明慧法会|正念が十分であれば神の奇跡が現れる
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文/湖北省の大法弟子 九月菊

 【明慧日本2016年9月23日】私は字が読めない老農婦です。初めて師父の説法の録音テープを拝聴した時、お腹が熱くなり、焼けつくような感じでしたが、この上なく快適で、「師父と大法は素晴らしい」と思い、それから師父を堅く信じるようになり、「一気に最後まで修煉し、常人社会の苦を離れ、師父について家に戻ろう」と決心しました。

 修煉すると、私の肌は色白でうっすらと赤みがさし、風を切って歩けるようになり、全身にはいくら使っても使いきれない力がみなぎり、誰であろうと笑顔で迎えました。この時、私の体には多くの奇跡が起こり、大法の素晴らしさを目にしました。ここでその一例をあげます。

 2007年旧暦の12月23日、過小年(訳注:旧暦の12月23日のこと)の日、注意力が散漫で、階段を下りた時、足を踏み外して転んでしまい、左ひざの半月板を複雑骨折してしまいました。医者は「年も取っており、けがをしたところが特殊なので、半年間寝たきりにしている必要があり、そうでなければ、終生を障害者として過ごすことになる」と言ったので、杖を突きながら歩くしかありませんでした。

 その日の夜、娘が私に付き添って眠り、看病してくれました。娘はすぐに眠ってしまいましたが、私は寝返りを繰り返しても眠りに入る方法がなく、ひざも痛みましたが、私の心中の苦しみには及びませんでした。「こんなことではダメだ。私にどんな執着や漏れがあったとしても、旧勢力に妨害されてはならず、迫害されてはならないのだ」と思いました。師父は「師がいて、法もあるのに、何を恐れるのですか」[1]と説かれました。師父と大法は私の体を奮い立たせ、中から外へ、そして上から下へ、熱い流れが全身を貫き、私は師が法を正すことを手伝う大法弟子ですから、師父が私をベッドの上に寝かせておくなんてことは絶対にありえず、私は足を迅速に回復させ、私が行わなければならない三つのことを行わなければならず、そうであれば、ベッドは私が留まっている場所ではありませんでした。

 夜の12時の正念を発した後、私は軽々とベッドから下りて、きちんと服を着て、床の上に立ち、煉功音楽をかけて、師父が説かれた「五通りの功法を一度に習得して」[2]の通りに行おうと決心し、体を伸ばすべき時は伸ばし、腰をかがめるべき時は「気機に従い下へ行きます」[3]の通りに行いました。この時、骨が「ゴキッ」と大きな音を立てたのが聞こえ、師父が接骨をしてくださっているのだと堅く信じ、この引き裂かれるような痛みは生生世世の中で受けなければならないほんの一部であり、多くのものは慈悲深い師父がすでに取り去ってくださったのです。師父の慈悲と師父の助けこそ本当に大きいものなのです。

 五式の功法を煉功し終えると、頭上に熱気が立ち上り、顔は涙と汗が一体になり、身に付けていた下着とセーターと綿入りの服は全て絞れるほどになっていました。この時、足はすでに正常に回復し自由自在に歩けるようになったことに気が付きました! そこで、頭と体を洗い、服を洗って物干しざおに干し、それからきちんと朝食を作り、朝食を終えてから6時の正念を発し、娘を起こして自分が良くなったことを伝えました。

 娘は私が高熱でうわごとを言っていると思ったのですが、私が自由に動けるのを見てやっと信じ、喜んで叫び声をあげながら2階に上がり、兄嫁を呼び、家族に「お母さんは良くなった、おかゆも作ってあるわよ」と伝えました。子供たちが走って来て、私の状態を見て呆然となり、それから「法輪大法は素晴らしい! 法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。

 子供たち、親戚、友人はみな大法の素晴らしさを見て、中国共産党が大法弟子を迫害しているのは天理に背いていることなのだ、とさらにはっきりとわかり、めいめいが「三退」し、正しい選択をしました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『長春補導員法会での説法』

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/3/318484.html)
 
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