夫がガンになった結果
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 【明慧日本2016年7月7日】私は1998年12月から大法修煉を始めました。修煉をしてから、ずっと精進しているとは言えず、恐れる心や心配する心が重く、真相を伝えることもあまりしませんでした。

 2015年6月30日、私は最高裁判所に江沢民を告訴する告訴状を出しました。11月10日、警官に職場から連行され、10日間不法に拘留されました。一度も直接迫害を受けたことのない私は、とても大きな打撃を受け、同時に、夫にも深く傷つけました。

 家に帰った後に、もともと修煉をあまり支持してくれなかった夫は、様々な手を使い、飴と鞭の両方を使いながら、私に修煉を放棄させようとし、さらに離婚で私を脅迫しました。最終的に、私はこの難を乗り越えました。しかし、この過程においては、夫は、師父と大法に対して誹謗中傷し、大法弟子を迫害するような大きな罪を犯しました。

 事態がようやく落ち着いたところ、夫は体に異変を感じました。突然ある日、彼の体全体が黄色になり、目も黄色に変わりました。私たちが急いで病院に検査に行ったら、末期の膵臓癌と診断されました。腫瘍は膵臓の先の部分にあり、大きさは3.62cm×3.74cmで、すでに手術はできず、しかも肝臓にも転移したと言われました。また、胆道は腫瘍におさえられ、胆汁が通らなくなり、黄疸の数値がとても高く、そのため、全身が黄色に染まり、余命3カ月だと医者に宣告されました。この時彼はまだ46歳でした。

 このようなで状況の中で、私は「一緒に煉功しましょう。あなたを救えるのは大法だけです」と言いました。彼は黙って何も言いませんでした。私はまず彼に「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と念じさせ、そして、過ちを悔い改める声明を書かせました。彼はその通りにしました。その後、夫は省の腫瘍病院に入院し、胆道ステント治療し、胆汁を流通させ、それから、黄疸を下げる点滴を受け、2週間ほど入院生活を送りました。しかし、それ以上の有効な治療法がなかったため、2016年元旦の前に、夫は退院して家に帰りました。

 帰って来てから、私は彼に煉功を教えました。彼に「九死に一生」の修行物語を聞かせ「細語人生」の関連番組を見せました。この時、私は明慧ネットが実に素晴らしく、ほしいものはなんでもあると切に感じました。最初の頃、彼は半信半疑で、かなり落ち込み、薬に頼っていました。私は「あなたが病気になったのは悪いことですが、しかし、これをきっかけに、あなたは法を得て修煉できれば、これはまたよい事になるのですよ」と言いました。次第に、彼も自信を持つようになり、法を学ぶことを重視し、煉功にも積極的になりました。

 この過程においては、彼の振る舞いは常に私の人心を試していました。例えば、動作が間違っても、彼は私の指摘を聞かず「僕が正しい」の一点張りでした。師父の広州での説法ビデオを見ても、彼はいらいらして「横になって聞いても、疲れる」と言いながら、何とか最後まで聞き終わりました。しかし、何もかも、私は彼に頼んでいるように、何でも気を付けながら、彼の悪い一面に触れないようしなければならなかったのです。表面上では、私は彼を助けているように見えますが、実は、彼は私の修煉に助けていました。それと同時に、私は彼の身に起きた様々な神秘的で不思議な現象を目撃して、師父の慈悲をよりよく感じました。

 次に、彼が煉功した時、また業力が消去される時に起きた奇跡を話します。

 初めて彼が不思議に思ったのは、ある日、彼が足を組んで座禅をしていた時でした。足がとても痛くて、彼は歯を食いしばって、心の中で「忍びがたきは忍びうる。おこないがたきもおこないうる」[1]と思いながら、辛抱しました。しかし、痛みがあまりにも激しく、彼は「足が不自由になりそうだ。完全に歩けなくなる」と思い「これでもうおしまいだ。足がだめになった」と思ったそうです。しかし、突然、すべての痛みがピタッと止まり、足はまた動かせるようになったと彼は言いました。

 またある日、第三式の功法を煉功した時、彼は「体中にどこから来たか分からない黒い斑点が集まって来た」と感じたそうです。功を煉り終わって、黒い斑点はようやく消えました。彼は「やはり僕の業力が多すぎる」と言いました。彼は煉功の際に、多くの事を感じたそうです。例えば、彼はよく煉功の音楽が聞こえ、特に重い業力が消去される辛い時、彼の耳には常に煉功音楽が聞こえたそうです。それは、彼に一つ一つの難関を乗り越える勇気を与えてくれたそうです。ある日、彼は私に「師父は本当に偉大ですね」と言いました。

 彼には他の病気もたくさんありました。多発性腎臓結石、肝臓結石、胆嚢結石などもありました。業が滅される時、彼は腰がとても痛く、小便をしてたくでも出なくて「しまった、腎臓結石が再発した」と言いました。私は「それは師父があなたの病気を追い払ってくださっているのじゃありませんか」と言いました。結局、彼は排尿ができるようになりました。それで、痛みを感じても、彼は「きっと師父は僕の石を排除しておられるのだ」と分かるようになりました。いままで、彼は3回熱を出しましたが、いずれもしっかり乗り越えて来ました。

 ある日、彼が職場で仕事している時、突然、心臓が激しく痛くなりました。彼は部屋の扉を閉め、他の人に見られないようにし、ずっとお昼まで我慢しました。人が少くなった隙を見て、私に迎えてきてもらいました。彼は「ほかの人に見られたら、絶対僕を病院に送り込むから」と言いました。家に帰ってから、私は彼の苦しい様子を目の当たりにしました。私は師父の法「肉親や親友が苦痛に見舞われた時、心が動じるかどうか、そういう時にいかに対処するのかなど、まさにこういうところが難しいのです。」 [1]を思い出しました。私は夫への情を捨て、師父が彼を見ておられるから、心配することはないと思い、発正念をしてあげました。その後、彼は疲れ果て、眠ってしまいました。彼はまた一つの関門を通り抜けたと私には分かっていました。目が覚めた後、彼は「今回はすでに耐える極限に来ていました。痛みで意識を失いそうでした。激痛は6時間が続きました」と言いました。今回の激痛も一瞬でピタッと止まり、その後、まったく痛みがなくなりました。

 彼には業を消去する状態が比較的頻繁に起き、いつも体がだるく、食欲がなく、全身寒気がして、腹痛、背中の痛み、尿が黄色くなるなどの症状が出ています。がんと診断されて、本日で4カ月になりました。この先の道はどれだけ長くても、私たちは揺るがさずにしっかり歩いていくでしょう。

 現在、私達は毎晩『轉法輪』を一講学び、朝、全世界の朝煉功に参加し、夜もう一度動功を煉っています。時には、昼頃でも、彼は自分で一通り煉功をして、普段は師父の他の説法も学習しています。

 本来、この交流文章を書くつもりはありませんでした。心の中では「彼が元気になって、回復してから、その時に書こう」と思っていました。その時、私は病院の診断書を持って、法を実証したいと思っていました。また「証拠があれば、親戚や友達、お医者さんにこのことを話し、彼らにも大法修煉をしてもらいたい。そうなれば、彼らはもう言うことはないでしょう」とも思いました。また「彼らはもう私を支持しない理由はないでしょう。彼らは私を羨ましく思うでしょう。私に頭が下げるでしょう」と考え、時間を計算しながら「夫が回復したら、誰と誰に会ってみたい。その時、夏休みになって、息子も帰ってくるから、家族3人でどことどこに行こう」とも考えました。

 私はこのように思案していて、ある日、突然「これは自分で自分の修煉の道を手配しているではないか。それに、他人の修煉の道まで手配しているのではないか。さらに師父のことまで手配していないか」と気づき始めました。「いつになって、業が滅されて、ちょうど私のスケジュールに合っているとか・・・、それは、すべて私のためではないか。人を救い済度するのはすべて嘘で、すべては自分ため、自分を実証しているのではないか」と気づきました。原稿を書いているとき、自分の問題がどれだけ重大なのか、人心はどれだけ危険で恐ろしいかと気づきました。この人心は膨張したら、後の結果は想像もできません。「歓喜心、顕示心、それに求める心も混じり合い、根本的に自分つまり私のため、自我のため、私心を実証したいのではないか」とはっきり認識するようになりました。

 これからの道は何であれ、もうそれについて、考えたり推測したりしません。師父が按配された道であれば、必ず歩き続けなければならないし、必ず実行します。古い勢力が按配したものをすべて否定し、法を正す師に手伝い、衆生を救い済度することをやり遂げます。

 注:
 [1]李洪志先生の著作:『轉法輪』

 
(中国語: http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/25/330290.html )
 
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