「ショッピング旅行」で気付いた同修たちの強い人心
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年10月12日】最近、わが地区では「ショッピング旅行」というサービスが生まれ、ある保険会社が提供する香港への数日間の小旅行のようなものです。サービスを受けたい人は、本人の身分証明書と連絡先を提供する必要があります。サービスを紹介する人の話では、全行程が無料です。わが地区から十数人がそのような団体に参加し、そのうちの多くは同修でした。

 その後分かったのですが、観光客は指定された場所でショッピングしなければならず、団体ごとに一定額の買い物をしなければなりません。帰ってきたある観光客の話によると、彼らの団体のショッピング額が少なかったため、帰りの際一時的に足止めされて、もう少し買い物をしてから帰されたそうです。

 また、旅行から帰ってきた観光客はさらに数人、または十数人に「ショッピング旅行」への参加を勧誘するか、または保険を買うことを要求されました。保険に加入したくない人は、一生懸命に「ショッピング旅行」の参加者を探さなければなりませんでした。

 最近、このような「ショッピング旅行」は他の地方でも流行っています。これは人々に「マルチ商法旅行」と呼ばれていて、取引されるのが商品ではなく、旅行という消費サービスです。各地の同修たちに状況を知ってもらうために、私たちは見てきた事情を説明し、共に交流し合い、お互いの参考として頂きたいのです。

 なぜ同修達もそこに巻き込まれたのでしょうか? ある同修は、香港に行けば衆生を救うことができると言いました。もし、同修が真心から団体内の衆生を救うために、旅行に参加したならば理解できます。しかし、行って来た同修達は誰も衆生を救うことを言及しませんでした。もし、同修が「無料」という誘惑を受けて旅行に参加したならば問題です。常人は何をしても構いませんが、同修達がそれで心が動じたならば良くないと思います。

 ここで同修を非難するつもりはありません。大法弟子は一つの全体を成しているので、見聞きして気づいた問題点の全てを内に向けて探すべきです。また、法会のように互いの意見を交流し、同修のため、そして全体の修煉のために基点を置くと同時に、自我を保護する心を取り除くべきだと思います。

 まず、「無料」について交流してみたいと思います。

 毎日の学法の中で、私たちは師父のおっしゃる「失わなければ得られず」という法理に何回も触れているはずです。師父はこうおっしゃっています。「この宇宙に真、善、忍から派生した『失わなければ得られず』という理があり、得たら失わなければならず、借りは返さなければならないのです。自ら失わなければ、強制的に失わされることになります。この理が存在しているので、魔難があるのです」[1]

 また、師父はこうもおっしゃっています。「徳の少ない人は乞食をしても、もらえないかもしれません。人から食べ物をもらうときも、あなたはその人に徳をあげて交換しなければならず、その人にあげる徳がなければ、その食べ物をもらうこともできないからです」[1] 「本当の功は徳によって生成されたものだからです。一人の人間の次元の高さも功力の大きさもみな徳が生成したものです」[2]

 師父の法に照らして、私たちは無料のサービスを受ける過程で何を得て、何を失ったのでしょうか? 実際、私たちは貴重な徳をそのサービスと交換しているのです。師父は修煉者が徳を守るべきという法理をおっしゃいました。この点において、私たちは師父の教えに従ったのでしょうか?

 一部の同修は「私のショッピングによって、相手は利益を得ました。その利益を私の旅行費用に充てれば良いでしょう。ある意味では無料のサービスとは言えず、失と得の問題は存在しません」と言います。しかし、相手がどれだけの利益を得ればあなたの旅行費用を解消できるか計算してみたのでしょうか? もし、最初からこのような付加された条件があり、本当の「無料サービス」ではないと知っていれば、あなたはまたどのように対応していたでしょうか? このすべては、私たちの人心への試練です。

 妨害を受けて自分の使命をきちんと果たせないことは、衆生の願いではなく、師父が望まれていることでもありません。問題が出て来たとき、私たちは内に向けて探し、一つの念、一つの考えを師父の法に照らし合わせ、人心を見つけ出し、自分の大法に符合しない全てを正していくのが、大法弟子のすべきことだと思います。

 私たちは師父が延長して下さったこの貴重な時間を、大切にすべきです。

 大法弟子として、この貴重な時間を旅行などの娯楽に使った時、「これは師父が巨大な犠牲を払って延長して下さった貴重な時間なので、修煉及び衆生を救うことに使うべきだ」と考えたことがあるのでしょうか!

 師父はこうおっしゃっています。「しかし、歴史、そして三界がいくら長い時間を経てきたとしても、ここにやってきた衆生がどれほどいても、皆長い歳月の中のこの一刻を待ち望んでいます。この瞬間は千金、万金に値します。この道をしっかり歩むことは最も素晴らしいことです」[3]

 また、師父はこうもおっしゃっています。「平凡そうに見えますが、無限の素晴らしさと偉大な栄光はその中にあります。この三つのことを良く行なうことができれば、全てはその中にあり、全てが含まれています。法を実証することを行なうことができる時間はもう長くはありません」[4]

 師父は説法の中で「修煉の時間は確かに短いのです。劫難はありませんが、修煉には終わりの日があります。真相が現れたら、何もかも終わってしまい、続けて修煉することもできません」[5]とおっしゃいました。

 この千金、万金に値する時刻の中で、私たちは何をすべきでしょうか

 師父は説法の中で大法弟子が三つのことを行うべきだと、繰り返し、繰り返しおっしゃっています。説法の中で、師父はこうおっしゃっています「現在、最大のことは衆生を救い済度することにほかなりません。多くの人を救ってください! これは即ち、最大のことです」[6]

 師父はこうもおっしゃっています。「真相を伝え、衆生を救い、これはすなわちあなたが行うべきことです。これ以外に、あなたが行うべきことはなく、この世界であなたが行うべきことはありません。あなたはこれらのことを行うべきですが、一部の人は自分が修煉しているという気持ちさえ薄れてしまい、常人のことを重く見ています。皆さんにとって、それは大法弟子の修煉の道から離れてしまったのではありませんか?」[7]

 わが地区においてこのようなことが発生したのは、きっと私たちには内に向けて探すべきものがあって、取り除くべき人心があると考えています。この間の交流の際、同修達はみな内に向けて探し、それぞれ自分に闘争心や恨む心、嫉妬心、怨む心、責任を負いたくなく、極端に走り、自我を堅持する邪党文化や、自分を変えるより常に他人を変えようとする旧宇宙の要素の影響を受けている状態にいることに気付きました。それによって私たちの間に隔たりが生じ、誰もが心を開こうとせず、穏やかな心情で交流することができず、結局、邪悪に隙を乗じられ、自身の精進は言うまでもなく、衆生を救うことをも妨害されてしまいました。

 同修の皆さんに提言したいのですが、一緒に心を静めて学法し、法を師とし、各種の人心や執着を取り除き、自分を良く修め、誓約を必ず果たしましょう! 無量の衆生を救い、最後の修煉の道を必ずしっかりと正しく歩んで行きましょう!

 不足する部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法七』「シカゴ市法会での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」
 [5] 李洪志師父の著作:『北美第一回法会での説法』
 [6] 李洪志師父の著作:『各地での説法八」「二〇〇七年ニューヨーク法会での説法」
 [7] 李洪志師父の経文:『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語: http://www.minghui.org/mh/articles/2016/9/23/335332.html )
 
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