技術者同修の苦悩 「私を崇拝し依存しないで」
■ 印刷版
 

文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2016年11月6日】私は修煉者として、この1年間、極めて大きな悩みを抱えてきました。本日、それを書き出して、皆さんと交流したいと思います。

 去年の秋ごろから私の状態は芳しくなく、いつも胸が苦しく、しかも、頭に重たいものが圧し掛かったような感じがしていました。ちょうどその頃、多くの同修が私を崇拝したり、依存する現象が起きていました。

 私は法を暗唱してから数年間経ちましたが、それを聞いた多くの同修は私を称賛し、崇拝し始め、甚だしきに至っては、「〇〇さんの状態は素晴らしく、法を〇〇回も暗唱できた」と言いふらす同修がいました。今度、その噂を聞いた同修は私に会うと、「名が上がっていますね」と言いました。実は、自分の修煉状態を同修たちに交流したこともなく、どうして私の状態が素晴らしいと言われる理由が全く分かりません。正直な所、私には本当に改善すべき所が多く、しかもたくさんの執着心をまだ取り除いていません。

 私はとても悩みました。その後、どこに行ってもすぐ同修に囲まれ、ある日、同修の所に行けば、3人の同修が同時に話しかけて来て(すべて技術の助けがほしいとのこと)、どう対応すればいいか、正直分かりませんでした。一部の同修は何かの問題があれば、すぐ私にお願いに来ます。MP3を修理してほしいという同修がいました。私はMP3を修理することができないのに、同修は以前修理していたでしょうと言います(それは単にMP3をフォーマットしてもう一度取り付け、たまたま使えるようになっただけでした)。また、アップルのipadを研究してほしいとか、「急がないから、いつ出来でも構いまわない」とか言う同修もいました。さらに、『轉法輪』の中の文字の読み方を聞きに来る人、修煉状態が良くないから、私と交流したい人、最後に、協調することも、携帯電話のバージョンアップも、携帯の購入も、取り付けも、プリンターのことも、ネットにアクセスすることも、文章を書くことも、資料を収集することも、OSの取り付けも、同修の救出のことも、なんでもかんでも私に頼んできて「あなたの修煉状態がいいから」と言ってくるのです。私は本当に悩みました。同修と交流したら、同修は「それは当然でしょう。あなたと相談するのが一番安心だから」と言って、つまり、あなたは法を暗唱し、何でも法に基づいて行っているからという意味でした。

 その後、私は法を学ぶことについて、少し追いつかない感じがしました。ある同修に、「もっと法を学ばなければなりません。しばらく休ませてもらえないか」と聞きました。同修は「どうすればいいか、自分で判断してください、多くの同修はあなたを待っています」と言います。家に帰って、ベッドに倒れ込み、自分が動けなくなって、頭に厚いものが圧し掛かり、息ができないように感じました。一部の同修は私を急がせているのですが、私は理解してほしいのです。せめて私に自分を調整する時間が欲しい、もっと法を学ばなければならないと切に思いました。私は泣きながら、自分に分身術があれば、私1人を8人に分身できればなんて素晴らしいことでしょうと思いました。

 数年前、私は2年ほど、グループ学法に参加しない時期がありました。グループに行っても、多くの同修とあまり交流せず、皆は私の話を聞きたがっており、それはおかしいと思ってグループ学法をやめ、自分で法を学ぶようにしました。その後、やはりだめだと思い、再びグループ学法に参加しました。今度は、同修の私に対する崇拝と依存する心に気づきました。最近、また2年ほどグループ学法に参加しておらず、前後合わせて5年間集団学法に参加しませんでした。

 この1年間、私は誰にも会いたくなく、どの同修にも会いたくなく、深刻な自閉症の状態に陥り、時には、極めて大きな圧力を感じ、もうすぐ潰れるのではないか、甚だしきに至っては、もう「修煉をやめたい」とまで思いました。そして、怨恨の心も顕れ心の中では「旧勢力に迫害されなくても、数人の同修が手を組めば、十分私を引きずり下ろすことができる」と思いました。最近、ようやく自分が迫害されていることに気がつきました。

 もちろん、中には、私が修めなければならないものがあると思います。しかし、本当に、もう私を崇拝し、依存しないように同修たちにお願いしたいのです。修煉の中で、私はすべての同修たちと同じように、小さな、小さな修煉者に過ぎません。自分は少し技術ができる修煉者として自慢したこともなければ、法を暗唱できたからと言って、なんでもできると思ってもいません。修煉の中で私は何をすべきか、それは全て師父の按排です。私にはたくさんの修めなければならない人心があり、しっかり行っていないことも多々あるのです。

 同修達に切にお願いしたいのです。決して法を学んで、人に学ばないようにしてください。このようなやり方は実は旧勢力の仕業で、崇拝された同修にも良くない物質を加えています。一旦崇拝された同修は、人心が浮かんで来るとそれは大変なことになり、同修を迫害しているのと同じことです。同時に、自分の法を正す修煉の道をしっかり歩んでいないことにもなります。

 これらのことを言い出すのは、同修達を責めるつもりはありません。崇拝と依存の心は本当に人を害し、自分自身をも害する行為です。同時に、法を正して、衆生を救い済度することに、悪影響を与えるのです。ぜひ今後の戒めとするように強くお願いしたいのです。

 個人の修煉の次元に限りがあります。法に沿っていない所があれば、慈悲なるご叱正をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/2/336870.html)
 
関連文章