ時、Bさんは激しく泣き出し「家で正念を発しみんなに合わせる事で、私もカレンダーを配る事に参加することができます」と言いました。そしてBさんは「発正念の時はいつも『定』に至ります」と言いました。

 みんなの協調をとって真相資料を配りに行く過程は、私の修煉の向上の過程でもありました。一昨年の冬、市場で真相カレンダーを配った時は、集合時間を8時半に決め、それからみんなで市場へ行く事に決めたのですきが、もしかしたら私が集合時間についてはっきりと言わなかったからなのかもしれなかったのですが、というのも、その前の数回の集合時間は8時だったからです。そのため、集合時間が8時だと勘違いした同修は早めに来てしまい、外で30分間凍えてしまい、私が到着すると恨めしそうに「どうしたわけですか、どうしてこんなに遅れて来るんですか!?」と言いました。私は笑いながら「私がはっきりと言わなかったせいです」と言いましたが、心は動じませんでした。その後、二人一組でカレンダーを持ちながら市場で配り、同修がカレンダーを手に持つと、人々は奪い合うようにしてカレンダーを持って行き、私がカレンダーを配った時も、人々が奪い合うようにして持って行ってしまいました。私に恨み言を言った同修は、カレンダーを配り始めた時は誰も受け取ってくれなかったのですが、内に向けて探し、自分を正した後にカレンダーを配ると、順調に配り終えることができました。私たちがカレンダーを配り終わった時、同修が警官が来たのを見つけ、その警官はカレンダーを売っていた常人が呼んだ警官でしたが、警官はその場に立って私たちをちょっと見ただけでした。

 家に帰った後、同修はみな内に向けて探し、怒りだしたあの同修も、自分の状態が正しくなかったために妨害を受けたのだということを認識しました。同修たちはみな「みんなが全体を形成してはじめて、中国共産党の邪悪をより強く解体することができる! 全体を形成してはじめて、より強く衆生を救い済度することができる」ということを認識しました。

 この数年、修煉の道を歩んで来て「すべては師父が行われた事であり、私たちの心性が高ければ、すべてはおのずから解決されるのだ」ということを、少しばかりですが、私ははっきりと実感しました。修煉の最後の道で、弟子は必ず法そのものを師とし、同修と共に精進し、三つのことをしっかりと行います。師父の慈悲深い済度に感謝いたします! 以下では、小詩を偉大なる師父に差し上げたいと思います。

 《愿做一根丝线》『絹糸を通したい』

 我象一棵小草,(私は小さな草のように)

 长在石缝间,(石の隙間から育ち)

 在那黑暗的岁月,(暗い年月の中でも)

 在那寒冷的冬天,(寒い冬の間でも)

 生命仿佛到了尽头,(生命はまるで頂に立っているかのようにして)

 盼不到春天。(春を待っている)

 是法轮大法的佛光,(それは法輪大法の佛光であり)

 驱散了寒冷和黑暗!(寒さと暗さを晴らしてくださる!)

 是真善忍的光辉,(それは真・善・忍の光輝であり)

 让我迎来了生命的春天!(生命の春が待ち受けている!)

 我愿做一根丝线,(私は絹糸を縒り)

 把珍珠串成项链,(真珠を通してネックレスを作り)

 敬献师尊前。(師父に献上いたします)

 因为那是来时的誓约,(なぜなら、それは今生に来た時の誓約であり)

 因为那是生命久远的期盼!(なぜなら、それは生命が長く待ち望んでいたものだからです!)

 合掌!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二十年説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/4/318475.html)
 
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