【明慧日本2016年10月12日】私は張国玉といい、今年44歳で山東省のごく普通の農民です。私が今日まで生きてこられたのは、法輪大法により、私の身に奇跡が起きたからです。大法の師父が私に第二の生命を授けてくださったことに感謝いたします。
若い時、私は健康でどんなに多く仕事をしても、疲れを感じませんでした。しかし、2012年41歳の時、急に病気になり、両足がむくみ、地元の病院で治療しても効果がありませんでした。その後、県の漢方病院で「肝炎」と診断され、1週間点滴して治療してもやはり効果はありませんでした。
その後、お腹が妊娠7、8カ月の妊婦ように大きくなり、しかし、身体のほうは骨と皮ばかりに痩せ細っていきました。そこで、徳州市人民病院で検査すると、肝硬変による腹水で、入院して治療することになりました。毎日朝8時半から夜12時までずっと点滴をしましたが、腹水はさらに多くなりました。医師は「これは病状が進行している状況です」と説明しました。最後はお腹が破裂しそうに感じ、10日目に結局退院しました。
家族も焦り、この病気の治療効果の良い大病院をあちこち尋ね、そして、済南市伝染病院肝病科で治療するようにと勧められ、入院しました。しかし、治療方針は前の病院と同様で、ただ異なっていたのは、腹腔穿刺をして腹水を排出する治療でした。その間、医師は最先端の治療方法を勧めてくれ、それは肝臓に管を入れる方法でした。費用は大変高額でしたが、治療効果は不確定でした。また、その時私の身体は衰弱していて、耐えられるかどうかの問題もあり、結局、その方法はとりませんでした。10日間ぐらいの通常の治療により、少し良くなり、退院して、家で療養することにしました。
1カ月後、私は昏睡状態に陥り、大変危険な状態になりました。家族は再び私を県の漢方病院に送りました。その夜、家族は葬式の用意をしました。
義姉は法輪功の修煉者です。義姉は家族に私の耳元で急いで念じさせました。「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい、李洪志先生、どうかお助けください」。次の日、私は奇跡的に蘇りました。医師も不思議に思いました。その後、蛋白のレベルが上がってきて、家族は法輪大法の奇跡を初めて目にしました。
しかし、退院の手続きをしていた時、私は急にお腹が痛くなって耐えられなくなり、全身汗ビッショリになりました。外科で「さい(臍)ヘルニア」と診断されました。命が危険な状態になり、外科で緊急手術をしなければなりません。高齢の主任医師は「腹水が大量で、身体の状態も悪く、手術中でさえ命の保証はできません」と言いました。家族は一縷の望みをもって手術をお願いしました。しかし術後も、腹水は長い間減少しませんでした。
入院費用が高く、私の身体も限界になり、もう治療したくないと思い、家に帰って自然に任せることにしました。
家に帰ってから、私は法輪大法の修煉を始め、真・善・忍の基準に基づいて自分に要求し、心性の修煉を始めました。2カ月後、私の身体に奇跡が現れ、法輪功の動功がゆっくりできるようになりました。不思議なことに、腹水も減少し、状態は日に日に良くなり、除々に思い通りに行動し、農作業もでき、ご飯も作れるようになりました。私は毎日五式の功法を続けようと決意しました。
法輪大法の師父は私に第二の生命を授けてくださいました。師父に感謝いたします。