ヨーロッパにおける法を正す進展についての十の考え
■ 印刷版
 

文/ヨーロッパの大法弟子

 【明慧日本2016年6月25日】今年のニューヨーク法会の後、ヨーロッパの多くの学習者は「たとえ法を正す当初、師父が相手の策を逆手にとられ、旧勢力の手配を利用されたとしても、今は、その段階はもうすでに通り過ぎ、すべての事は師父の要求通りに正さなければならない」と思い至りました。現在、同修達は激変の段階に身を置かれています。私もいくつか問題について考えました。ここで、皆さまと交流したいと思います。

 1、現在の全体の修煉状態についての認識

 「いくつかの事が、法に合致していない」と学習者に指摘されると、たとえ多くの事が誰の目にも明らかであるにもかかわらず、必ず一部の学習者が出てきて、それに反論して退け、そのような事実を認めようとしません。ほとんどすべての事が目的と行動とが正反対の結果になったことは、全体の修煉状態がまだ未熟であることを意味しています。また、学習者の修煉が内部により、ひどく破壊されていることを意味しています。

 2、慈悲に同修と衆生に対応する

 修煉の過程において、邪悪のひどい妨害の下、私達の誰でもが、お互いに相手を傷つけたことがあったでしょう。しかし、心の中のぎくしゃくしたものを放下し、慈悲に同修に対応して、初めて私たちは師父が求められた、広い心と大きな度量と強い忍耐力を持つことができるのではないでしょうか。このような修煉を通じて修めた慈悲を、真相を伝え、衆生を済度する時に用いられれば、きっと素晴らしい効果が生まれるのではないでしょうか。逆にこれ以上固執するならば、全体は依然としてばらばらの分裂状態となり、たとえ真相を伝えたとしても、その効果は損なわれてしまうでしょう。

 このような慈悲は真相を冷静に認識することとは全く矛盾しません。真相を冷静に認識して、初めて真の慈悲を修めることができます。事実をしっかり認識せず、あるいは事実を認識させないことは、結局表面だけをごまかし、問題を押さえつけ、腫れ物が肌の下に潜み、問題が根本的に解決されないままとなります。機会があれば、それは必ず破裂し、膿が流れ出て来ます。問題が表面化した時、真に慈悲な態度で対応できるかどうかは、まったくの未知数になるでしょう。

 3、真に修めれば、怨恨を除去できる

 恨みはとても強いマイナス要素です。修煉者がこのような物を持っていれば、旧勢力はそれを強めてきます。しかも、それは旧勢力が大法弟子を迫害するために用意した落とし穴です。それを打破しなければ、大法弟子はそれに落とされ、壊されてしまうのです。必ず重く受け止め、それを修め消さなければならないのです。一思一念の中で、真摯に、心の奥からすべての生命に慈悲に対応していけば、恨みを取り除くことができるし、旧勢力の迫害をぶっ壊すことができるのです。

 4、真に理解する

 事実は事実です。いくら残酷でも、いくら衝撃的であっても、事実は事実に他なりません。生きたまま器官を摘出されることが暴かれた当初、多くの人は信じてくれませんでした。なぜなら、それは人類の道徳の極限をはるかに超えていたからです。しかし、それは現実です。このような限定を設けた発想は、学習者にとっても、衆生にとっても、真相を理解する時の障害になります。多くの西洋人学習者が、いくつかの事実を受け入れられないのは、おそらく、旧勢力が人間の観念を無理に押し付けたせいかもしれません。また、それは大法弟子の基準から、あまりにも遠く離れたものなので、彼らはどうしてもそれを理解できず、受け入れることができませんでした。したがって、学習者たちに真相を伝える時でも、焦ってはいけません。辛抱強いことも慈悲の一つだと思います。

 5、本当に大法に泥を塗るのを心配しているか、それとも形を変えて執着を隠しているか、甚だしきに至っては学習者を脅迫するのか

 一部の人は現実に直面する勇気がありません。また一部の人は法を利用して、非常にまずいことをやってきた事実を隠し、公表せず、なのに「それが大法の名誉を守るためだ」と考えているようです。このような考え方は、「中国共産党が悪いと言えば、国を愛していないと言うことだ」と、とてもよく似ているのではありませんか? 大法は広大な宇宙を作り上げたものです。宇宙の中の微塵のような命が、永遠に法を破壊することはありません。この点を固く信じていれば、すべての人が「自分の行為に責任を持たなければならない。また、誰かが大法に泥を塗るようなことをすれば、その人がその責任を取らなければならない」ということが分かるでしょう。反対に「大法の名誉を守る」という盾を立て、学習者に、自分達がやってきたまずい事を言わせないのは、形を変えて自分達の執着心と罪を隠蔽するものではないでしょうか。それは大法を利用する狡い考え方です。決して真に修めるものではありません。法に責任を持ちたい学習者は、知恵を使って真相を話すべきです。決してそのような脅迫に影響されてはいけません。

 6、どうすれば法が守れるのでしょうか

 私達がしっかり修め、多く真相を伝え、たくさんの人を済度すること自体が法を守ることではないでしょうか。旧勢力に押し付けられた迫害に対し、私達はしっかり認識して、区別し、大法に無理やり押し付けられたものを、決して認めません。私達はそれをはっきり識別して、認めないようにすべきです。何もかも抑えるのではありません。それはむしろ、旧勢力が学習者の法に対する誤解を利用して、彼らの邪悪の要素を温存しようとしているのです。一部の人が自分の重大な問題を覆い隠し、さらに、学習者全体をごまかそうとするのは、更なる犯罪行為です。そう遠くない将来、真相は必ず明らかになるでしょう。なぜなら、この宇宙のすべては「真善忍」によって構成されていますから、偽りのものは長くいられるはずはありません。

 7、党の文化

 誰かがあれらのよくない考え方に合致すれば、宇宙の中でのあれらのよくない要素がその人をコントロールします。中国大陸の人が党の文化を有するだけではなく、長く海外で生活をしていても、考え方や意識は、いまだに大陸の党文化に浸っている華人は、学習者の中にも数少なくありません。それらの人は自らしっかり認識し、党文化を常に排除し、次第にそれを除去しなければなりません。

 8、反対者が多い問題をどう認識すべきか

 昨年、私達の国では、神韻のチケット販売が芳しくありませんでした。それは、私たちの全体の修煉状況を物語っています。このような状況の中、ある学習者が一部の人の正しくない言動を指摘すると、その事実を受け入れられない学習者が出てきて、その人を包囲し、攻撃しました。実は全体の修煉状態が芳しくない時、人数が多くても、彼らが正しいとは限りません。中には真相が分からない人もいれば、法理をまだ理解していない人もいますので、人数で判断するのではなく、法に基づいて判断すべきです。

 9、どうすれば、再スタートができるか

 新しい第一責任者と多くの学習者の誰でも、平穏な起点から早くスタートさせたいと望んでいます。それは大法弟子が持つべき良い心理状態だと思います。それなら、新しいスタートはどうであるべきでしょうか。一部の学習者は今までの教訓を総括する必要があると言及しています。今までのいろいろな事実をしっかり認識し、しかも法理をしっかり理解して、自分の心性を向上させれば、初めて真に教訓を生かし、新しい起点からスタートできるのです。

 もし、過去の誤った時の心性基準を引きずっていれば、前に向かって進めていても、それほど時間が立たない内に、綻びが出てくるでしょう。過去の事実を明確にさせないで、また法に立って問題を認識する勇気がなければ、さらに、生まれ変わるほどの心性の向上がなければ「教訓から学ぶ」という言葉は空論に過ぎません。あるいは、他人の口を止めるためのうまい口実に過ぎません。ですから、本当の再スタートというのは「和気あいあい」とか、「名誉の退職」とか、「無限の感謝」とか、そのような建前の綺麗事ではなく、それは真に修めることなのです。この過程を早く通過するほど、私達は早く新しいスタートを始められるのです。そうすれば、個人修煉も全体の環境も真相伝えも、すべてさらに一歩前進するのです。

 10、厳粛に思考し交流する

 私は、私達の国で最も必要なのは「厳粛な思考と交流」だと思います。いかにして、人に追随するのではなく、いかにして、法を師にすることができるか、それについて考えるべきです。今まで、このような教訓が多すぎます。すべてのこのような過ちを犯した人は、何のために修煉に入ってきたのかを考える必要があります。人に追随すれば、世の中の虚栄を得ることができますが、しかし、円満成就はできるでしょうか。特に、人に追随して、衆生の済度を破壊し、大法弟子に傷つけたりした人は、あなたたちはどうやって、自分の生命に責任が持てるのでしょうか。法を利用して、見かけが堂々としていても、本質的に法に合致しないすべての言動が、最終的に、私達の今日の現状に助力したのではないでしょうか。

 法を師にすることは、一部の人の力を弱め、指揮機能がなくなると心配する人がいますが、そのような状況になるのでしょうか。決してそうはならないでしょう。もし指揮が正しければ、最も理想的な状態は、すべての修煉者が法に基づいて行動し、心の中から人と協力したいと願うことです。そうなれば、すべての人為的な指揮よりも完璧になるのではないでしょうか。なぜなら、誰でも心を尽くしてやっているからです。当然、その過程では、一部の学習者が、その指揮を正確に理解できないから、無茶なことをすることもあるでしょう。それはあくまで、その過程で起きた現象に過ぎず、集団学法を強め、真に修め、現実に修める環境ができ上がれば、この過程は比較的順調に乗り越えることができるでしょう。これらの問題を見抜く先見性を持っていれば「人間の手段を使って、権力を守るために法を師にする」という原点を損なうようなことをしないでしょう。そうすれば、再び、師に手伝い、法を正す道から外れることもないでしょう。

 以上は現段階でのいくつかの考えです。慈悲なるご叱正をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/18/330160.html )
 
関連文章