文/中国の大法弟子 傲雪
【明慧日本2016年10月29日】
偉大で慈悲なる師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
第9回中国大陸修煉交流会の原稿募集がまもなく締め切りだというのに、「何を書くか」 「修煉がよくできていない」 「赤面もの」などの人心がまとわりついて、頭の中が空っぽで、何度も書こうと思っては止めてしまいました。そこで「これは少しおかしいのではないのか、法輪功の修煉で知恵が開かれているはずなのに、文章を書けないことがあるのか?」と思いました。自分の内部にある何らかの心が邪魔をしているのでしょうか? 考えているうちに、頭の中が突然明るくなり、あ、もともと劣等感が邪魔をしており、自分の修煉がよくできていないことで書いた文章が没にされてしまうことを恐れているのではないか、これは結果を求める心ではないでしょうか? 結果を求める心は報いを求める心ではないでしょうか? 報いを求める心は名利心で、自分を実証する心ではないでしょうか? この心は取り除かなければならず、大法弟子は清浄心を持って書かなければならず、心を尽くして慈悲で偉大なる師父にご報告しなければなりません!
14年の修煉の過程を振り返ってみると、多くの苦を舐めて鍛えられてきた中で、確かに数え上げればきりがないほどの驚きと喜びと書き終えることができないほどの出来事があったのです! 本当に大法を修煉することの素晴らしさは言い尽くすことができず、師父の慈悲な済度とご恩への感謝は尽きません! たとえこの時、筆を取り最近の体験をアップロードしたとしても「佛恩浩荡赐圣缘(広大な佛恩は聖なる縁を賜り)、精修正悟洪师恩(精進し師父の恩を正しく悟る)、法正苍穹扫阴霾(法は蒼穹を正し曇りを掃い)、佑徒得果登云天(ご加護を得た大法徒が悟りを開き仙境に登る)」という心の底からの声を現すことはできませんでした。
修煉するにしたがって次第に悟り、心性は絶えず向上し、法のさらに深い内涵に対する理解がますます、そして続々と多くなっていく自分を見つけました。たとえば師父が説かれた「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある」[1]のとおりでした。この説法について悟ったのは、すでに以前の底の浅い認識ではありませんでした。
法を正す時期の大法弟子の誰もが知っていますが、修煉過程の中で出遭う対立や出来事、耐えなければならないすべての痛み、すべての環境は修煉者がたくましく成長し帆を張り苦難を乗り越えて成就し天へ上るためのものです。それならば私たちはどのように遭遇した対立を判断するのか、遭遇した魔難(旧勢力が押しつけて来た邪悪な迫害も当然含む)を打破できるのか、どのように試練を受けるのか、などなど、これらはすべて、すべての修煉者が大法に対して本当に師を信じ法を信じているかどうかを見るためのもので、正道を歩みしっかりと行えるかどうか、本当に向上することができるかどうか、そしてその向上は私たちすべての大法弟子自身が執着を切り捨てられるかどうか、耐えられるかどうかという問題にかかってくるのです。
(一)
はっきりと覚えているのですが、6月のある日、私は実家で台所仕事をしていました(実家は農村にあり、私はかまどでご飯を炊いており、7、8人の客が私の所から50メートル離れた別室でカードゲームをしていた)。かまどの中の土壺の水がぐつぐつと沸騰したので、「壺の取っ手」をもち、土壺を外に出してから魔法瓶に流し入れようとしたのですが、不器用な私は思わず手を滑らせて壺の中の熱湯を右のすねからつま先まで一気にこぼしてしまいました。心臓を引き裂かれるように、体中のすべての毛穴と毛根が激しく痛み、手を滑らせたその瞬間、本能的に「師父、李洪志師父、どうか弟子をお助けください!」と叫んでいました。一瞬でしたが、師父のお名前を叫んだちょうどその時、すでに激痛をぐっとこらえて歩き始め、早足で歩きました。大法弟子は神の意志による導きがあるので、痛くて死にそうでも歩みを止めないのです! このように歩くごとに激痛を感じながら念じていると、1時間ほど後「ふっ」と一気に激痛が和らぎ、常識で考えれば、熱湯でやけどした傷とその部位は皮がはがれて血だるまの状態になっているはずですが、腰を曲げて見てみると、驚くようなことを発見しました。すねの内側に手のひら大のかたまりとつま先の皮膚に大小さまざまな血の泡が重なっているのを除いて、あとはただほんのり赤く変わっていただけでした。夏でしたが、長ズボンに履き替え、誰にも血の泡を見られないようにして、1時間前に私がこのような大事を経験したことがわからないようにしました。
激痛が和らいでも、実際その痛みはやはり常人では我慢できないものでした。そこで、歯を食いしばって痛みをこらえ、食卓を料理でいっぱいにして気持ちを込めて客を接待し、食器を洗うのも、食器をしまうのも、お茶を入れるのも一気にやり遂げました。そして、部屋に戻ってから座禅をして法を暗唱し、正念を発しました。夜になってから同修である家族と一緒にいつものように煉功していた時、なんと足はそんなに痛くなくなったのです。中腰になって前かがみになり、座禅を組むなど、すべての動きは思いのままでした。なんと不思議なことでしょうか、法輪功の修煉の素晴らしさは言葉では言い表せないほどでした! こんなにも灼熱の夏の日に意外にもほんの少しの炎症の形跡さえありませんでした。次の日、いつものように外で真相を伝え、3日目、自転車に乗って40キロ離れた農村まで行って真相を伝え、5日目、血豆のしわが柔らかく黒くなってきたので、ミシン針で血豆を裂きながら、親しい人や隣人に、グラグラに沸いた熱湯で足を火傷しても無事に危険を免れたことを伝えました。その場にいた誰もが「法輪大法は本当にすばらしい!」としきりに感心しました。師父の大きな慈悲なるご恩に感謝し、弟子を加護し、幾度も法輪大法の奥深さと素晴らしさを見せてくださったご恩に感謝し、法を伝えに行き多くの人を救いました。
(二)
今年(訳注:2012年)の初めのある日の午後4時ごろ、ある駅で真相を伝えていた時、地元の警察署の警官に不当に連行され、パトカーに乗せられました。私を不当に連行したちょうど20歳を過ぎたばかりの2人の警官を見て、急に悲しくなりました。この2人は何もわからないままに大法弟子を迫害するという悪事を働いてしまうなんてかわいそうだと思ったので、旧勢力が2人の警官を操って大法に対して犯罪を犯させ救われる機縁を失わせることを決して許さない、と思いました。そこですぐに、落ち着いて、中国共産党が最も恐れる九つの文字「法輪大法好(法輪大法は素晴らしい)!真善忍好(真・善・忍は素晴らしい)!」を声高らかに叫びました。10分ほどで警察署に着き、尋問調書を取られましたが、協力せず、ずっと慈悲をもってその2人の警官に真相を伝えました。
2時間近く真相を伝えていた時、1人の警官が外回りから帰って来て私が真相を伝えている場面に出くわしたので、その警官は有無を言わさず電話で上層部に相談して私を後ろ手に手錠をかけましたが、私の右手は手錠から自然に外れたので、掌を立てて正念を発し、警官たちを操って大法に対して罪を犯させ警官たちに救われる機縁を失わせようとしているすべての邪な要素を取り除きました。そして、「いかなる口実をもってしても旧勢力が私を迫害することを許さず、無条件に私をすぐに帰さなければならない! 師父にご加持をお願いします!」と正念を発しました。私が正念を発しているのを、私を後ろ手に手錠をかけた警官が見て「すごいですね、手錠はどこへ行ったのですか、私たち3人とも同時に見ていたのに」と言いました。手錠をかけて別室に連れて行かれた後、私は再び「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と声を上げました。手錠をかけた警官ははげしくビンタし、ふきんで私の口を封じようとしたので、その警官に慈悲深く「私にこのような扱いをするあなたが悪いとは少しも思っていません。なぜならあなたは真相を知らず、江沢民と中国共産党の虚言にだまされて利用されているだけです。あなたは大法弟子が今、最も良い人であり、衆生が救われる唯一の希望であることを知らないのです。あなたは私の子供ではありませんが、今、自分の子供を愛するのと同じ善念を以ってあなたが呼び覚まされることを祝福し、あなたは『人は生まれ落ちた当初には、その天性は皆が善良である』という本性で大法弟子に本当に優しく対処することができ、それこそあなた自身の命を大切にする事なのです! そうすれば、あなたの命の永遠の未来はきっと限りない美しさにあふれるでしょう」と言いました。そう言い終わると、私は引き続き「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と大声で叫びました。私を不当に連行した2人の若い警官の顔がついに「曇りのち晴れ」のように笑うようになり、私のことをかわいそうに思ったかのようでした。私に手錠をかけた警官も机に近づいて、私のカバンの中を探り「生命の守り札」を持って行ったので、私は『論語』を暗唱し始めました。
その時、警官たちに本当に真相をわかってもらい、救たいと思いました! そこでひと息に『論語』を3回暗唱し、夜の7時過ぎになりました。闇が濃く雨が降る夜は寒く、突然1人の警官が外から入って来たので、注意して見ると、ちょうどこの間真相を伝え三退をした警官でした。その警官は顔を曇らせたまま顔色一つ変えずに「2人は私と一緒に証拠を集めに行ってくれ、上層部はこの人を夜休ませずに送るよう要求している」と言いました。そこで私は「こんなに遅くにどこに証拠を集めに行くのか、師父はこの警官を呼ぶことによって早く魔手から脱するよう私に教えてくださっているのではないのか」と思いました。良い念と悪い念では結果が異なります。私は心の底から「師父、弟子は家に帰ります!」と申し上げました。そして、私が『論語』を暗唱しているのをまじめに聞いていた留守を守っていた警官に「手錠を外してください、トイレに行きたいんです」と言いました。すると、この警官はぐずぐずせずにすぐに手錠を外したので、私は焦らず慌てずにトイレ(2階にあった)に向かい、ドアを閉めると、すぐにトイレの窓の金属の縦格子のしきりをすり抜け出て楽々と飛び降り、しっかりとかかとを下ろし、飛ぶように抜け出して家に帰りました。結局、連行されてから抜け出すまでは大体3時間くらいでした。
家に帰った後、掌を立てて正念を発し、旧勢力のすべての邪悪な按排を全面的に否定し、旧勢力が押し付けた私に対するすべての迫害をすぐに終わらせました。
次の日、厳しい試練に直面しました。家にいるか、それとも外へ出るか、どちらにしても身を落ち着ける所がなくなってしまいました。そこで、私は同修である夫に「どこにも行かずに、家で法を学び正念を発します! 誰も私を動かせません!」と言いました。師父は「巨難の中堅定を要し」[2]と説かれました。大法弟子はいかなる危難にもせっぱつまったりしません。もし本当に自分のすべてを師父にお預けし、大法の中に身を置くことができれば、必ず「弟子の正念足りれば 師は回天の力有り」[3]という大法の威厳を目の当たりにすることができるからです! 5日目、同修の所に行き、自分が行うべきことを行いました。その日から現在までずっと行うべきことを行ってきており、何もなかったかのように大法弟子が行うべき三つのことを行ってきました。すべてがこのように和やかで、自然で、落ち着いていました。慈悲なる師父の大恩と済度に感謝申し上げ、弟子が何度も落ちそうになる中、新たに正道を歩めるよう加護していただき、正々堂々と法を実証できたことを感謝申し上げます。
(三)
ここで、警察と政法委員会の人員にどのように真相を伝え三退を勧めるのかを同修と交流したことについて話したいと思います。至らないところがあればご指摘をお願いします。
時々、真念が生じて警察や政法委員会の生命に真相を伝える時、伝えながら心は涙があふれてくるようになりますが、それは本当の慈悲であったかもしれません。かれらに真相を伝える時、警官や政法委員会の人員の職称や名称で呼ぶことは少なく、一般的には李さんや趙さん、あるいはxx社長、xx先生などと呼び、まずお高くとまっている傲慢で不遜きわまりない相手の習慣をとり除くと、お互いの親しさに近づくことができ、平和で親切、素朴で自然な態度で相手の考えを尊重し、伝えなければならない真相の話に入ると、最終的に二言三言で三退させて救うことができました(なぜなら警官や政法委員会の人員は毎日パソコンで真相を見たり三退を見たりしているので、救われるまでにもう少しの隔たりがある警官や政法委員会の人員も中にはいるからです)。
ある時、警察署の若い指導員に真相を伝えました。(指導員は警官を3人連れて家宅捜索に来た)。私は格別に優しく、心の中で「師父、弟子はやって来た人を救いたいのです。ご加持をお願いします」と申し上げました。手早くお茶を入れ、微笑みながら指導員にお茶を出し、座ってもらって名前を尋ね、身だしなみを整えて、大法弟子の威徳を表しました。私もお茶を飲みながら、指導員と警官たちの向かい側に座り、善の心で道理をしっかりと捉えながら話をしました。
私は「xxさん、こんにちは! 私の家にお客としてきていただいてうれしいです(他の家宅捜索に来た3人を示しながら笑って合図した)。あなたたちのやり方は粗暴で困りますが、初対面にもかかわらず古いお馴染みさんのように感じます。あなたは私の生徒か息子のように感じました! あなたも同じように感じませんでしたか?!」と言いました。(私は話を中断して、微笑みながら指導員に向かって「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と静かに念じ、指導員の様子を見た)。すると、指導員はかすかに笑いました。そこで、私は指導員に、人生の中で人と人は離れてもまた巡り合う機会があり「雨降って地固まる」と話し、知り合った機縁を大切にしようと思いました。話しながら私は正念を発し、指導員はうなづきながら微笑んでいました。機が熟したあと、私は立ち上がって守り札を何枚か取って「この守り札をあなたや親しい人や友人に贈ります。家に置いたり、車に乗せれば、大法のご加護を得ることができますよ。ただ、必ず誠実に『法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!』を覚えてくださいね」と言いました。すると、指導員は繰り返しうなづいて、守り札をカバンにしまいました。
すると、3人の警官は自然に家宅捜索をやめ、指導員の前にきて「帰りましょう」と言いました。かれらが帰って行く時、私たちは握手をして別れました。次の日、私は電車に乗って指導員の事務所に行き「昨日は三退して命が保たれる秘訣を伝え忘れました。(実際には念を入れてわざわざこのように後から三退のことを話した)。あなたに仮名を付けてあげますので、中国共産党と共青団と少年先鋒隊を脱退しましょう」と言いました。すると、指導員は「いいですよ、どうぞお願いします」と言いました。この警官はこのようにして救われました。
もちろん、この指導員は真相をとっくに知っていたからこんなに簡単に救われたのですが、いつもこのように簡単にいくと思ってはならず、私たちが人を救う時に、もし一思一念に善の心と知恵が不足していたら、人をマイナスの方向へ駆り立てるのはほんの少しの違いだったかもしれません。
ある時、正法委員会の4人の人員と乗用車に乗車した時、道が遠く時間がたっぷりあったので、私は「法輪功とは何か」から話し始め、「江沢民と中国共産党はなぜ法輪功を迫害するのか」 「大法弟子はなぜ個人の安否を顧みず真相を伝え人を救うのか」 「なぜ天が中国共産党を滅ぼすのか」 「なぜ三退して命が保たれのか」を話しました。一気に3時間伝えると、みんな聞いているうちに気分がしゃっきりし、競い合うようにして質問してきました。最後に、もうすぐ家に着く時に、1人が矢も楯もたまらないように「私たちも脱党させてください!」と言いました。
ある時、他の地方の人と同乗して行政機関の所在地に行った時、しばらくの間、真相を2時間伝えましたが、その人は一言も言わずに聞いているだけで、最後にもうすぐ駅に着くころになって「ご存知ですか? 私はxx県の610弁公室の主任です。たくさん私に伝えてくださってありがとうございます、仮名を付けて脱党させてもらえませんか」と言いました。そして、その人は自分が何がしという姓かを私に教えてくれました。
かつて私と同修を迫害した『610弁公室』のスタッフ、警察署、留置場、労働教養所の警官に私は何度も次々に真相を伝えると、少し話すだけで三退しました。これらの救われた生命は迫害に加担することをやめただけでなく、迫害組織から毅然として決別し、「法輪大法は素晴らしい、法輪大法弟子は素晴らしい」と積極的に伝えた人もいました。また、自分の職務を利用してひそかにずっと大法弟子を助け、大法弟子を保護した人もいました。これらの衆生が救われ、このような選択を行えたことを見て、なおさら精進しなければならないと励まされ、いぜんとして迷いの中で救われることを待ち望んでいる多くの世人を呼び覚ましに行こう、と励まされました。
中国の警官は一般的に中国共産党による奴隷化教育に深く毒害されており、特に大部分の「610弁公室」や国保大隊のスタッフ、正法委員会の人員、警察署の警官、(労働教養所の)隊長(もちろん本当に悪い警官は除く)も、ならず者の江沢民政権によって操られて大法弟子を迫害しただけであり、そのままではその人たちはスケープゴートにされてしまうでしょう。私たちは罪のないその人たちの生命を恨むことができますか? その人たちの危急を見て救わないということができますか? その人たちはこの世では中国共産党が大法弟子を迫害するための道具になってしまいます。その人たちは善と悪の中であてもなく這いずり回っているのです。常人の生活に戻れば、その人たちは生き生きとした子供の体を持っており、親の心を持っており、上には老人、下には子供がいる家族の要であるので、私たちはここを突破口とすることができます。本当に善念を動かし命を大切にし、その人たちを平凡な人と見なし、よい友人として見なし、その人たちが正道を歩めるように導き、善良な大法弟子の無私無我な道徳理念と不屈の意志で、その人たちを感化し、包容し、目を覚まさせて真相をわからせて三退させましょう。
師父が慈悲深く弟子を導いてくださったことに感謝し、たゆまずさらに多くの人々を救います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「堅定」
[3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」
(明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)