北京市の付東満さんは迫害され生涯の障害者になった(写真)
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 【明慧日本2016年8月3日】北京市密雲区高嶺鎮の法輪功学習者・付東満さんは2007年に強制連行され労働教養を科された。労働教養所で付さんは酷く迫害され、右足の踵骨が壊死して無くなり、10センチの穴が現れ、現在苦しみ耐えている。

付东满被劳教迫害致残,右脚跟骨已烂没,成一个洞(慎入)

付東満さんの壊死した右足

 以下は付さんが自ら述べた迫害の経歴である。

 2007年10月20日朝8時ごろ、密雲県610弁公室、国保大隊、高嶺派出所の警官らは合法的な手続きのないまま、突然家に侵入し、家財を押収し、テレビの受信機や法輪功の書籍および関係材料などを持ち去り、密雲留置場に連行して、同年11月20日に2年の労働教養を科した。

中共酷刑示意图:浇冰水
拷問のイメージ図・冷水をかける

 労働教養所では、冷水をかけられ、毎日受刑者に殴打され、左肋骨の筋肉は損傷を受け、2カ月後にようやく回復した。それから、長期にわたり小さな子供用の腰掛に座らされ、背筋を真っ直ぐにして両足を揃え、両手をひざの上に置いて動くことを許さず、少しでも動くとすぐ殴られ蹴られて、長期にわたり労役を強制された。

长时间罚坐小凳子
拷問の再現・長時間にわたり腰掛に座らせる

 2008年に作業していた時、足を負傷したが、治療してもらえず、深刻に悪化してからようやく大興団河公安病院で簡単な処置をしてもらった。その後、雨に濡れて履き替える靴がないため、傷口がひどく潰爛し、医務室でいい加減に薬を交換したため、傷口はますます悪化した。あとで相前後して2回病院で写真を撮ったが、1回目は治療せずそのまま帰った。2回目は骨髄炎と診断され、すぐ手術をしなければならないと言われたが、労働教養所は依然として治療せず帰らされた。

 帰った後、塩水で足を洗うことだけ許されたが、治療はずっと放置したままだった。期間中、医務室の課長と一緒に隊長に足の状況を話し、ベッドで休まなければならないと伝えたが、休ませるどころか、3カ月以上虐待した。昼の休憩も許さず、夜は他の人より1時間遅く寝させ、広間で腰掛けに座らせ、腿の筋肉が萎縮し、足は中華まんのように腫れ上がった。

 2009年3月末、大興団河公安病院に運ばれ2カ月入院したが、まったく好転しなかった。専門家に診てもらったところ、皮膚はすでに潰爛し、骨は黒くなり、治療の時期が過ぎたため、もう治癒できないと診断されたので、労働教養所は諦めて、戻って引き続き迫害した。

 労働教養所で迫害されて私は障害者になり、仕事能力を喪失し、現在苦しい日々を過ごしている。このすべては中国共産党とその関連組織610弁公室、国保大隊、派出所、労働教養所の警官がしたことだ。

 善良な人々が助けの手を差し伸べて、迫害を停止させることを願っている。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/7/20/331625.html)
 
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