私の全ては、師父から与えられたものです!
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 【明慧日本2016年12月5日】2006年のはじめごろ、師父の入念な按排と技術者同修の助けの下、我が家にも一輪の小さな花が咲きました。

 一、同修の修煉に役に立ち、人を救うことができればなんでもやる

 私はパソコンの使い方、DVDの書き込み方、プリンターの技術を習いながら、真相資料を作り始めました。同修が必要な資料があれば、一所懸命皆の要望に応じて作りました。雨の日も、風の日も、雪の日も、或いはお正月でも、必要であれば、私は同修の手元に資料を届けに行きました。人を救うことの緊急性をよく知っているからです。

 パソコンを習い始めた時、私はすでに50歳を超えていました。しかも、マウスすら触ったこともなければ、ピンインもあまり分かりませんでした。しかし、これらは私にとって問題ではないと思いました。なぜなら、師父はいつも私のそばにおられ、「修は己にありて、功は師にあり」[1]ですので、私がしっかり行えば良いことで、確かにその通りになりました。時に問題に遭えば、心の中で師父にお願いし、マウスをちょっと動かして、問題が解決できるし、或いは頭に一つの考えが閃き、その通りに実行すればうまく行きました。いつも一つの温かい手が私の手と繋がれているように感じました。慈悲なる師父は、私が使命を果たせるように導いてくださっています。

 パソコンを使う同修が多くなるに連れ、技術者同修は忙しすぎて、法を学ぶ時間もなくなるほどでした。その状況を見た私は、技術を学ぼうと思いました。しかし、技術者同修に「あなたのパソコンの知識の程度では駄目です」と言われましたが、私は「大丈夫です。あなたのやり方を一つ一つ全部メモを取りますから」と言って、そのようにしました。しかし、メモを取っているうちに、確かに難しいと実感しました。英字が出れば、意味が分からなくなり、本当に技術者同修を困らせてしまいました。

 師父は私のこの心を見ておられました。ある日、新しく知り合った同修は我が家に来て、私がパソコンのOSを勉強しているのを見て、基本ソフトウェアが入ったディスクと同修が作製したOSインストールの教材を提供してくれました。教材の内容はとても詳しくて、大変役に立つものでした。同修は実際に操作して見せてくれました。こうして、私は、同修の真相を伝えることや人を救うことを手伝うことが出来るようになり、自分のやるべきことがやれるようになりました。私は心から喜びました。この場をお借りして、師父に感謝致します。同修に感謝します。技術者同修の長年の支えと助けに感謝します。

 それから以降、私は技術を学びながら同修に技術を教えるという、新たな修煉の道を歩み始めました。もしかすると、これこそ我が使命だと思いました。

 さらに、同修にもOSを搭載する仕方を教えられるようになりました。師父のこの見事な按排は、私のパソコン技術の全面的なグレードアップに下地を作ってくださいました。その後、私は同修に携帯電話で真相を伝える時の使い方を指導できるようにもなりました。いろんなブランドの携帯電話の使い方も全部覚えました。技術者同修が携帯電話の取り扱い方を操作しながら説明してくれましたので、それを見ながらメモを取りました。ある日、同修は「あなたは飲み込みが早いですね」と褒めてくれました。私は師父の加持があるからと心の中でひそかに思いました。

 毎回新しい技術を学ぶ時、帰りがいくら遅くなろうとも、私は必ず数回、実際に操作して、完全に理解できるまで残ってやりました。ある日、携帯電話のアプリの使い方を説明した時、技術者同修は操作をしながら説明をしてくれました。私も見ながらメモを取り、全部理解出来たと思って、家に帰ってから復習しませんでした。しかし、翌日同修が使い方を習いたいと頼んで来た時、ある個所で、どうしてもうまく行かなくなりました。私達の時間は人を救うためのもので、決して無駄にしてはいけないと思い、技術者同修の所に再び訪ねに行こうと思いました。タクシーを頼んだら、運転手は「どこに行くの? こんな近所なら、散歩がてらで行けるではないか」と不満をこぼしました。私は「ごめんなさい、急いでいるから」と答えました。実は、私の生活はとても質素なもので、冬はほとんど野菜を買わず、保存した白菜、じゃがいも、大根、冷凍野菜、乾物などで過ごして、私は1日に2回しか食事を摂りません。これは時間とお金の節約のためです。私の退職金は1600元で、家族3人の生活費はほぼ私が負担し、その僅かな中から、4年来、人を救うプロジェクトに役に立てばと思って、2万元を貯めました。子供が病気になれば「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と子供が念じれば病気も治ります。私の資源はほとんど採っても尽きず,用いても使い切れないと深く感じました。それにしても、このタクシー代はやはり痛手でした。その後、自分のうぬぼれ、謙虚でない心を見つけました。確かに簡単なことでしたが、私には軽視する心があり、この心は邪魔なものとなっていました。師父の見事な按排で、私のこの心が暴露され、取り除かれました。師父が常にそばにいらっしゃって、私を見守ってくださることを切に感じました。

 私は毎朝3時50分の全国の朝の煉功に参加し、午前中集団学法に参加して、午後は家に来訪する同修のパソコンや携帯電話の修理を行っています。時には、家ではパソコン3、4台を同時に動かし、携帯電話を9、10台を同時に処理しています。いつも床に機械をいっぱい並べ、左のものを触ったり右のものを見たりして、同修達の真相を伝え人を救う時に起きた故障を解決しています。時には忙し過ぎて腰が上がらず、少しの時間でもあれば、私は手足を伸ばしてそのまま床に横になって休みを取ります。ある日、私は目を閉じて少し休もうとしたら、そのまま寝入ってしまいました。すぐに目が覚めて起き上がりましたが「どのぐらい寝ていたのか」と聞くと、同修は「5、6分ぐらいかしら、あなたも大変ね。横になればすぐに寝てしまったわ。私たちも技術ができればいいのにね」と申し訳なさそうに言いました。

 ある日、60代の学歴のある同修がパソコンを習いたいと言って来ました。しかし、彼女に暗号化された機能付きドライブの開き方、パソコンの立ち上げと電源の切り方だけを教えるのにも、何日もかかりました。しかも英単語もなかなか覚えられず、ついつい私は「あなたの学歴は一体何のため! 教えてもらいながらメモも取っているのに、まだ出来ないの! なんでこんなに覚えが悪いの!」と思いました。そう思うと私は、はっとこの心に驚いて目が覚めました。私はここで何をやっているのでしょうか。これは外に向けて探しているのではないでしょうか。これはなんの心だろうか、嫉妬心なの? それとも自分を実証する心? 同修を見下す心? これらの心は全部人間の理ではないでしょうか。大法修煉は学歴と年齢と関係はないはずです。この状況をもたらしたのは、私が取り除くべき執着心があったからではないでしょうか。どうして同修を責めるのでしょうか。同修に感謝しなければならないはずです。同修も早く習得しようと遠くから毎日ここまでやって来て、大変な思いをしながら、彼女もゼロからのスタートではありませんか。このすべての中には修煉の要素があるのではないでしょうか。考えている中に、私の心が静かになりました。この時、同修はそばで「やっとパソコンを開くことが出来たわ。ついに願いどおりになった。良かった、有難う」と言いました。私は「いいえ、師父に感謝すべきですよ」と言ったら「そうね、師父、ありがとうございました」と彼女も感謝しました。その後、努力した彼女も小さな花を咲かせ、夢は現実となりました。

 1年中、私はほとんど家から出ません。家族も理解してくれているため、普段、私の貴重な時間を占用しませんし、時には手伝いもしてくれています。家の掃除が間に合わない時、家事をやれない時、或いは簡単な料理しか用意出来ない時、いつも文句も言わないで理解してくれています。学法グループの同修も手伝ってくれたり、やすい野菜があれば買ってくれたりもしています。お陰様で、私はもっと多くの貴重な時間を手に入れました。私はほとんどの時間を修煉や同修の手伝い、人を救うプロジェクトに費やしました。これらのことは私がやるべきことだと深く理解しているからです。

 二、再び師父のこの法を暗唱して、穏やかな気持ちで家を出た

 今年4月のある日、地元では、1日に十数名の法輪功学習者が連行された事件が起きました。ネットの報道では、警察官は盗聴や尾行などをすでに何日も行い、同修の家の外で待ち伏せをして、朝、同修が出かけると同時に連行をしたそうです。連行された同修の中の何人かはよく家に来る人たちで、つい2、3日前も来ていました。一時、暗雲が一面に垂れ込み、息が出来ないほど緊迫した状況で、外に出るとすぐにでも連行されるのではないかと思いました。しかし、私は踏ん切りをつけ、学法に行かなければならないと思いました。家を出る前、自分の部屋を見渡して、ノートパソコン4台、プリンター2台、携帯電話十数台があって、もしもそれらが差し押さえられたらと思った瞬間、私はその気持を直ちに否定しました。「いいえ、これらは人を救う法器で、誰にも触る権利がない、触った人は有罪です」と思いました。そして、師父の法が再び耳元で響きました、師父は「恐れる心がなくなれば、あなたを恐れさせる要素も存在しなくなります」[2]とおっしゃいました。2001年、北京の天安門広場で法を実証した時の一幕が再び目の前に浮かんで来ました。私は師父のこの法を暗唱しながら、毅然として天安門の金水橋に上がり、心から「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と叫びました。その叫び声が天安門の金水橋の上空で響き渡りました。その瞬間、数人の同修は連行されましたが、私は誰の目にも入っていないようでした。師父は「『迷いの中で、あなたの大法そのものについて認識できるかどうかも、まだ問題なのだ!』と、わたしも大覚者たちに言われています。こういう問題があるので、妨害があり、試練があるのです」[1]と説かれていました。これは私の師と法に対して信じるかどうかの試練ではないでしょうか。この一念の差によって、衆生に大法に対して、罪を犯させてはいけないと思いました。

 私の使命は人を救うことで、師父は「物質と精神は同一のものです」[1]とおっしゃっていました。この恐れる心がなければ、他の要素はありません。師父の法はこの上なくはっきりとしており、この心がなければ、試練なんかはないはずです。私は再び師父のこの法「恐れる心がなくなれば、あなたを恐れさせる要素も存在しなくなります」[2]を暗唱して、穏やかな気持ちで出かけました。

 三、エステをしているの?

 今年5月中旬、私は同級生の息子の結婚式に参加しました。同級生たちと会うのは何年かぶりで、しかも、私は法輪功を修煉していることを皆も知っており、イメージはとても大事だと思いました。数年来、私は時間をショッピングに費やしたくないため、まともな服を買っていません。当日、何を着て行けばいいだろうかと思いました。学法グループに来ている同修が新調した服を出してきて、試着して見てと言われました。試着したら、同修は「なかなかお似合いよ。この白のパンツに淡いピンクの半袖ブラウスは、上下で118元でした。これ、あなたが使ってください」と言いました。実は、確かに同修より私のほうが似合っていました。私は明日同級生の息子さんの結婚式に参加する予定で、ちょうど何を着ていくか悩んでいたところで、師父はなんでもご存知です。私たちは何も考えなくてもいいのです。三つのことをしっかり行えば、十分で、師父が何もかも用意してくださるのです。師父に感謝致しますと心からそう思いました。

 結婚式場に入ると、あるテーブルに、男女の同級生達が座っており、その中の1人は同じ学年で、しかも同僚でした。彼女に何度も真相を話すと、彼女も大きな福が得られました。私を見ると、彼女は大声で「ほら、皆さん、○○さんを見てください、若くてきれいでしょう。信仰心がある方は確かに違いますね」と言いました。他の人は皆「どなたでしたか? ああ、確かに若くて、きれいな方ですね」と言いました。私はクラスメイトのテーブルに近づくと、そこの6、7人の同級生は驚いて「本当にお若いですね。どんな化粧品を使っていますか? 顔のシワも全くないですね。エステでもしていますか?」と聞くので、私は「この20年間、化粧品を使った事はありません。真に法輪功を修煉する人は皆こうなるのですよ」と言いました。「あら、肌がきめ細かくて良いですね。見違えるほど若くなりましたね。昔は顔はもう少し大きくて、目も小さかったですよ。顔にツヤがなくて、唇も白っぽくて、体がちょっと歪んでいましたね。今は、顔が小さくなって、目がくぼんで欧風になって、肌が白くてツヤツヤして、唇も血色が良くて、人柄も上品になりました。あなたの微笑みはとても素敵ですね。30代にしか見えませんよ」と言われましたが、実は私は60代です。私は師父は「性命双修の功法では、見た目には実際の年齢とずいぶんかけ離れて見え、外見からは人に若い感じを与えます」[1]と説かれているのですと皆に言いました。ある医者をやっている同級生はとても理解できないと言いました。しかし、これは確かな事実で私自身が証明しています。私は彼らに「誠心誠意に法輪大法は素晴らしい。真・善・忍は素晴らしいと念じれば、大いに受益します」と伝えました。

 もう1人の同級生は昔、近所同士で5、6年ぶりの再会となりました。彼女はとても心配そうに「あなたは何回連行されたのですか?」と聞かれ「2回です」と答えると、彼女は「大変苦労されましたね」とねぎらいました。私は「九死に一生で、もしも8年前に留置場にいる私を見れば、恐らく、私のことが分からないと思います。その時の私は全身傷だらけの変わり果てた姿で、顔は国保大隊長に警棒で叩きのめされ、酷い形相でした」と言いました。彼女は「政府が煉功を禁止すると言うならやめれば良いのに。こんなにも苦労をしなくて済むのに」と言いましたが「皆さんご存知のように、私には肝臓、胃腸、脾臓、膵臓、心臓の病気に加え、頑固な神経性頭痛など十数種類の病気があり、長い間治療しても治らずもう少しで命を失うところ、法輪大法に出会い修煉を始めました。修煉して間もなく十数種類の病気は全て消えてなくなり、健康な体を手に入れ、社会に役立つ人となりました。修煉して二十数年来、私は薬を一錠も飲んでおらず、心身ともに浄化されました。小さい視点から見れば、もし私たち家族全員が、他人を優先に考え、相手を傷つけないようにできれば、なんと良いことでしょうか。大きな視点から考えれば、一つの国、一つの民族、世界も同じですが、このようになれば、世の中はどんなに違うでしょうか。高尚な法輪大法は、社会にも、国民にも百利あって一害なしです。私は真・善・忍の信仰を堅持し、良い人になろうとしているので、九死に一生を得ることが出来、難に見舞われましたが助かったのです」と皆に伝えますと、先程の彼女が他にも幾つかの疑問に思うことを尋ねました。例えば天安門焼身自殺事件とか、中国共産党から給料をもらっているとかの質問をしてきたので、私は一つ一つ全部丁寧に答えました。彼女は真相が分かった後、中国共産党の関連組織である少年先鋒隊から脱退して、自ら素晴らしい未来を選択しました。

 この全ての中に、師父がどれほどの心血を注ぎ込まれているか私には分かりませんが、師父は私よりも私を大切にして下さっていることを充分知っています。人類のすべての言葉を使い果たしても、師尊に対する感謝の気持ちを言い表す事ができません。私の全ては、師父から与えられたものです!

 慈悲で偉大な師父に感謝致します。弟子に対する時々刻々のご加護と慈悲なる済度に感謝致します。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/24/337832.html)
 
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