人を救うことは、私の最大の使命である!
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2016年12月12日】修煉してあっという間に20年が経ちました。その間、感激したり、喜んだり、心温まる時もあれば、苦しんだり、魔難に遭ったり、生まれ変わるほどの苦痛もありました。40年の教師経験と80年近くの人生経験のある私は、師を手伝い、人を救い済度する上には、とりわけ良い条件に恵まれていたため、その責任の重大さをより一層痛感しておりました。

 私には数千人の生徒とその保護者がおり、さらに学友、同僚、9人の叔母と8人の叔父がいて、何代かの人々が私を囲んでおり、南の雲南省昆明市から北の黒竜江省まで全国各地にその人脈が広がっています。妻は医者で、もともと気功を認めませんでしたが、しかし、大法は私を死の瀬戸際から蘇(よみがえ)らせたのに対して、医者達はどうすることも出来なかったことを見た妻は大法を信服し、大法修煉の道を歩み始めました。真相を伝える中で、私たちは阿吽(あうん)の呼吸で協力し合い、時には別々に話し、時には力を合わせて話し、時にはが正念を発している中で私が話し、時には逆になったり、同時に真相を話すこともありました。

 一、県庁で組織部の部長を務めた叔父が真相を知る

 真相を伝え人を救う中で最も嬉しく思ったことは、組織部・部長を務めた叔父が真相を知ったことでした。叔父は県の共産党組織部・部長で、県の中でとても人望が高く、叔父に真相を知ってもらえば、県の上層部の人達に真相を伝えやすくなると思って、いつも叔父の自宅を訪ねては真相を伝えました。『轉法輪』の本を読むように勧めました。叔父は「この本はとても素晴らしく、皆に学んでもらえば、世の中はずっと良くなる」と言い、その後、叔父は引退しましたが、『轉法輪』の本を退職した幹部の所に持って行っては、皆に読んでもらいました。その中には引退した県委員会の党書記、県長、各部、局の古い同僚たちがいました。

 法輪功を迫害してから、叔父は大法の書籍を持ち帰っては、家で保存し、読みたい人がいれば、貸し出すようにしました。そして私に「これから何か大法資料があれば、ぜひ見せてくれ」と言いました。こうして、大法資料の新たな伝達ルートが出来ました。叔父はまた「いずれ、法輪功は名誉を回復する日が来る。煉功をする人たちは国の医療費を使わず病気が治り、皆が良い人になろうとしている。これよりいいことは他にはない。上層部の人たちは権力を手に入れると私利私欲を肥やし、でたらめなことをするからな」と言いました。

 ある日、叔父の家に行った時、叔父は嬉しそうにこの話をしてくれました。以前、叔父が前立腺の持病が再発し、今までのどれよりも酷く、2日間尿が出なくなりました。病院に行っていろんな種類の導尿管を使っても排尿が出来ず、立会で診察した結果、手術をするしかないとの結論が出ました。その時、医者は本人の決断を待っているところでした。叔父は悩んでいた時、ふと私達がよく言っている「何か困った時、法輪大法は素晴らしいと念じれば助かる」との言葉を思い出し、そこで、繰り返して念じ、そしてスピードをあげて念じました。十数分が経ったところで尿意を感じ、我が子に支えてもらってトイレに入りました。最初は一滴一滴で垂らしたように出てきて、その後、尿が一杯出ました。トイレが暗かったので懐中電灯で見てみたら、なんどすべて血尿でしたが、あとスッキリしました。叔父はとても興奮して、医者に「もう治った、治った。手術をしなくて済んだ」と言ったそうです。医者も嬉しそうに「本当に良かったですね。それなら、家で様子を見ながら治療しましょう」と言いました。家に帰ると叔父は子どもたちに「お兄さんとお姉さんにも教えなさい! 困った時は『法輪大法は素晴らしい』と念じるようにしなさい! 本当によく効く。もし手術をしていれば、私の人生はもうおしまいだった。本当に大法に感謝する!」と言いました。

 『九評』が発表されてから、叔父に数冊を届けました。叔父が仲間達に見せたら、引退した幹部達は皆大いに驚きました。時間が経つのは早いもので、真相を伝え、『九評』を伝え「三退」を勧める大潮流の到来に従って、私は叔父に「三退」の意義とやり方を話しました。叔父はとても真剣に聞いてくれ「心の中で誓いを立てれば、印が抜き取られるのか。それならやりやすい」と言いました。

 お正月が過ぎて私達は帰省し、叔父のところに新年の挨拶に行きました。挨拶をしてから、叔父は矢も盾もたまらず、私達に「あなた達が言った三退を私は真剣に皆に勧めた。お正月に家族全員が帰って来て、一家団欒の食事をした後、私は家族会議を開いて『九評』の最後にある三退の意義と退き方を話してから、皆に議論をしてもらい、すでに三退のことを知っている人もいた。この時、派出所の所長をしている長男の家族3人が三退すると言ったら、派出所の警官をしている次男坊の家族も全員三退し、続いて、建設設計事務所の技師をやっている三男坊の家族全員と、本屋の店長を務めている娘の家族全員も三退をした。家族全員共産党員14人が、皆三退した」と教えてくれました。そして、叔父は名簿を渡してくれ「手続きをしてほしい」と言いましたので、私は了解してさらに「ご長男の娘さんは、もうすぐ婚約するそうですね。婚約祝いの時、私達は彼らにも必ず真相を話し、三退をさせましょう」と言いました。

 婚約祝いの日に私達は行きましたが、叔父はずっと付き添って私達を大事な客として、故郷から来た人たちに一々紹介してくれましたので、私達は親戚たちにも三退を勧めました。相手が男性の場合は私が話し、女性の場合は妻が話しました。叔父も側で「これは未来に関わる大事なことだから、よく聞いてくださいよ」と念を押してくれました。すると、皆が集まって来て三退の意を表明しました。私達が帰ろうとした時、またエピソードがありました。お祝いのステージであと片付けをしていた長男の嫁が、花婿を連れて来て、私達を止め「この花婿は共産党員で、彼にも話して三退をさせてください」と言われ、人間のもう一面が目覚めたのを見てとても感激しました。

 最後に彼らが私達を送ってくれた時、私は「あなた方のお父様は、皆さんに十分話をしました。これ以上私から何も言うことはありません」と言って、三退で使用した名前のリストを娘さんに渡して「しっかり自分たちのこの名前を覚えるように伝えてください」と言って、皆に手を振って別れを告げました。

 帰る途中で、私は妻に「真相を伝える時、もし恐れる心がある人に遭えば、このエピソードを話しましょう。つまり、派出所の所長夫人で県の電力局の主任からも、花婿を三退させたいと申し出があった。あなたは幹部でもなければ、派出所の所長でもないのに、何を恐れる必要があるのかと言えばいい」と話しました。このエピソードは恐れる心のある人に、三退を勧める時にとても役に立ちました。

 二、結婚式や葬式などの行事を利用して、真相を伝える

 私の故郷は都市から少し離れた小さな町で、そこに住むほとんどの人は農業を営んでいます。田舎の風習では、結婚式や葬式、婚約や新生児の誕生、また家の新築などがあれば、必ず多くの人を招いて行事を行います。これは真相を伝える良いチャンスだと思い、遠い親戚も近い親戚も、昔の同級生も同僚も関係なく、とにかく行事があれば私達夫婦は必ず参加するようにしました。

 ある遠縁の甥の息子が結婚するので、私達夫婦は駆けつけました。それはとても辺鄙な農村で、私たちは早めに到着し、半日の時間を利用して彼の親戚や村の友達に真相を話しました。翌日結婚式が正式に行われ、村の人々は皆お祝いの贈り物を持参して、続々と会場にやって来ました。早く来る人は席を取り、テーブルは次々と満席になり、私は妻と真相を話し始めました。三退をする人に、男性にはカード式のお守りを女性にはペンダント式のお守りを渡し、そして真相の書かれた定期刊行物も一緒に渡しました。中、小学生は同じテーブルに座っているため、彼らにはお守りとしおりをプレゼントしました。こうして、妻は前で話し、私は後ろで三退する人に仮の名前を作ってメモをとり、食事が終わるまで私達夫婦三退の話を勧めました。その日、合わせて180人もの大勢の人たちが三退してくれました。

 三、留置場で真相を話す

 修煉の道では、少しの漏れがあれば邪悪に隙きに乗じられ、社会、家庭、個人の修煉に大きな影響を与えてしまいます。当時75歳の私は留置場で9カ月もの間拘禁されました。師父の慈悲なる按排のもと、留置場の所長が私の教え子で、そのお陰で私は刑務所内で煉功をし、法を暗唱し、正念を発し、真相を伝え、衆生を救い済度することが出来ました。ここでは、入って来る人は規則に従って育成のための訓練を受けなければならないのですが、私の年齢が高いという理由で、これらの規定された制度を暗唱しなくて済みました。

 しばらく様子を見てから私は真相を話し始め、人が入って来る度に私は真相を伝えました。室長は真相を伝えることにとても興味を示し、彼は「あなたが言った大法の話をとても聞きたい」と言いました。私は「あなたには善縁があるからね」と答えました。彼は「毎日時間を作ってあげるから、皆に話したらどうか」と言ってくれたので、室長に「それが出来れば、あなたも大きな功徳を積むことになる」と教えました。真相を伝えることに協力してもらうために、入って来る人たちには私からインスタントラーメン1袋と漬物1袋をあげました。こうして、留置場ではお互いに助け合うようになり、とても良い雰囲気が生まれました。

 室長が時間を作ってくれましたので、私は心の中で話をする内容をしっかり準備しました。まず法輪功とは何かを話し、それから、大法は世界中で広く広まり、その盛況ぶりについて話し、さらに、私がどうして法輪功を習ったのかを話し、毎回10分ぐらい話をしました。それを聞いた人達は、次第に法輪功に対する偏見と否定的な態度を変え、その後『共産党についての九つの論』の概要を話しました。そして、どうして三退をするかを話し、どうすれば三退できるかを話しました。彼らに「洪吟三」の「佛の済度を待とう」[1]を伝え、それから真相を知る意味とは何か「紅潮」は誰のことを言うのか、紅魔の印を抜き取るのは何のためなのかを話し、紅魔の印を抜き取れば、平安を守るだけではなく、すぐにも役に立つと伝えました。さらに、心から「紅魔」の印を抜き取れば、自然に神佛のご加護が得られ、そして、絶えず邪念を払い、善念を強め、善行をすれば、次第に財運が良くなり、病気も治り、運勢がよくなることを話しました。

 また、このような事もありました。ある日の昼頃、皆が昼寝をしていた時、入口に2人の警備員が立っており、私と隣の人は寝ていませんでした。この時、1人の20代の若い人が夢の中で立ち上がって、大声で「法輪大法は素晴らしい」と叫び、声はとても大きくて廊下中に響き渡りました。私はとても緊張し、隣の人も心配しました。

 しかし、数日後、彼が釈放されるという情報が入り、若者はとても興奮して飛び上がりました。彼は「僕、ここを出たら結婚するよ」と言いましたので、私は「それはおめでたい。お祝いのプレゼントを贈れない代わりに、お祝いの言葉を贈らせてもらおう。あなた達夫婦の愛情がいつまでも深く、家庭が仲睦まじく幸せであることを祈り、早く子宝に恵まれるように祈ります」と言うと、彼はとても喜んでいました。「あなたがこんなに早くここを出られたのはなぜか分りますか? 実はあなたはとても大きなことをやったからですよ」と言ったら、彼はとてもびっくりした表情で私を眺めたので、その日の昼寝で叫んだことを教えました。これは大法の素晴らしさを認めると、福の報いが得られたという実例でした。

 毎日法輪功の真相を話す時間になると、私はいつも「皆さんに、これから暗唱した詩を披露します。この詩の題名は、大法の師の『洪吟三』の「縁を話す」で」と言い、声高く歌い上げます。

 「人海茫々たりて遇ひ難し  偶然の遇いに微笑むも縁によるもの  心を静めて真相を聞こう  この言のためにあなたは千年も待った  難を救う大法はすでに伝わり  一言一句の天機は、真言である」[1]

 そして、私は「繰り返し繰り返し朗詠しますので、皆さんもできれば暗唱してください。自由になったら他の人にも教えてあげてください。そうすると、あなたの功徳は計り知れないものになります。今、あなたは救われましたが、ここを出たら、あなた達の家族も救ってください」と言いました。この時、室内はシーンと静かになり、しばらくしたら、1人の人が突然「この言のためにあなたは千年も待った」と言い始めると、他の人は「一言一句の天機は、真言である」と続けました。

 私はここを離れる準備を始めました。タバコの紙にメモーした名前と中国共産党の関連組織を意味する番号を判決書の裏に、三退した192人全員の名を書き写しました。これもまた、師父が手伝ってくださいました。なぜか裁判所は私に2枚の判決書をくれました。私は2枚を1枚にご飯粒で貼り合わせ、衣類と一緒に家族に渡し、無事に外に持ち出すことが出来、ネットで発表しました。

 刑務所に移され、私は大きな工場の建物の隅っこに禁固され、ここには暖房がありませんでした。彼らは私を台車に乗せて、毎日数キロを往復して私を凍えさせて「転化」させようとし、季節が暖かくなるまで彼らは毎日続け、その後私は「老人チーム」に移されました。実は規定によると65歳以上の場合「老人チーム」に入れます。警官は家族に控訴されるのを恐れて、やっと76歳で私を「老人チーム」に入れました。またここで、師父の按排がありました。刑務所の独房の室長が雑談の中で、私と同郷であることが分かり、彼の叔父さんがそこの交通警察の大隊長をやっていると聞き「名前が間違っていなければ、彼は私の親戚です」と言いました。彼のことを言うと、ピッタリ合っており、私は室長の叔父に当たることが分かりました。こうして、彼に守られ、私は煉功、発正念、法を暗唱することが出来ました。「三退」に関しては、同郷の人、学生、比較的信頼出来る人しか話すことが出来ませんでした。ここでの2年の間、100人ぐらいしか接しておらず、その中の二十数人しか三退させれませんでした。一部の人は減刑するために密告するから、気をつけなければならないと親戚の人から忠告されましたが、真相を毎日話しました。囚人達は法輪功にとても良い印象を持つようになり「法輪功は世界中で人権擁護のために呼びかけをしてくれているから、刑務所の中の待遇は多少改善された。本当に法輪功に感謝します」と口々に言いました。

 四、遠縁の親戚に真相を話す

 刑務所から出て、私達は集中して法を学び、煉功し、発正念をしました。この3年の間刑務所で失った人を救う機会を挽回するため、まず遠方の親戚を救うことを決め、私は黒竜江省の江克山に行きました。ここには1960年代に大飢饉を逃れるためここに来た親戚がいて、全部で四つの家族と、3、4世代を合わせて70人ぐらいがいました。数千キロを往復して、毎日村と村の間を奔走しました。ここの人たちはほとんど教育を受けておらず、何かの組織に入ったこともなく、時には、親戚の近所の人の家に行って真相を話したり、親戚の子供の同級生にも話をしました。ハルビンに住んでいる従姉妹がいて、婿さんは建設の請け負いをしており、克山からたくさんの親戚を建設現場に呼び込みました。そこで、私はハルビンに行くことにしました。従姉妹は親戚を次から次へと呼んできて、彼らに真相を聞かせて、ここでは20人が三退し、この後、全部で50人ほど救いました。従姉妹はせっかくハルビンに来たからには、ぜひいろんな所を見てくださいと言いましたが、私は「ハルビンの太陽島も克山の五大蓮池もとても憧れて観光したいところですが、今、人を救うことを分、秒を争ってやらなければならないので帰ります」と断って、今回の人を助ける旅を終えました。

 20年来、法を広める時期、真相を伝える時期、三退で人を救う時期を経験しました。私達夫婦は真相DVDを配布し、真相紙幣を使い、真相定期刊行物を配り、真相電話をかけ、真相ポスターを貼り、お守りやしおりを送り、様々な手を尽くして行いました。その唯一の目的は「人を救う」ことで、師父の毎回の説法の中で「人を救う、人を救う、人を救う」と説かれており、その切羽詰まったお気持ちがとても痛いほど伝わってきました。これからも弟子として、必ずしっかりと心に刻み「人を救う]ことをしっかりと行わなければなりません!

 人を救う過程では、悲しいことも、冷たくされたことも、罵倒されたことも、ビンタされたこともいろいろありました。今まで教師として「師道の尊厳」をモットーとしてきた私にとっては、とても辛くて耐えられませんでした。しかし、自分は修煉者であり、これらは全部修めるべきものだと思いました。大法弟子は法を正す師に手伝い、世間の人を救うにはいくら困難なことであっても、不当に連行され、不当に判決を下され、殺される危険性があっても、恐れてはいけません! 私達はこれからもずっと冷静に人を救い続けていきます! 何故なら、師父は「旧勢力はこの邪悪な迫害を按排しましたが、なんと言っても中国人は大法弟子のために、これらの屈辱を受け、これほど多くの苦難を受けたのです。この点から言えば、皆さんは彼らを救い済度すべきではありませんか? 大法弟子は心を広くすべきではありませんか?」 [2]とおっしゃっているからです!

 師父は私に二度目の命をくださいました。同時に私を同年代の人より若く見えるようにしてくださいました。これは法を正す師に手伝い、法を実証することにとても大きな役割を果たしました。昔住んでいた団地に行く度に、人々はとても驚いた表情で私を見て、嫉妬する人もいれば、羨ましがる人もいました。なぜなら、多くの人はすでに亡くなり、生きている人でも外に出かけられないとか、出かけられても杖をついているとか、足を引きずって大変そうに歩いている人ばかりでした。この団地はとても早い時期に建設され、今は高齢者ばかり残っており「恐怖の団地」と呼ばれているほどです。以前は全く真相を聞いてくれなかった人たちでも、今言うと「すぐに三退します」と言うのです。私達夫婦は彼らに「法輪大法は素晴らしい!」と念じてくださいと言えば、彼らは「いいですね、いいですね、念じます!」と言ってすぐに賛成してくれます。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「縁を話す」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/1/338052.html)
 
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