天上の音楽が流れ 龍や鳳凰が飛び交う中を 金可記は得道し昇天す
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 【明慧日本2016年8月14日】中国は非常に特殊な所です。多くの天上に入る天の扉が中国にはあります。金可記という人は、修煉のためにわざわざ朝鮮から中国へ渡り、修煉して得道し仙人になって、昇天していきました。

 金可記は、新羅国の出身で、唐の時代の進士であり、性格が穏やかで、贅沢を好まず、道家の修煉に夢中になっていました。金可記の学識は該博(訳注:がいはくとは、学問・知識が広く、何にでも通じていること)であり、記憶力は並外れて優れており、書いた文物はどれも素晴らしいものでした。それに加え、金可記の体型・体格もよく、中華の風貌が現れ、進士になってからは、終南山の子午谷に引っ越して、社会から離れ引き篭もる思いを抱いていました。

 金可記は自ら栽培した珍しい花や果実を数多く育て、常日ごろ線香を立てて座禅していました。また『道徳経』や各修煉経を読んでいました。終南山で3年の間住み、自国に戻りたくて、船に乗って帰りました。戻って来る時は、道家の服を着て、終南山に入りました。

 金可記は徳を積むことを好み、頼まれごとがあると全て引き受け、真面目で、世間一般の人とは、たいそう違っていました。

 唐の大中時代の11年12月に、急に皇帝陛下に書簡を送り、それには、「私は玉皇大帝の命令を受け取り、英文台侍郎の役を務める者です。来年の2月25日には、昇天致します」と書いてありました。

 当時の唐の宣宗(訳注:せんそうは、唐朝の第19代皇帝)は、この書簡を見てたいそう不思議だと思い、金可記に一度訪れるようにと使者を派遣しましたが、金可記は丁重に断りました。唐の宣宗は金可記が素晴らしい人物だと思い、4人の宮人と2人の侍臣と金品などを添えて送りました。

 しかし、金可記はほぼ一人で静室に籠り、宮人や侍臣などが近づくことを禁じていました。毎晩、静室中にお客さんの声がして、侍臣が静かに静室を覗いて見ると、そこには仙人や仙女たちが、龍や鳳凰に乗り話し合っており、また多くの侍衛の者たちもいました。それを見た宮人と侍臣はたいそう怖くなり、そこを急いで離れました。

 2月25日は天候が良く晴れ渡り、五色の雲がたなびき、鶴の鳴き声が聞こえ、鳳凰も飛んで来て、天上の妙なる音が鳴り渡ると、多くの幡(訳注:はた)が天空に溢れ、その中を金可記は悠々と昇天していきました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/8/2/332299.html)
 
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