文/黒龍江省の大法弟子
【明慧日本2016年8月22日】年を重ねるとともに、現地で多くの年配修煉者の体に老化していく状態が現れました。この現象をどう見たらよいでしょうか。
数年来、これら年配修煉者は老化現象に対して発正念をし、内に向けて探して、老化現象を修煉上の難関だと思っています。老化の原因を探すための発正念と交流に多くの時間を費やしたのですが、効果が見えません。
現状に悩まされて大法を疑う修煉者もいます。修煉すると若い体を保てるはずだが、どうして私はこのようになったのか? これだけ多くの修煉者が年々老化していくのは、師父が私たちを守っていないのではないか? もしくは老化の問題において大法はまだ不完全ではないのか? ……などの考えがあります。また、年をとり体が弱くなり、修煉のほうも「定年退職」して家で修煉するだけで良いと思う人もいて、十数年も修煉したのに体の老化を防具ことができないのは、きっと私はまだ三界を出ていないのだ。では、円満成就できるのか、悲しいと思う修煉者もいます。彼らは老化の問題をめぐって新しい執着心を形成し、ついに安逸な生活に陥って、耳が遠い、体が弱いなどを理由にして外に出て真相を伝えなくなっています。
実は、老化することはもともと旧宇宙の成、住、壊、滅の規則ですが、法輪大法を修煉すれば寿命を延長し老化を遅らせることができるのです。遅らせる過程で修煉者は煉功を通じて「高エネルギー物質で細胞成分に代替して、別の空間の物質で構成した身体になる。この人はそれでいつも若さを保つようになり・・」と『大圓満法』に書かれています。しかし、ご存知のように、寿命を延長して老化を遅らせることには条件があり、要求があり、限度もあります。その要求を満たさなければ、細胞は高エネルギー物質に取って代わることもなく、老化は必然の結果になってしまいます。
それでは、老化の背後に一体どんな原因が潜んでいるのでしょうか? 師父は『ロサンゼルス市法会での説法』に「修煉の中で、表面の状態が完全に変化しなかったこの部分は、この空間の時間の制限から離れていません。もし、この空間の体がこの時間に制限されず、完全にこの空間の時間から離れるまで、修煉していれば、この時間はあなたに対して、作用することができません。一部の学習者はこのようになっていますが、すべてではありません。それぞれの修煉の道が異なり、按排された状態も異なります。多くの人の場合、修煉してできた一面は、間隔によって神の一面の影響を受けられないのです」と説かれ、また、「もう一つの原因はつまり、旧勢力の妨害の要素がまだ作用しているからです」と私たちに教えられました。
師父はまた『世界法輪大法デーの説法』に「多くの年配修煉者は身体に老化現象が現れましたので、少し問題があるかもしれませんが」とおっしゃいました。
上記の法理から、体の老化には複数の原因があると私は思います。しかしどんな原因か、どの面に「少し問題がある」かに関わらず、老化している修煉者にとってすべては試練で、すべて努力して乗り越えなければならないのです。そのため、このような修煉者はしっかりと正念を持って、自身の情況に最大の努力を尽くして、最後の道を順調に歩む必要があります。
現実の中でどうすればよいかについて、私が考えるには、まず師父が『二〇〇三年旧正月十五日の説法』におっしゃった「正念をもって全てに対処してください!」の言葉に従うことです。古い大法弟子として四六時中、万事において正念を保ち、どんなことに出遭っても師父と大法を疑わないことです。師父はまた『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』に「いかなる情況下でも大法に対する根本的な信念を揺るがしてはいけません。なぜならば、このとき問題の所在が分からなくても、または何かのことをしっかり行うことができず、大きな関を乗り越えることができず、ひいては人体を失ってこの世から去っていっても、同様に圓満成就することができるからです。(拍手) なぜならば、師はこの迫害を認めておらず、これはこの迫害によって引き起こされたことだからです」と説かれました。年配の同修は正念を保って、邪悪に隙に乗じるチャンスを与えず、大法の力を疑う思いを除去し、精進の状態を保つことが大切です。
その次に、新たに生じた執着心を除去することです。『ヨーロッパ法会での説法』に、このような質疑応答がありました。
弟子:多くの学習者は自分がすでにどこまで修めているのかを知らないので、圓満成就できるかどうかに不安を抱いています。
師:これも執着です。信じていないそのもの自体も修煉の最大の障害です。先ほど言いましたが、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」です。つまりあなたの思想に入ったものが全部法であれば、良くないものはすでにほとんど無くなり、やがて全部除かれます……」
老化現象に執着する心を放下して、修煉に専念し、危うい症状が現れても心を動ぜず、全てを自然に任せてください。「どのみち、もうこんな高齢になって、長年修煉もしたので、私は自分の命を師父に託します」と思ってください。修煉者として、生死さえ放下すれば、死を恐れる心や他の執着も問題になりません。
師父は『米国法会での説法・ニューヨーク法会での説法』に「人と神との区別は、ここにあります。生死を放下できればあなたは神になり、生死を放下できなければあなたはやはり人間です。つまりこの違いです」と説かれ、『シンガポール法会での説法』には「一人の人が生死を放下できなければ、絶対に圓満成就に至ることはできません」と説かれ、また、『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』には「実は迫害が始まる前の古い学習者を私は全部到達すべき位まで押し上げました」と説かれました。
今後の修煉の道にどんな苦しみに出遭っても、それは心性に対する試練そのもので、ひたすら修煉に専念すれば良く、まだこのぼろぼろの体の何に執着するのですか?!
ある80代の修煉者が、修煉前に高血圧、動脈硬化を患っていました。ここ2年来、何度か冠状動脈性硬化症の前兆症状が現れたのですが、彼は症状を気にかけずに、一心に三つのことをしっかりと行っています。医学の理論上では、彼に動脈硬化症が現れるはずですが、しかし彼はずっと健康で変わりありません。
その三に、妨害を除去するように発正念を重視します。旧勢力は時々虚像を作るので、年配の修煉者に老化の虚像を作りかねません。
その四に、体力に合わせてできる限りのことをやって、最大の努力を尽くし、法を実証し衆生を救います。体力不足、機能障害は現実問題であり、年配の弟子に対する試練でもあります。現実の中で、多くの年配同修は三つのことをしっかり行っています。例えば、前立腺肥大を患っているAさんは、出かけると2時間が限界で、15~20分ごとにトイレに行って排尿しなければならず、真相を伝えることに大きな支障をもたらしています。彼は師父が『各地での説法九・二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』におっしゃった「どんなことも修煉の中で解決されますが、あなたが真剣に修煉するかどうか次第だからです。本当に真剣に修めていれば、何でも解決されます」を思い出して、真相を伝える時はデパート、病院など公衆トイレを設けているところを選び、法輪功の資料を配りたい時は、竣工していない建築現場を選んでいます。
Bさんは歩くことが困難で、30~50メートルも歩くと足が震えるほど疲れ、それ以上歩くと転びます。彼はバスに乗って資料を配っています。しかし家からバス停まで、下車するところから目的地までとても遠いので、彼はゆっくり歩いて途中で1、2回休憩します。ビルの中に入って階段を登るのはとても難しいので、彼は手すりを持ってゆっくり登ります。そのようにして毎回30世帯に資料を配ることができます。
耳が遠くなった年配の同修Cさんは、雑音が大きい公共の場所では彼はかえって騒音に影響されず、一心に法輪功の真相を伝えて周囲の同修たちにも称賛されています。
また、ある年配同修は他のプロジェクトができなくても家で法輪功の真相を伝える手紙を書き、郵便局で発送しています。ある年配同修は大量に真相紙幣を使うので、我が地区で真相紙幣を最も多く使う人になりました。
要するに、老化する状態が現れた年配同修は初心に戻って、修煉が一番精進していた状態に戻って、いつになっても大法弟子の風采を保ち、使命を辱めないで修煉に専念すれば、きっと円満成就の日を迎えることができると思います。