善悪をわきまえた国保大隊長
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 【明慧日本2016年7月9日】1999年以前、私は勤め先で、郷鎮派出所の警官Sと知り合いました。Sは義侠心(訳注:ぎきょうとは、正義を重んじ、弱い者を助けること)を重んじ、約束を守り、言った事を必ず実行するタイプの人でした。私は彼と一定の距離を置きながらも、良い関係を保っていました。

 1999年10月25日、私は、上京して陳情に行き、不法に連行され、同11月1日に居住地の派出所に送り返されました。この時、Sはすでに地元派出所の所長になっていました。私と会った時、二人は一瞬目と目を合わせ、彼の目から、かすかに同情する表情を感じました。所長になったSは、すぐに目線を他の人に移し、大声で、「英雄の皆さん、凱旋したね」と怒鳴りました。Sは、体つきがたくましく、声もでかかったのです。これが迫害されてから、初めてのSとの接触でした。

 二回目にSと会ったのは、私が労動教養所から帰って来てからのことでした。当時、隣の省の多くの法輪功学習者は、不法に連行され、妻も巻き添えとなり、隣の省の警官が地元の派出所に来て、妻を連行しようとしました。Sは、「我々もこの人(妻を指す)を探し、ここにも用があるから、引き渡せません」と言いました。明らかにSは、妻を守ってくれました。妻は地元に残されましたが、しかし、15日間の不当な拘留を強いられました。拘留されて14日目、私はSに電話して、彼を「兄貴」と呼んで、いつ妻を返してくれるかと聞きました。彼は、「ちょっと待ちなさい。聞いてくるよ」と言って、さらに、「今日中にでも、返してやろうかな」とも言いました。しばらくして、Sは、「もう部下に奥さんを連れてくるように言った」と電話をかけてきて、「私の事務室に来なさい。奥さんをここに連れて来るから」と言いました。私は子供と一緒に、Sの事務室に行きました。しばらくしたら、妻も入ってきました。Sは扉を閉めて、声を低くして、「安全に気をつけなさい」と注意しました。ちょうどその時、若い警官が入ってきました。Sはすぐに声を上げ、私達に、「今回、お前らにチャンスを与えるが、次回はもう知らないぞ」と怒鳴ったふりをしました。

 その後、他の人から聞きましたが、Sは地元の法輪功の迫害を担当する公安副局長に、「大法弟子に優しくすることは、自分自身に優しくすることだ」と言っていたそうです。Sはずっと副局長を馬鹿にして、「あいつは、法輪功の迫害を利用して、出世を図ろうとしている」と言ったそうです。

 三回目にSと会ったのは、妻が刑務所から出てきた後のことです。Sはある法輪功学習者(警官の家族)に頼んで、私達と個人的に面会したいと連絡してきました。この時、Sはすでに地元の国保大隊の大隊長になっていました。その学習者から、Sがすでに真相を知り、しかも、すでに三退(中国共産党と共産主義青年団と少年先鋒隊から脱退すること)をしたと紹介されましたが、しかし、私と妻はやはり、慎重に考慮し、得失を考えたうえ、彼と会うことに決めました。私達は約束通り、その学習者の家に行き、しばらくしたら、Sも到着しました。私達と会うと、Sは自ら手を出して握手を交わし、「兄貴」と自称して、何か困難があるかどうか、もしあれば、解決に手助けすると言ってくれました。Sは以前と変わらない態度で、誠実的で、真面目な喋り方をしました。Sは、「あなたの妻のような弱い女性が、刑務所に7年間も監禁され、出られたのは、もう普通の人間ではないよ。神様ではないのか」と言いました。

 妻は大法を固く信じ、刑務所のような邪悪のはびこった中でも、くじけず、獄中に迫害された法輪功学習者の権利をある程度守れるような環境を切り開いたのです(関連文章は明慧ネットでも発表されています)。これらの事はすでに、Sが知っているようでした。

 Sは私達に、「周りの人をあまり信用してはいけない」と注意しました。この意味は、周囲には、私達を監視する警官が配置されているとのことです。また、Sは電話を指差して、「こいつが一番危ないのだ」と言い、さらに、「これからもし私の管内で、あなた方法輪功学習者に何か困ったことがあれば、力になるよ。法輪功の人達をどこまで迫害するのか。いつか、きっと名誉が回復する日が来るよ。今、兄貴の言う通りにできる立場にいるから、手助けが出来る」と言ってくれました。別れる時、Sは私の手を握って、「兄貴は、悪い人じゃないよ」と言いました。

 今回会った後、Sは確かに大法弟子を守ってくれていることが分かりました。一部の学習者は真相を伝えて、密告された時、Sはパトロールカーの警官に、「サイレンを鳴らしながら出動せよ。(学習者に急いで離れるように知らせるため)」と言ったそうです。また、連行される学習者がいれば、Sはできるだけその案件を押さえておき、上に報告しないようにしていました。拘束されても、数時間後、長くても2日から3日で学習者は無事に帰って来られました。このような状況は、ずっとSが国保大隊長から下りるまで続きました。およそ5年間の間、私の地元では、法輪功学習者が労働教養されたり、或いは実刑判決を下されたりすることは一度もありませんでした。

 Sは生活の上でも、私達をよく助けてくれました。私と妻は働く権利を剥奪され、元の職場を失い、二つの小さい店を開き、生活を維持しています。少しでも多く稼げるよう、Sはよく友人を紹介してくれました。子供が大学受験の時、Sは、「友達に頼んで、いい学校を紹介してあげるよ」と言ってくれましたが、私たちは丁重に断りました。お正月の時、Sは必ず店に来て、娘にお金をくれました。多い時は2000元、少ない時でも1000元をくれました、Sは、「このお金は、公安局の貧困扶助のお金です。貴方たちは生活が大変なので、このお金を子供の教育資金にしなさい」と言ってくれました。これらのお金を私達は一銭も使わず、全部資料拠点の資金にしました。これで、Sも徳を積むことになると思ったからです。

 「礼は往来を尊ぶ」(訳注:礼儀は一方的にならないよう、礼儀に対しては礼儀で返すという意味)と言いますが、私達も自分のお金を出して少しお返しをして、Sと友達のように付き合いました。Sとの付き合いの中で、似たような事がまだまだたくさんありますが、もうこれ以上くどくど書きません。

 たとえ、中国共産党が大法と大法弟子を狂気に迫害した時代でも、迫害の急先鋒(注釈:先頭に立って勢いよく行動したり、主張したりすること)の警官の中にも、このように良心的で、善悪をわきまえた良い人がいました。その人こそ、国保大隊長のSさんです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/30/330653.html)
 
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