「至るところに資料点の花を咲かせる」
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年8月1日】最近遼寧省で、大法弟子が一斉に不当に連行される事件が起こりました。大連市だけでも、六十数人の同修が連行されました。同じ日にこれだけ多くの同修が同時に連行されたことは、迫害当初を除けば、初めてのことでした。

 事件後、同修達は反省し、注意すべき現象に気付きました。それは、多くの資料点が同じ場所から材料を一括で仕入れているということでした。それにより、公安に長期にわたって監視され、その結果、これらの資料点が全部破壊されてしまったのです。

 これらの材料販売店、或いは同修の中に、スパイがいるかどうかについては別にしても、私たちはなぜ「至るところに資料点の花を咲かせる」と言う明慧の要求通りにできなかったのでしょうか。

 このことが伝えた教訓は本当に大きいのです。例えば2012年2月25日、河北省と遼寧省など幾つかの省で大規模な連行が起こりました。当時、それは、十数カ所の地域に及び、大勢の同修が連行されました。そのときの起因も資料点の一括仕入れによるものでした。

 資料点の一括仕入れ、一括販売と言うやり方は、一旦邪悪に気づかれてしまえば、関係者全員がすべて巻き添えになるのです。実は、このような一括仕入れを呼び掛け、計画を立てる人は、もっぱら修煉において問題のある人ではないでしょうか。

 故郷にいた頃、大規模な資料点を立ち上げる計画があって、私も誘われました。それは、全地区にむけて、一台の大きな設備で、すべての資料を供給するというものでした。一度に100箱もの紙を仕入れ、入荷、出荷も全部車で運送するという案でした。当時、私は他の協調人と一緒にその案を否定しました。資料を作ることは会社運営ではなく、大々的に展開する必要はありません。なぜこのようなやり方をとる必要があるのでしょうか? それは大きなことをして、功績を上げたがる人の功名心によるものではないでしょうか。こうした場合、大勢の同修がそれに関与し、皆それぞれ心性の次元が違い、その上、大きな資料点では、たくさんの仕事をこなさなければならないため、法を学ぶことを、おろそかにしてしまう可能性も大きいのです。

 資料点に関して、もう一つの問題があります。それは技術を集中することで、多くの隠れた危険性をもたらすのです。遼寧省西部のある町に、修煉をして間もない若い同修がいました。もともと印刷機修理のプロで、技術に詳しかったため、地元だけではなく、近隣地域の資料点の印刷機も彼女に修理を依頼していました。その結果、この同修は突然脳出血になり、亡くなりました。その後、彼女の家から山ほどの印刷機が運び出されてしまいました。

 技術に詳しい同修は多くの同修に教え、技術に詳しくない人は多く学び、また、解決できない問題があれば、明慧ネットの「天地行」に質問をすればいいわけです。どうして技術のある同修に頼らなければならないのでしょうか。そうすれば、同修に害を与えるだけでなく、自分にも障害をもたらしてしまうのです。

 技術に関していえば、一部の問題は、名誉を求める人心の暴走によるものですが、実は、もっと悪い目的を持っている人もいます。彼らはあちこちに行き、技術を教えるという名目で、各地域の中心的な同修と接触し、実に多くの安全に問題をもたらしました。先日、黒龍江省で起きた一連の連行事件もそうでした。悪い目的をもった2人が、同修に携帯の技術を教えるという名目で、全省の至る所に行き、現地の協調人と連絡を取り、その後、彼らが行った場所で、大規模な連行が発生しました。

 私はいつも「どうして多くの人は、いつも何かの形式にこだわり、表面的な大規模な事をやりたがるのか」と考えています。例えば、講演して法を乱すとか、省を超えて統合して、大きな協調をする等々、これらの事は、修煉者が執着心を取り除くという基本原則と大きくかけ離れているのではないでしょうか。

 法を正す時期の大法弟子にとって、何をするにしても、大法の原則に従わなければならず、無理して強がってはいけないと、私は思います。そのような過激な行動は、地域に計り知れない損失をもたらします。私達は「法を正す師に手伝う」という誓いを立てて、地上に来た以上、行動でこの言葉を確実に実行し、法を実証する環境をしっかり守り、妨害されないようにし、本当に私たちの歴史的な使命を果たさなければなりません。

 逆に言えば、もしこの期間中、私達が感情的な行動をして、それにより、地元に大きな損失をもたらしてしまえば、それは、私たちの過失であり、当然、私たちはその責任を取らなければならないのです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/7/23/331654.html )
 
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