迫害死の学習者が生前に江沢民を告訴(写真)
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 【明慧日本2016年12月6日】遼寧省大連市中山区の法輪功学習者・程富華さん(69)は、3年6カ月の不当な判決を下され、残酷な迫害を受け、今年8月6日に冤罪が晴れないまま死亡した。程さんは生前、江沢民を告訴した。

'程富华遗照'
程富華さん

 

  程さんは1999年7.20から、法輪功が迫害されている真相資料を配った時、何度も連行され拘禁された。昨年6月1日、程さんは再度、大連市中山区昆明街派出所の警官に連行され、罪に陥れられ、留置場に拘禁された。警官は断食で迫害に抗議した程さんに対して、全監室の人たちを連座させるという迫害を実施し、故意に他人を巻き添えにして、みんなが程さんを恨むように仕向けた。

  程さんはひどく迫害され、全身がむくんで人事不省になり、歩くことが出来なくなった。今年の1月末、程さんの家族は留置場からの知らせを受けて、迎えに行った。お金を支払った後、家族は留置場の鉄の門の外で首を長くして待っていたが、警官が危篤状態に陥った程さんを背負って出て来た光景を目にした。

'全肿的两腿'
  浮腫んでいる腿

'胸部下全肿的腹部双腿双脚'
腹部と肢が浮腫んでいる

'肿大的双脚'
浮腫んでいる足

  1999年7月20日、江沢民は職権を利用し独断で法輪功に対しての迫害を発動した。江の指示により、全国のマスコミは一斉に法輪功に対して誹謗中傷し、中国全土の国民に迫害に参与させ、公安・検察・裁判所・司法部門・各勤務先および町内までもが、学習者を任意に連行し、家財を押収し、停職させ、職位と給料を下げ、拘禁し、労働教養処分を強いる判決を下し、拷問するなどの迫害を加え、民衆を迫害に巻き込んだ。

  昨年5月、中国最高裁判所は「告訴があれば必ず受理し、立案調査しなければならない」と公表した後、すぐにも二十数万人の学習者と家族が、最高検察院と最高裁判所に迫害の首謀者・江沢民を告訴した。

 以下は程さんの告訴状である。

刑事告訴状

 告訴人:程富華 女性、69歳

 被告人:江沢民、男性、90歳、1993年~2003年の元国家主席、中央軍事委員会主席で、1989年~2002年に中国共産党中央総書記に就任し、1989年~2004年に中国共産党中央軍事委員会主席を務めた。

 告訴事項

   以下の『憲法』の条文に違反した。第36条に違反し、国民の信仰の自由を侵害した。第35条に違反し、国民の言論の自由を侵害した。第37条に違反し、国民の人身の自由の権力を侵害した。第38条に違反し、国民の人格の尊厳を侵犯し、国民に対して侮辱、誹謗、誣告、罪に陥れた。第39条に違反して国民の住宅に侵入し、違法な家宅捜索をした。  『刑法』第251条の国民の信仰の自由を奪う剥奪罪、第238条の違法である監禁罪、第239条の強制的に連行する罪、第245 条の違法に捜査する罪、住宅に違法に侵入する罪、第248条の拷問罪、違法に拘禁する罪を犯した。

 事実と証拠

 私は法輪功を学ぶ前にB型肝炎、プラス4まで病気が進行し、もはや「特効薬はない」と医者は断言した。普段からよく熱が出て、全身に力がないと感じ、若い時から病気に苦しめられ、ずっと結婚出来ずにいた。

 1995年のある日、偶然に出会った90代の年配者から1冊の『法輪功』を紹介され、この本を読めば読むほど興味がわき、「真・善・忍」に従って、真に良い人になれることを知った。その後、毎日本を読み、功法を習い、人生の価値観が変わり、力が溢れるようになった。健康になった私は喜びを感じ、心から李洪志先生に感謝し、法輪功に感謝している。

 1999年7月20日、テレビとラジオなどは突然法輪功の先生を誹謗中傷し、法輪功を攻撃した。法輪功は人を善に導き、学ぶ人は「真・善・忍」の基準に基づいて自らを律し、良い人になるように努力し、家庭、社会に百利があって一害なしの効果がすでに証明された。法輪功は1992年5月から伝え出されて以来、何度も政府に表彰されたのに、7年後、なぜ同じ国で、同じ政府で、同じ指導者の下で、一晩のうちに理由もなく弾圧されたのか?

 1回目の拘禁 

 理不尽な弾圧に直面して、私は法輪功の受益者で、真実な情況を政府に伝えるべきだと考えた。1999年10月25日、北京の天安門広場に着いた後、問い詰める人が来て、私を追い払おうとした。私が離れなかったため、2人の武装警察官にパトカーに押し込められ、強制的に連行され、数人の学習者と一緒に派出所に送られた。   

 警官に住所を聞かれた時、私は本当の住所を教えた。警官は北京に駐在する大連の警官に知らせ、私を北京の16階のビル内に拘禁した。そして、大連の捷山派出所に連絡した後、2人の警官に私を大連開発区留置場に連行し拘禁した。15日間拘禁すると言ったが、実際25日間不当に拘禁された。私達は集団で断食をして迫害に抗議し釈放を求めたので、捷山派出所の警官が来て「三書」を書くように強制された。

 「三書」を書かないため勤務先で二十数日間拘禁された後、また麻薬戒毒所に送られて40日余り拘禁され、さらに「馬三家労働教養所に送るぞ」と脅された。警官は家族に圧力をかけて、私が精神病になったと言って、私を精神病院に閉じ込めた。精神病院では、最初1日2粒の不明な薬を無理やりに飲まされ、段々と12粒まで増やして飲まされ、毎日不明な液を注射されていた。それ以来、全身が浮腫んできて頭がはっきりせず、何もかも思い出せなくなった。旧正月の前に兄が迎えに来た際、警官はまた「まだ陳情に行くのか」と聞いたので、私は「ここまで迫害しておきながら、よく言えたものだ」と答えた。そう言うと、警官は無言になった。

 精神病院で1カ月間迫害され、家に帰ったにも関わらず監視され、尾行されるなどの嫌がらせは絶えなかった。

 2回目の拘禁

 2000年5月、再び北京へ陳情に行き、大石橋駅に着いた時、警官に連行され大連に連れ戻され、戒毒所に拘禁された。警官はこぶしで頭と顔を殴った。拘禁された12日目、私達は集団で脱走した。その後、半年余り、路頭生活を送ることを余儀なくさた。 

 3回目の拘禁

 2001年10月16日、警官と町内会の十数人が家に押し入り、私を洗脳班へ強制連行しようとし、また「3日後には帰って来る」と高齢の母親を騙し、結局私を戒毒所に連行した。戒毒所で断食して迫害に抗議したため、灌食された。灌食を行った警官は「とにかくお前をやっつける」と言った。灌食された後、警官のところに行き「私は自宅で理由もなく連行されてきた、あなた達は私を釈放しないなら、私は命をここに捨てて帰りますから」と言い争った。その後、勤務先に迎いに来させて、私を帰宅させた。

 4回目の拘禁

 2002年9月30日に、即ち10月1日(敏感日と呼ばれる)の前日、夜中11時に警官がドアを叩いたが、私は開けなかった。80代の母親がおり、警官の嫌がらせを避けるため、翌朝に家を離れた。行く場所がなく、老虎灘団地まで歩いていた時に、現れた警官に腕を捩じられたり、髪を引っ張られ、髪の毛がたくさん抜け落ちた。私は警官に「あなた達はどこの所属ですか?」と聞くと「そこに着けば分かる」と答えた。

   老虎灘派出所まで連行され、不当な尋問を受けた。警官ははめた手錠を掴んでぐっと引っぱったので、手錠が皮膚に食い込んで手首から出血した。それから、警官は気が狂ったように、私を乱暴に蹴り始めた。その後、鉄の椅子に縛り付けられ、翌日、姚家留置場に送られた。

酷刑演示:铁椅子
拷問の実演:鉄の椅子

 留置場では、喉にご飯が通らないため、無理やりに灌食された。灌食された時、手錠と足かせをつけられたまま、灌食用の管を顔全体にゴムバンドで巻き固定させて、管を鼻に挿し込んだため、呼吸ができなくなった。灌食は1日2、3回行われた。1カ月後、中山区国保の警官が留置場に迎えに来て、労働教養処分2年の署名を強要した。私は署名を拒否し、その後、身体検査を受けた際に、体調不良で帰宅させられた。

酷刑演示:野蛮灌食(绘画)
拷問のイメージ図:灌食

 5回目の拘禁

 2004年4月、人に尾行され、バスから警官に引きずり降ろされて下車した。その時、大勢の人が現場にいたので「私は法輪功学習者で、良い人です」とその人達に訴えた。警官は私を派出所まで連行した後、再び姚家留置場に拘禁した。

酷刑演示:死人床
拷問の実演:死人ベッド

 留置場の警官は、当日から私に対して灌食を行い、手錠、足かせをかけ、死人ベッドに縛り付けるなどの乱暴を働いた。26日目、警官は私を馬三家労働教養所に送ることを計画したが、血便が出て、瞳孔が開き、他のひどい病症も現れたため、馬三家労働教養所に断られた。派出所の警官は仕方なく私を帰宅させた。

 6回目の拘禁

 昨年5月30日、再度昆明街派出所の警官に連行され、暴力を加えられた後、留置場に拘禁された。拘禁されてからすぐに血便の症状が出て、毎日冷たい水で入浴したため体に赤い点々が現れた。疥癬だと医者に言われて、強行に薬を塗られ飲まされた。薬を塗られた後、服を着ることを許さず、裸にされてドアと窓を全開させ風に晒されていた。室内には二十数人がいて監視カメラがあり、私の人格をひどく侮辱された。薬を塗られた後、体の症状がひどくなった。家族は2回弁護士に依頼し、派出所へ解放を求めたが、無視された。

 警官は私をある場所に固定し、動くことを許さなかった。10月になると、毎日全身寒気がして、顔が黒くなり、腹部、足などすべて腫れ上がった。警官は責任を負うことを恐れて、家族から5千元をゆすり取って、一時出所させた。家に帰った時点で、すでに自力で生活することが出来なかった。身体がひどく迫害された一方、精神にも深刻なダメージを受けた。家族が受けたショックはさらに大きいものがある。迫害で住宅まで失い、今は、兄弟妹の家で世話をしてもらっている。

 以上は、私が迫害された中のほんの僅かな一部の実例を挙げた。江沢民は国に巨大な災難をもたらし、個人と家族に大きなダメージを与えた。私は最高人民検察院が法輪功を迫害する首謀者の江沢民に対して起訴し、最高人民裁判所が刑事責任を追及し、被害者が冤罪を被せられ、長い間の拘禁を経て苦しみを嘗め尽くしたことによって、精神的にも経済的にも大変な損失を蒙り、身体の損害に対しても弁償を求める。法律に基づいて、被告人の犯罪行為に対して立案調査を行い、刑事責任を追及し、法律の上での裁きを強く求める。

 送り先:中国最高人民検察院

 告訴人:程富華

 2016年4月6日

 注:大連市中山区人民裁判所の刑事判決文(2015)第390号に、以下のように明記してある。

 法輪功学習者・程富華

 昨年6月2日刑事拘留する
 同年7月8日逮捕令状を下達する
 同年10月19日に起訴する
 同年11月10日に裁判を開廷する
 今年1月29日に一時出所する
 同年2月18日に裁判所は判決文を下達する

 この一連の法律上の手続は、まるで法律をもてあそび、命を軽視し、何食わぬ顔で人殺しを推奨しているかのようにみえる。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/13/337571.html)
 
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