文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年11月23日】法を正す進展がますます進むにつれ、中国では悪事を働いた人がたくさん悪の報いに遭っています。この時、一部の同修は、環境が徹底的に正されるのも間近だと感じ、どこに行って遊ぶか、どんな美味しいものを食べるか、どんないい家に住むかなどを考え始めています。この最後の機会を大切にして、自分をしっかり修煉し、いかに人を救うかを考えていません。これは実にあってはいけないことです。
現在三退人数は2億5千万を少し超えただけです。中国の人口は13億以上です。そのなかから、中国共産党の如何なる組織にも参加してない人を除いても、現在の三退人数では楽観視できません。
私たちは法理上知っています。修煉者として、師父の要求どおりに行わなければならず、そうしてやっと最後に成就できます。自分の憶測で、自分がどんなふうにやればよいと思って、そのとおりにしたら、それは認めてもらえません。
歴史上、私たちはありとあらゆる辛苦を経験し尽くして、やっといま真に天上に戻れる大法を得ることができました。これは如何に幸運なことでしょうか。今生の修煉において、特に邪悪な迫害時期において、真に修める弟子の多くの人が精神的、肉体的、経済的に非常に大きな迫害を受けました。にもかかわらず、私たちはみな法を正すことに対する確固たる信念にたより歩んできました。しかし、法を正すことが全体的にすぐ終わる時期において、私達はどうしてしっかり努力して「法を正す時期の大法弟子」としての歴史的使命を全うすることができないでしょうか。それでは、この万古の機縁を大切にしていないことになりはしませんか。しかも、実際俗世間でのすべの人心は私達が修煉するなか、徹底的に放下しないといけないものです。私達が人々に迫害の実態を伝えるのは、彼らに共産党の邪悪を知ってもらうためです。しかし、私達自身はこれらの迫害を重くみてはいけません。私たちの目標は衆生をつれて、天上の永遠の故郷に戻ることです。
このすべてを分かったら、私たちはなぜこの肝心な歴史時期に精進できないか、必ず考えてみるべきです。もしかして、自分の興味のあることに執着していないか、例えば、今日どのトラが籠にはいった、明日はだれがどの国の大統領になる、或いは、どの人がどんな政策を実施するなど。多くの場合、これらの人間社会でのことは私達が真相を伝える素材になるだけであり、人々に善の念を啓発させます。しかし、私達自身は決してこれらに執着してはいけません。執着したら、邪悪に隙に乗じられてしまいます。師父は数回の説法のなかで、「主役」について提言されました。人間社会は大法のために造られました。私たちが如何にしっかり主役を演じるかは非常に重要なことになります。
一度、夢のなかで、最後の瞬間が到来する時、自分が修煉過程のなか、たくさんよくできてないところがあることに気づきました。例えば、一部のことはもう少し忍耐すれば、結果がそんなふうにはならなかったはずで、経済的にもそれほど困難にならなかったはずです。同修と協力しあう中、自分がもう少し穏やかであれば、全体の力が非常に大きく増加したはずで、修煉のなか、たくさんの不足があったから、阻害にぶつかり、たくさんの衆生が救われませんでした。夢の中で、その後悔は言葉で語られませんでした。当時、わかったような気がした一点は、人心がある場合、法理上人を救いにいかなければならないと感じています。その時、慈悲に対して更に深い理解ができました。それはその次元の生命を構成する要素ということでした。慈悲は人間社会で修煉するなかで、現した善ではなく、更に無比な威力を持っている善の本性です。その時、自分が修煉するなかで、しっかり行っていなかったため、衆生にもたらした損失を見ると、それは心の底から言いしれない辛い思いがありました。
目が覚めてから、私は考えました。過去の経験をまとめ、今後の路をしっかり歩もう、絶対再び自分の思い通りに行わず、無条件に師父の要求されるとおりに行い、それでこそ、真に精進することができるということでした。
時間は本当に限られています。時間を大切にして、精進し、私達が行うべきことをしっかり行い、しっかり主役を演じ、使命を全うしましょう。