100パーセント師父の要求通りに自分自身を律する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年8月11日】幼いころ、次のような話を聞いたことがあります。昔々、ある人が武術を学ぼうと山に入りました。けれども、その人の師父は火を焚くことしか彼にやらせません。まずはトウモロコシの茎を折って焚火にしますが、これは中々大変なことです。素手で折っていくので、途中で力が入らなくなったり、両手が腫れ上がって凄まじい痛みに襲われたりしますが、それでも彼は痛みを我慢して師父に言われたとおりに次々と折っていきました。しかしながら、日が経つにつれて茎を折ることに慣れてきたので、手が腫れ上がることもなくなり、随分と楽になりました。それから、師父はトウモロコシの茎を竹に変えて彼に割らせました。その人は師父に言われたとおり、竹を切って縦に割り、そして焚火にしていきます。初めはやはり結構大変でしたが、時間が経つと、竹を切ることも楽になってきました。その後、師父は木の棒が割れるまで握らせますが、その人は何も言わず真剣に言われたことを次々と熟(こな)していきました。そして何年か過ぎていき、ある日、彼はふと当初の目的を思いだし、師父に武術を教えてほしいとお願いしました。

 しかし師父は微笑みながら「家に帰りなさい」とだけ伝えました。その人は何も言い返さずに山を下り、家に帰りましたが、村の人々はここ数年の間何を学んだのかと尋ねました。すると彼は素直に「焚火」とだけ答えたのです。

 これを聞いた村の人々は大笑いし、「馬鹿な奴だ」と彼を見下し、侮辱しました。

 ある日、村が盗賊団に襲われ、皆、財産を奪われていくのをただ見つめているだけで前に出る勇気は誰にもありません。しかし、盗賊がその人の家に入り込んだとき、彼は物を奪われないよう抵抗しました。すると、怒り出した盗賊が棍棒をもって彼に殴りかかろうとした瞬間、その人は素早く棍棒を掴んでは、軽く力を入れただけで棍棒が砕けたのです。これを見た他の盗賊が彼を殺そうと囲い込みましたが、男は全く恐れずに盗賊団と戦い始めました。その驚くほどの迅速さに皆驚き、そして、殴りかかってきた棍棒を再び素手で砕き、すっ飛んできた石を素早く掴んでは握っただけで砕け散ったのです。また、盗賊の腕も軽く握っただけで骨まで砕けました。すぐに、その人に負けた盗賊団は泣きながら一目散に逃げ去りました。

 馬鹿にされていた男が村を守り、村人を守ったので、皆の態度が一気に変わって彼を英雄と見做し、村の守り神として尊敬するようになりました。

 盗賊団との戦いを通じて、その人は漸く自分の武術と強さに気づいたのです。そして、山で技を学んでいる時にやった数々の事を思い出して、心の底から師父に感謝し、また、言われたことを素直に熟したことに喜びを感じました。

 この物語はあることを示唆しています。もしその師父が「トウモロコシの茎を素手で折るのはカンフーだ」と男に教えれば、その男はきっと武術を身に着けたいという何かを求める心を抱いたままやるでしょう。しかし、それでは更なる高次元の基準に達することができないのはもちろん、師父に対して堅い信念を持てるかどうかも問われるため、これらの事ができるかどうかによって本当の武術を悟り、身につけることにかかわってくるのです。

 法輪大法を修煉するということは常人の境界を遥かに超えて圓満成就を最終目標としているので、最も厳粛なことなのです。つまり、100パーセント師父と大法を信じ、完全に師父の要求通りに「三つのこと」を熟せるかどうかによってそれぞれの学習者の圓満成就が決まっていくのです。

 今まで自分が接してきた学習者の中には、一部の人は自らの修煉を重視せず、基本的なこともできていません。学法することを退屈だと感じて、様々な理由をつけて法を勉強しません。そして、煉功することを苦と見做し、中には何年も煉功せず、たまにやっても長続きはしません。このような人たちは偶に大法の資料を配ることしかせず、これを修煉と見做し、精進していると勘違いしているのです。

 このような学習者たちは未だ修煉できる時間を大切にせずに、師父が延ばしてくださった時間を無駄にしています。大法が人間界を正す時期がやって来て、真に修煉してきた大法弟子たちの神通力が現れたその時、そのような人たちは圓満成就できるでしょうか。

 大法弟子1人1人の修煉の全過程は師父の心血が籠っています。しかしながら、師父が私たちにありったけの精神を注ぎ込んだことを一体誰が理解できるというのでしょうか。

 師父は宇宙で一番素晴らしいものを私たちに与えようとしておられます。けれども、一部の学習者は多く努力をしようとせず、苦を嘗めることを嫌がり、いつも自己中心的で師父の要求通りに自分を律しません。このことを忘れないでください。師父が衆生を済度しておられるのであって、自分で自分を救うことはできないのです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/7/29/332057.html )
 
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