10歳の子供弟子の修煉物語
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文/アメリカの子供弟子 子供弟子の体験を母親が整理し、代筆

 【明慧日本2016年6月24日】息子は新羽と言い、今年で10歳になります。小さい時から私と一緒に法輪功を修煉し、満4歳の時から、一緒に観光スポットで法輪功への迫害の真相を伝え始めました。6歳になって、私は4カ月間かけて、息子と一緒に「轉法輪」を通読しました。その後、息子は、自分でこの300数ページの「轉法輪」の80%以上の漢字を読めるようになりました。それまで中国語を習ったこともなく、本当に不思議なことです。また、満7歳の時、息子は動功を習い始め、片足を数回組んでから、自ら両足を組んで一時間の座禅をしようとし、それから、ずっと煉功を堅持して、すでに3年あまりになります。

一、マレーシアにて

1、マレーシアの観光スポットでの楽しい時間

 息子は師父の説法を聞くのが大好きで、まだ漢字が読めない頃、ずっと説法を聞き、数日間かけて九講を一通り聞き終わったら、また繰り返して聞いていました。こうして、息子は、いくつかの段落の師父のお言葉をそのまま覚えるようになりました。それから、真相を伝える事も大好きです。特に観光スポットで真相を伝える週末や休日は、彼の最も楽しい時間となりました。マレーシアの観光スポットはとても大きな広場があり、そこで息子は私達と一緒に数年間、真相を伝えました。彼はその場所を遊園地にし、とても楽しい場所だと言います。息子にとって、その場所は真相を伝えるところだけではなく、とても大きな遊園地で、彼の大好きな遊園地でした。

 数年来、この観光スポットには、必ず彼の小さな姿がありました。時には彼は資料を配り、時には看板を掲げ、時には署名を集め、時には真相伝える手伝いをし、時には遊ぶのに夢中な場所でした。大人はみんな真剣に真相を伝えていましたが、彼も忙しそうに、遊びに夢中な時でも、とてもお利口さんでした。観光スポットで真相を伝えるこの数年間、息子は決して私に心配をかけたことはありませんし、これといって面倒を見ることもありませんでした。なぜなら、師父が息子を見守っておられるからです。そのおかげで、私はいつも安心して、そこで数年間も真相を伝えることができました。同修の皆さんも息子の事が好きで、観光客も彼の事が好きで、観光客から彼と記念撮影をしたいと求められることがしばしばありました。息子はそこで楽しい幼少時代を過ごしました。

2、学校で学友に優しくする

 満6歳になって、息子は小学校に入学し、いろんな人種の子供達と接するようになりました。しかし、クラスには中国系の子供は彼一人でした。最初の頃、他の学友にはみんな仲間がいましたが、彼だけは中国語を喋り、肌の色も違い、ひとりぼっちで、虐められていました。しかし、ほかの子より体の大きい息子は、決して学友に暴言を吐いたり、叩いたりすることをせず、いつも学友を助けていました。虐められる子がいれば、息子はその子を慰め、腕白な子にいたずらをされれば、息子は自分が修煉で悟った道理で学友と交流しました。学友達はその後、だんだん変わり、人を殴ったり、悪戯をしたりすることをやめ、息子と仲良しになりました。

 毎日息子は、必ず誰よりも最後に教室を出るようにしていました。彼は教室を綺麗に片付けてから教室を出ようと決め、また、他人を優先に考えることもできました。毎日昼食の後、学友たちは誰も皿洗いをしようとしませんでしたが、息子はすべての茶碗を集め、重ねられた茶碗は自分の背丈よりも高くなり、他の子が遊んでいる時に、彼はすべての茶碗を洗いました。このような情景がしばらく続きました。この様子を見ていた先生は、皿洗いを皆に平等に担当させ、交代で洗うようにさせました。

 ある日、放課後、息子はスクールバスを待っていた時、他のクラスの子供が、まだ開けていない飲み物の入いた缶を投げてきました。その缶は息子の頬骨に当たりました。その時、息子はとても痛くて、涙が出そうになったと言いました。彼はすぐ「立掌」と言ったら、(当時、まだ彼に発正念を教えていなかったのですが)、痛みが少し治まったと言いました。家に帰ってきた息子を見て、私は驚きました。息子の顔の半分がパンパンに腫れ上がり、真っ黒な色になって、当てられたところには血が滲み出ていました。しかし彼はとても勇敢で、「しばらくしたら治るよ」と平然と言いました。彼はその学友を恨んだり、憎んだりせず、スクールバスに乗車の時、この子を誘って一緒におやつを食べました。それからは、この学友は息子を再び虐めることはありませんでした。スクールバスに乗る時、友達はみんな争って乗ろうとしましたが、息子はいつも最後にいて、順番を譲って、席を奪い合うことをしませんでした。

3、激痛の中でも師父を固く信じる

 息子が満8歳になった翌日のこと、私達がグループ学法した後、交流をしていた時に、息子はほかの子供と遊びに行きました。雨がやみ空が晴れましたが、公園の道には水溜まりがいっぱい出来ていました。彼のその後の話によると、彼より何歳か年上の子供二人が棒を持って、彼を追いかけて殴ろうとしました。彼は怖くなって逃げる時に、足が滑って転んだそうです。私の所に戻ってきた時には、彼の左足のパンツの膝の所が大きく破れて、膝は擦り切れ血が出ていました。私は彼が不注意で転んだとばかり思って、あまり気にしませんでした。家に帰った翌日、息子はずっと泣きっ放しで、右足が痛いと言って、やっとその経緯を話してくれました。息子は足が痛くて動けず、ベッドに横たわっていました。私は彼の右足を動かして、体を動かそうとしましたが、彼は痛い、痛いと絶叫して、泣き止みませんでした。彼の苦しそうな様子を見て、私も驚きました。しかし、私はやはり心を落ち着かせました。息子は今とても大きな関門に遭遇し、どうすれば、この関門を突破できるか、それこそ私も直面し、しかも対応すべき課題だと思いました。私は心を鬼にして、すべて師父にお任せしました。息子は二日間泣き止まず、動けず、食事もせず、少しの水しか飲めませんでした。二日間で、息子は明らかにやせました。3日目になって、息子は泣かなくなりました。しかし、足はやはり動かすことが出来ませんでした。息子は私に、「お母さん、師父が僕のために一部を引き受けてくださったと思います。もうそれほど痛くなくなりました」と言いました。

 それを聞いた私は、ホットしました。息子がここまで悟れることは、彼には正念があるからだと思いました。次の日、私は「あなたを救えるのは師父だけです。煉功しましょう」と言うと、彼も賛成しました。私は彼を支えて座らせようとしましたが、彼は座れず、足が痛すぎて背中は壁に寄りかかることすら出来ませんでした。あれこれ試して、ようやく怪我をした足を内側に動かし、背中に二つの大きな枕を挟み込み、頭も大きな枕で支え、やっと何とか寄りかかることができました。しかし、息子は最初から最後まで涙を流していました。とても痛かったのでしょう。しかし、息子は師父を固く信じて、煉功を続けました。あの怪我した足を内側へ少しだけ動かすことも、彼にとって、とても大変な事でした。結局彼は涙を流しながら、15分間煉功を頑張りました。翌日もまた15分間煉功しました。

 次の日、彼は壁を支えにして立ち上がりました。しかし、まだ歩けず、ただ数分だけ立つことが出来ました。立ち上がった時、私は、彼のお尻の右側のパンツがぺったんこになっているのに気づきました。見るとお尻の盛り上がった肉がなくなり、お尻の右半分が大きく凹み、変形しているのが分かりました。私はびっくりしました。彼の右足は骨折したか、あるいは筋が切れたかと直感で分かりました。これはどれだけ痛かったのでしょうか。八歳の子供にとって、この痛みに耐えられたのは、師父を信じる正念によるものに他ありません。次の日、彼は動功を煉りたい、静功だけではなく、動功も煉功しなければならないと言い出しました。彼は「お母さんの前で煉功したい、もし転んだら、僕を支えてください」と言いました。私は煉功しながら、息子の様子を観察しました。彼は第一式、第三式しか出来ませんでした。第二式は時間が長すぎて、第四式はまともに立っていられないから出来ませんでした。翌日、彼は少し歩けるようになり、とても喜びました。 息子のこの様子を見て、私は、親の責任をしっかり果たしていないと気が咎めました。私は落ち着かず、右足が骨折したままではないかと心配しました。それを確かめるため、息子を病院に連れて行って、レントゲン写真を撮りました。医者はレントゲン写真の依頼書に「股関節と右足」と書いていたにもかかわらず、レントゲン技師は左足の写真を撮り、写真にも左足と書いていました。病院側は「撮り間違いで、もう一度取りましょう」と言いましが、それを聞いた私は、レントゲン写真をやめ、家で自ら処置すると言いました。その後、医者からもOKが出ました。私はここに来るのが間違っていたと分かりました。師父は私の正念の不足に気付かせてくださいました。一方、息子は「師父のご加護があるから、問題はない」と言ったので、「その通りです。家に帰りましょう」と言いました。息子が難関の中でも、これだけ強い正念を持っていることを思うと、私は本当に嬉しく思いました。

 息子は家で煉功する以外に、説法を聞きます。7日目になると、彼はゆっくりと階段を下りることが出来、下の売店でおやつを買うことが出来るようになりました。息子は、「師父が僕のために引き受けてくださいましたが、残りの少しは自分で耐えなければなりません。少しくらいは耐えなければだめです。もうすぐよくなります」と言いました。それを聞いた私は、私達親子はあと少しでこの難関を突破できそうだと嬉しく思いました。2週間後、学校の新学期が始まりました。息子はまだ遠くまで歩くことができず、歩く時は足を引きずっていました。私は「大丈夫なの」と聞くと、彼は「問題ないよ」と答えました。とは言え、私はやはり少し心配でしたが、息子は一日も休まず登校しました。3週間後、息子は普通に歩けるようになり、お尻の肉もゆっくりと回復してきました。彼は「僕が生死の関門を突破できたのは、師父が僕を守ってくださったからです。もし僕が修煉していなければ、とっくに不自由な身体になっていたでしょう」と言いました。確かにその通りです。師父は彼に健康な体を下さり、救ってくださったのです。今回の試練で、彼も私もとてもドキドキ、ハラハラしましたが、これを心に深く刻み、一生忘れ難いものとなりました。大法の中で修煉する子供弟子は、これだけ強靱で勇敢で、これだけ強い意志と辛抱強さと固い信念を持っていられるのは、すべて大法の超常さと不思議な力によるものだと思いました。

二、アメリカに来てからの息子

 息子が十歳の時、私たちはアメリカに来ました。息子は次のような修煉の体験を話してくれました。

 学校では、中国系の子供が少ない中、転校生の彼を虐める学友がいましたが、彼は決して殴り返したり、言い返したりせず、学友たちと同じように争うことをしませんでした。彼は学友たちが修煉していないから、逆に可哀想だと思い、学友たちを大切にし、悪い縁を全部良い縁に変えたいと思いました。

 ある男の子は拳を握って、彼を殴ろうとしました。息子は、「僕たちは腕相撲をやりましょう。もしあなたが負けたら、僕を殴っちゃいけないよ。もしあなたが勝ったら、私のお腹を殴ってもいいよ」と言いました。学友はすぐに負けて、息子を殴ることが出来ませんでした。息子は体が大きいので、彼に勝つ人はいませんでした。それから、誰も彼に喧嘩を売ってこなくなり、みんな仲良くなりました。

 クラスに人種の違う女の子がいて、いつも息子に暴言を吐き、しかもとても汚い言葉を使い、息子を殴ると言いました。息子は「僕にかかってきても、女の子に手を出しません。女の子を虐めることはしません。しかし、あなたがいつも人を罵るのは、よくありません。あなたはたくさんの良いものを失いますよ」と諭しました。そして、息子は女の子と言い争うことをせず、いつも彼女を助けて、友人として付き合っていました。いつの間にか、この女の子はいい子になり、人を罵ることをしなくなり、時々、息子を助けたりして、とてもいい友達になりました。

 機会があれば、息子はクラスの学友たちを、女の子も男の子も関係なく、助けています。息子の言葉で言えば、「師父のおっしゃる通りにして、すべての悪い縁をよい縁に変え、すべての子供たちを大切にする」と言いました。ですので、彼は学校でみんなと仲良くして、とても楽しい時間を過ごしています。

 マレーシアの先生方もアメリカの先生方も、息子がとても優しくて、賢くて、人に好かれていると言います。

 息子は小さな時から、修煉の環境の中で育てられ、また、自分でも修煉の真理を悟り、良い人になろうと努力し、人の事を優先にする人になろうと心がけ、生活の中でも、修煉の原則に従って自分を律しています。彼は素朴で、心の優しい子供に成長しました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/15/330057.html)
 
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