3年の労働教養と8年の懲役刑を受けた後、姜偉さんはまたも12年の冤罪に(写真)
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 【明慧日本2016年8月16日】中国・遼寧省朝陽市中級裁判所は、朝陽市裁判所が法輪功学習者・姜偉さんに対して下した、12年の不当判決を支持した。

三年劳教八年冤狱辽宁姜伟再被非法判刑十二年
姜偉さんは、3年の労働教養と8年の懲役刑を受けた後、またもや12年の不当判決を下された

 姜さんは真・善・忍を堅持したため、1999年10月に3年の労働教養を強いられた後、さらに2004年9月に8年の懲役を宣告された。期間中、姜さんは離婚を強制され、残虐な拷問を受け、精神病院に閉じ込められて、多くの苦しみをなめ尽くし、胃癌を患った。昨年11月9日、九死に一生を得た姜さんは、再度連行され、半年後に、またもや12年の不当判決を下された。

 以下は、姜さんの娘が泣きながら述べた、母親が連続して迫害に遭った状況

 私は崔シンシンと言い、遼寧省朝陽に住んでいる者です。私の結婚式まで、あと1カ月の昨年11月9日、数人の警官が突然家に押し入り、寝ていた私は驚いて目が覚めた。そのとき、母は連行され、家財は押収された。今年4月13日、刑務所内で母は断食し、その間ずっと苦しみに耐え、30日間も続いた。白いプラスチックの管が母の鼻穴に挿し込まれ、野蛮な灌食をされた。その苦しんでいる光景を見て、私の心はズタズタに引き裂かれた。そして、またもや苦しんだ母に、12年の懲役が言い渡されたのを聞いて、私と姉は驚いて思わず涙を流した。刑期を終えたばかりの母に、またもや12年の懲役が宣告されたからである。人生の中にこのような惨(むご)いことがあっていいものだろうか。目の前の事実が信じられなかった。

 過去の11年のうち、母は相前後して3年の労働教養を強いられ、8年の刑務所暮らし、自由を奪われ、家庭、事業、多額の家財を奪われ、母の帰りを待ち望んでいる2人の娘を失った。このすべての原因は、なんと法輪功を堅持し、母が健康な体を得て、良い人になりたいからだという。

 私はかつて幸せな家族があり、優しい姉がおり、可愛がってくれる両親がいた。母は連行されてから、このすべてが泡のように消えた。2004年、馬三家労働教養所で3年間迫害された母は、再び連行されると同時に、姉も連行された。姉の口から母の情報が欲しいからだ。姉は「大掛」にかけられたり、手錠で壁につり下げられたりして、尋問された。姉は6~7カ月間も拘禁され、親族が3千元を渡した後、ようやく家に戻された。あの時、姉はまだ18歳未満で、父が再婚したため親族に引き取られて育てられた。

 幼い私は、両親に可愛がられ、我がままな子供から一変して、新しい家で不安な毎日を過ごした。姉や母や記憶の中の父と温かい家庭を、始終思い出した。

 このような日々を11年間過ごしてきた。母がやっと帰って来て、家庭はまた温かくなった。しかし、私の結婚式まであと1カ月なのに、母は再度連行された。結婚式の時、私は花嫁の喜びがなく、姉と同じように結婚式の時に母と父がいなくて、両親からの祝いの言葉も聞けなかった。

 12年、母は人生の中で最もすばらしい時期の12年間、何にもかも失ってしまった。これから直面する12年は、どうなるのか想像すらできない。母はいつも私と姉に「何があっても人を恨んではいけない。良い人になるように」と教えた。しかし、どうして良い人になるのに、こんなにも苦難に遭わなければならないのか、全く理解できない!

 警官が家財を押収した後に、荒らされた部屋を整理した時、母が書いた告訴状を発見した。母が刑務所と馬三家労働教養所で受けた残忍な迫害を知った。しかし、誰がこの私たちを助けられるのか? 母を助けられるのか? このめちゃくちゃにされた家庭を誰が助けてくれるのか?! 私と姉は抱き合って大声で泣き続けた。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/7/31/332176.html)
 
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