夢の中での所見 「最後の機会」
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2016年11月7日】重い心情でこの文章を書きます。私と同じように麻痺して、だらけている同修を励まし、警鐘になることを希望しています。法を正す進展の最後の最後になり、一秒を争う気持ちになっていただきたいのです。

 夢の中で、目の前に現れた情景は、この空間と同じなのですが、混沌として荒涼(荒れ果てて寂しいこと)としていました。周りを見渡すと私一人でした。ちょうどこのとき、私を驚愕させる一幕が発生しました。目の前の大地や樹木などのすべてが地球から離れ、巨大な風船のように、緩やかに上昇し始めました。しかし地面を離れる時、船の形でなく、底辺は、樹木が根元から抜き取られたように、根元についている泥や土が絶えず落下していました。夢の中でこの情景がはっきりと見えました。

 この時「私には新しい世界に行く資格がなく、修煉ができておらず、誓約を果たせていないので一貫の終わりだ」と思いました。私は「上がっていけるのは基準に達した人たちであり、少しの瑕疵もなく、真に修め、実修の中で誓約を果たし、人間のすべてを放下した同修だけが、上がる資格がある」と知っていました。この時私の頭は空白になり、茫然として立ちすくみ、動けなくなりました。私は突如としてやってきた巨大な変化と、直面しようとしている恐ろしい結末に衝撃を受けました。心の中は万般たる後悔の念に襲われて、言葉もありませんでした。

 周りは絶えず緩やかに上昇し続け、私と10メートル足らずの距離になって、整えられた透明な小箱が一列に並びました。小箱はおよそ20~30個ありました。箱の真上には一組の数字があり、数字は8ケタか9ケタでした。しかし箱の中は空でした。本来ならば箱の中は満杯になっているはずでした。その数字は私が修煉を終えたとき、私の修煉とつじつまが合うようになっているはずの数字でした。

 私の当時の認識は「その箱が満杯になるのは、大法弟子の威徳と修煉過程で、その数字は救うべき衆生の数であり、私たちが救う衆生がその数字と一致していなければなりません。一致していれば上に行くことができ、師父について新しい宇宙に入り家に帰れる」のです。しかし私の箱はすべて空であり、しかも一連の数字は、私の修煉と全くつじつまが合っていなかったのです。

 私は以前衆生を救い済度する仕事をしていました。しかし基点が不純で、長期にわたり大法の中で適当に過ごしていました。学法も、煉功も、発正念も、心性の修煉も、真相伝えや衆生済度もできず、合格した項目はなに一つありませんでした。

 ここまで書いたところで、怯えで冷汗が出てきました。修煉ができていないのは一面でしかなく、誓約を果たしていないことが最も恐ろしく、その結果は想像もできませんでした。一切が終わりを迎え、万念が全滅し、一つの生命が死に直面した時、助けてくださいと叫ぶ本能さえもなくなってしまっていました。

 根本から生きることにふさわしくないと思いました。なぜならば、師父は私たちのものを多く背負って下さっているのに、自分が誓約を果たせていないために、無量無限の衆生が崩壊し、解体されたのでした。まさに師父がおっしゃったように「罪はこの上なく大きいのです!」[1]。師父は過去の説法でこのようにもおっしゃいました。「この歴史の機縁を逃した人、今回の機会とすれ違った人であれば、自分がどういうことを逃したのかが分かった時、生かしてもらえてもあなた自身は生きる気を失います!」[2]。この言葉は私の心情そのものでした。

 まわりは頭上斜めに上昇して、突然止まりました。実は、上昇を始めたとき、師父が右端に立っておられたのが見えました。師父は私をずっと見ておられたのでした。心がえぐられるような痛み、その悲憐さと失望感は、常人とのどの生離死別よりも、万倍の苦痛でした! 

 師父、申し訳ありません。師父、申し訳ありません。師父、弟子は修煉ができていませんでした。この時、私の脳裏は空白となり、どんな念の現れも一種の侮辱を覚えました。

 ちょうどこのとき、、私の生命に呼びかけがありました。そして緩やかに下降し始めました。師父は私を置いて行くことがおできにならず、恐しい結末を迎えようとしている弟子に、再び無辺の慈悲を顕されました。

 このとき私のそばを通りかかった女性同修が近づいて、空になっていた箱の半分ほどを持ち去ってくれました。これらのすべてが師父のご意思であり、私が救えなかった半分の生命を、同修に負担させてくださったと悟りました。残り半分の箱を私が満杯にさせることで、その各組の数字と適合し、その不足を補うことができるのです。しかし、自分が救えなかった無量の衆生は消滅される羽目になり、私はこのため永遠に自分の先天の最高の位置に戻ることができなくなりました。

 同修が箱の整理を終えると、師父は「3分後、継続的に上昇します」とおっしゃいました。このとき私は夢から覚めました。

 師父は最後にもう一度、私に3分間の機会を与えてくださいました。人類が存在する空間の時間の、どれだけに値するのか分かりませんが、極めて短い時間であることは間違いありません。このことを書き出したのは、私と同じく過去に実際の修煉ができていない同修が、精進できる最後のわずかな時間を掴み取り、長期にわたり形成した人心を放下して、急いで表に出て衆生を救い済度し、旧勢力の手から衆生を奪い返していただきたいのです。できるだけ早く過去の損失を補ってください。亡羊補牢(ぼうようほろう・損失が大きくなる前に補う)に、また少しの機会が残されました。もしさらに引き伸ばせば恐ろしいことになります。今の一秒が生命の存亡にかかわっているのです!

 浩蕩(こうとう・広々として雄大なこと)たる師父のご恩に感謝します。それとともに、弟子は今から時間を大切にして三つのことをよく行なって、法の中に溶け込みます。夢の中での警鐘を骨身にしみこませ、心に刻んで、すべてをよりよく行う原動力にします。人心を解体し、常人の中から抜け出して、師父の洪大で慈悲なるご期待に再び背くようなことはいたしません。再度ひざまずいて叩頭し、師父に感謝申しあげます。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『2016年ニューヨーク法会での説法』

 [2] 李洪志師父の経文:『大ニューヨーク地区での説法」

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2016/10/30/337001.html)
 
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