「精進している」と誤って認識した教訓
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2016年6月27日】私は今年77歳になります。1995年10月に法を得て、修煉を始めました。当時は、地元のボランティア指導員にもなりました。大法修煉を始めると、師父は私の天目を開いてくださいました。別の空間の光景、法輪、異なる次元の天体の宇宙を見ることができました。そのため、私は「自分は根基がよく、精進している」と思い込みました。

 しばらく前に、私の身に深刻な問題が起きました。1つ目は、資料を配って真相を伝えていた時、警官に派出所まで連行されました。自供、写真撮影、血液検査、捺印などを強要され、大法弟子がやってはいけないことをやってしまいました。2つ目は、体にひどい病業状態が現れました。大小便を漏らし、膀胱しぶり(苦痛をともなう極端な頻尿)の症状が出ました。時々尿が出なくて、非常に苦痛でした。3つ目は、自分の空間に、邪霊、卑しい鬼、悪い物質が充満しました。そのため、法を学ぶ時、眠たくなり、発正念をする時も、居眠りをし、手が倒れました。また、同修との間に、いくつかのトラブルを起こしました。大小便を漏らして、最も辛い時、私は夢の中で、親の喪に服している息子と娘の姿が見えました。彼らは喪服を着て、喪中時の帽子をかぶっていました。

 私は問題の重大性に気づき、ひざまずいて師父にお願いしました、しかし、いったいどこに問題があるのか、なかなか分かりませんでした。私の家でグループ学法をしている同修のAさんが、師父の啓示の下で、私の症状と直面していた危険性に気づき、法に基づいて私と交流しました。最初の頃、彼女が指摘してくれた、いくつかの問題について、私はほとんど認めようとしませんでした。甚だしきに至っては、彼女のことを排除しようとしました。しかし、私のこの悪い状態は一向に改善しませんでした。一方、彼女は、私心なく私を助け、旧勢力に私を破壊させないようにしてくれました。私はその慈悲深い心に深く感動しました。私はようやく心を静めて、最初から終わりまで自分を見直すことにしました。

 内に向かって探して見ると、私にはこれだけ多くの、これほどひどい執着心、特に色欲心がまだあることに気づきました。本来、すでに老年になった私は、とっくに、このような心を無くしているはずでした。ところが、7、8年前、もうすぐ70歳になる私は、また連れ合いと色欲の過ちを一回犯してしまいました。私はその後の悪い結果がすぐに見えました。「天が崩れ、地が裂け、川と海が氾濫し、一面の洪水が血のように流れ・・・・・・、私の世界には住む人もなく荒涼たる様子で、ぐちゃぐちゃで、草木が枯れ、河川が生命力を失ってしまった」

 その時の私は力が抜け地べたに倒れ込み、心が引き裂かれるように号泣しました。私は「もう生きたくない、これ以上生きても意味がない」と思いました。今回の教訓はこれほど深刻でした。しかし、私の色欲の心は根絶していませんでした。私は実際に戒めを犯してはいませんでしたが、若い女性の同修を見ると、目つき、喋り方、体の動きなど、自分では気づかないような不純なものが心の中でゆれ動いていました。若い女性の同修たちは、みんなそれに気づき、その結果、しばらくの間、彼女たちの誰もが、我が家に法を学習に来たがらなくなりました。

 小さい頃から共産党の党文化に浸って育ち、自分のありとあらゆる細胞がそれに汚染されていました。考え方と行動には、すべてその烙印が押されていました。それなのに、自分はまったくそれに気づきませんでした。若い頃、私は少し武術を身に付けました。普通の場合、4、5人かかってきても、全然私に敵わないため、家でも、社会にいても、私は「兄貴分」の心理をずっと持っていました。万事を自分が言った通りにし、自分の意志を他人に強要していました。その上、煉功を始めるとすぐに天目が開き、人より自分のほうが凄いと余計思うようになりました。

 また、私は見せびらかすのが好きで、いつも自慢げに私が見たものや、自分の宇宙、自分の世界の話をしました。また、自己を守る心理から、長い間、自分で真相資料を作って、連れ合いと一緒に配りに行きましたが、全体と溶け込むことはありませんでした。近年、それは多少改善されましたが、しかし、同修を見下し「次元の低い」同修と付き合いたくなく「精進している」同修だけを選んで家に来てもらいました。連れ合いは耳が遠く、視力もよくないのに、私は思いやりや包容心がなく、いつも彼女に「お前は耳が聞こえないのか」とか「お前は目がみえないのか」と叫びました。そのため彼女も態度を悪くして私に「出ていけ」と応対しました。

 母親に対しても長い間、怨恨心を持っていました。1つ目は小さい時、母が私を学校に行かせなかったことに対して恨みを持っていました。もう1つは、13歳の時、2番目の兄とけんかをしました。私がコウリャンの殻の棒で彼を殴っただけで、彼は先の尖ったシャベルで私の頭を叩きました。その結果、私の頭に長さ5、6センチの大きな傷口ができ、たくさんの血を流しました。その後、大きな傷跡を残しました。その時、母は家にいませんでした。しかし、帰って来ても、兄を怒りもせず、説教もしませんでした。恐らく、悪戯っ子の私は母に嫌われていたせいか、母は私を庇ってくれませんでした。それに対して、私は「母親はこの事を見逃してはいけない。せめて是と非をはっきりさせ、けじめをつけてくれるべきだ」と思いました。あの大きな傷跡は、普段は見えないし、触っても感じないのですが、しかし、傷跡は深い溝みたいになっていました、その後、法を学び、功を煉ることによって、溝が埋まり、髪の毛も生えて来ました。しかし、何年たっても、この2つのことを思いだして、母親を恨む気持ちが依然として沸き起こっていました。

 私の家で法を学ぶ同修は、みんな私より10歳か20歳ぐらい年下の女性でした。党文化や、嫉妬心、怨恨心、闘争心など、これらは話しやすい話題ですが、色欲の事になると、男性同修の間でも、なかなか口にしにくく、ほとんど言及しない話題でした。しかし、彼女たちは私を助けるため、この心に気づかせ、それを取り除かせるため、私が嫌がっても、拒否しても、彼女たちは粘り強く、何度も我が家に来て、私と真摯に交流し、私のこの不潔な心による態度やその原因を率直に指摘してくれました。ようやく、私はそれを正視できるようになり、それを取り除く決意をしました。

 心をえぐるように自分を解剖し、真剣に分析した結果、私は、自分自身の色欲、党文化の毒素、闘争心、嫉妬心、怨恨心、顕示心、恐れる心、義務的にする心、安易心、外へ求める心、焦る心、人を軽視する心等々に気づきました。しかも、それは相当ひどくて、修煉に対しても、これほど粗慢だったことに気づきました。私のこれらの執着心は、連れ合いの修煉にも直接的に影響を及ぼしました。そして、同修との間に隔たりを作り、お互いに協力すれば、できたはずのことが、私のせいでうまくできませんでした。

 たくさんの無念を残してしまったことに気づきました。苦しみが過ぎ去った後に思い出すと、これまで、私は表面上では修めているように見え、人を救い済度することもしていました。しかし、多くの場合、それは人間の観念を持って法を学び、法にあるもっと高い異なる次元の内包が見えず、執着心と求める心を抱いて仕事をし、純粋な心で、自分の誓約を果たしていないことが分かりました。また、長期にわたって、私に対して要求された法のそれぞれの境界に到達できていませんでした。心身ともに度々迫害を受けるのも当然の成り行きだと分かりました。

 もし、私が着実に法を学び、常に自分の言動を法に照らし合わせ、問題が起きたら、内に向かって探し、真に修める中で、人を救い済度することが出来ていれば、永遠に旧勢力に隙に乗じられることはなかったのです。

 師父の慈悲なるご加持の中、私と交流した女性のAさんは、私の家に潜んでいる極めて不潔な空間が迅速に清浄され、邪悪や卑しい鬼や醜い幽霊が滅されたのが見えました。私の状態も次第に好転しました。師父の慈悲なる済度に感謝して、感激の涙を流しました。

 数日後、私は夢の中で次の一幕を見ました。1つの高くて危ない壁が、すぐにも倒れそうになっていて、その下は、果てしない海でした。私は危ない壁の上を無事に歩いて通過しました。師父は私を救ってくださいました。そのおかげで、私は生死の難関を突破しました。

 師父に感謝します!同修に感謝します!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/23/330399.html)
 
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