17歳の娘は迫害死、母親は3回の労働教養処分
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  【明慧日本2016年7月21日】明慧ネットに掲載されている「迫害によって死亡した法輪功学習者の名簿」の中の一人に、中国・黒竜江省佳木斯市(ジャムス市)の女子高校生の陳英さん、当時17歳がいる。 

  陳英さんの母親の陳秀玲さん(64歳)は、昨年5月27日、法輪功を迫害した元凶の江沢民を最高検察院に告訴し、その罪を追及するように求めた。以下は陳秀玲さんが刑事告訴状の中で述べた、娘が迫害され死に至った経歴と、自分が受けた迫害の事実である。

陈英生前和母亲陈秀玲的合影
生前の陳英さんと母親の陳秀玲さん

 一、17歳の女子高校生が迫害により死亡

  1996年5月、陳英さんと母親の陳秀玲さんと祖母の紀廷華さんは、同時に法輪功を学び始めた。家族3世代は、法輪功を学んで受益し、身体が健康になっただけではなく、道徳心も向上した。陳英さんの成績は優秀で、一家は幸せに満ちていた。

  1996年、中国共産党のメディアである光明日報が法輪功を中傷する文章を掲載した。14歳の陳英さんは直ちに光明日報に手紙を書いて、自分が法輪功を学んで受益した体験を述べた。1999年7月、科学技術の光が再度法輪功を中傷する文章を掲載した。陳英さんと他の学習者は、連名で科学技術の光に中傷に反論する文章を綴った5通の電子メールを送った。

  1999年7月20日、中国共産党が法輪功への迫害を発動した。2日後の7月22日、17歳の陳英さんは、他の法輪功学習者と同じように、法輪功の真相を伝えるため北京へ陳情に行った。その後、北京の警官に3回連行され、2回脱走した。 

 同年8月15日、陳英さんは3回目の連行で、佳木斯の北京駐在事務所に拘禁された。北京駐在事務所は、もっぱら法輪功学習者を連行していた。警官は月ごとに交替していた。その時の担当は、佳木斯「610弁公室」の李純友らだった。李純友は、手錠で陳英さんを鉄のパイプにつなぎ、飲食をさせず、学校や家族にも知らせなかった。 

 情報によると、李純友らは8月16日に、陳英さんを地元の佳木斯へ連れ戻そうとした。途中、警官は陳英さんに対して、殴ったり恐喝したり、侮辱したりした。警官は手錠で陳英さんを列車に固定し、トイレに行く時に手錠を外すが、トイレのドアを閉めることを許さず、警官は目の前に立って見ていた。17歳の陳英さんは、大きな侮辱を受けて、トイレが終わった瞬間、扉を閉めて便所の小さな窓口から飛び降りた。

  目撃者の話によると、当日の午後2時34分、京秦線の列車から人が飛び降りた。飛び降りた者は、2回立ち上がろうとしたが、立ち上がれず、再び倒れた。列車は十数キロ走った後ようやく止まった。李純友と専務車掌らは、陳英さんを豊潤病院に運んだ。午後6時過ぎ、李純友は「生き返ることができないのなら、酸素を抜け!」と指示した。目的は、まだ息があるのを家族に見させないことだった。当日の夜、すぐに豊潤火葬場に送った。  

 同年8月17日夜、政府の中央テレビは、天津テレビ局の記者に、母親の陳秀玲さんを取材するように指示した。陳秀玲さんに法輪功を学ぶことを放棄するように脅し、さもなければ娘に会えないといった。陳秀玲さんは、まさか娘と永遠の別れになるとは思わず、悲しみに暮れて、娘の最後に会いたくて、本心と違うことを言った。

 翌日の朝、警官に連れられ火葬場に行ったが、警官は娘の遺体を一目見せただけで、800数元の火葬費を払わせた。そして、警官は、強引に陳英さんの家族を追い払った。今なお陳英さんの遺骨を見ていない。  

 1999年8月19日、中央テレビが嘘のニュースを放送した。すなわち「陳英さんは法輪功を学んで、精神が朦朧となり、何度も自殺を図り、家族が見守っていない隙に列車から飛び降りて死亡した」と中傷した。三江夕刊も同じように嘘のニュースを流した。  

 2000年5月、陳秀玲さんはネット上に文章を発表して、虚言を暴き出し、世間の人々に真相を伝えた。 祖母の紀廷華さんは、陳英さんが亡くなった100日目に、悲しみの中で世を去った。享年78歳。

 二、母親の陳秀玲さんは7回連行され、3回労働教養所に送られる

  1999年7月20日、法輪功への迫害が始まって以来、陳秀玲さんは7回連行され、3回労働教養を強いられた。期間中、陳さんは酷い暴力を受け、電気棒で電撃され、野蛮で辛い灌食をされ、長期にわたり後ろ手に手錠をはめられたり、5日間、眠らせないなどの迫害を受けた。  

 2000年2月29日夜、陳さんは法輪功の真相を伝えるため北京へ行く途中で連行され、佳木斯留置場に拘禁された。同年3月13日、警官は陳さんを尋問した際、陳さんの手を掴んで、捏造した陳英さんの死亡書類に無理やり拇印を押させた。同年3月20日、警官は陳さんの家に進入し、恐喝して偽の証明書を作った。後日、これらの書類をジュネーブ人権会議に送付し、陳英さんが迫害されて死に至ったという事実を否定した。 

 2000年6月3日、陳さんは屋外で煉功したため、連行され留置所で9日間拘禁された。 同年11月16日、陳さんは再度、北京へ陳情に行き、前門派出所の警官に連行された。当日の夜、昌平南口派出所へ移送された時、陳さんは脱走した。 

 2001年3月17日、陳さんは2年の労働教養を科され、佳木斯労働教養所に不当に拘禁された。高圧的な迫害の下で、陳さんはいわゆる反省文を書かされた。2002年1月25日に帰宅した。 

 2003年3月12日、陳さんは自宅で連行され、留置場に22日間拘禁された後、2003年4月2日に佳木斯労働教養所に監禁され、3年の労働教養を強いられた。

  2008年8月21日、佳木斯市佳東派出所の警官らが、陳さんを連行した。陳さんの家は荒らされ、テレビ、DVD機械、千数元の現金、戸籍簿、身分証、給料カード、預金通帳などを押収された。陳さんは1年6カ月の労働教養を強いられ、佳木斯労働教養所に連行された。2009年12月3日、陳さんと他の法輪功学習者は、ハルビン市の黒龍江省女子戒毒所に移送された。 

 2011年7月18日午後、陳さんと李桂芳さんが、民衆に法輪功の真相を伝えていた時、奮闘派出所の警官に連行された。陳さんは88日間拘禁された後、2600元をゆすり取られて、ようやく家に戻された。

  陳さんが受けた迫害の事実は、ただ数百万人の法輪功学習者の中のほんの一例である。このすべての迫害の首謀者は、江沢民である。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/7/10/330677.html)
 
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