文╱中国の大法弟子
【明慧日本2016年12月22日】自分をしっかり修め、神に向かって行くと言うのは、決して簡単なことではありません。それを実現するには、師尊が按排してくださった円満への道を、絶えず精進していかなければなりません。師父は「人とは何か、情慾身に満つ 神とは何か、人心存する無 し」[1]とおっしゃっていました。修煉は厳格で厳しいもので、少しでも足らなければ法の基準に到達することができません。私達が唯一出来ることは、師父が按排された三つのことをしっかりと行い、師父の法を正す進展について行き、たとえ先の道がどんなに遠くても、長くても、自分の修煉がどうであろうとも、ひたすら精進して最後まで修め、そうすれば、はじめて師父について家に帰れるのです。
以下では、最近の修煉を総括し、問題点を探し出し、それを改善して、これからの道をしっかりと歩んで行きたいと思いました。
一、法を学んで、心を修め、内に向けて探す
師父は多くの説法の中で再三にわたり、私たちに法を学ぶように、しっかり学ぶようにと注意を促してくださいました。法をしっかり学ぶことの重要性をよく認識しているつもりですが、しかし、ここ暫くの間『轉法輪』より、師父の『各地での説法』を学びたい気持ちが強く、『轉法輪』はもう十分学んでおり、その内容を熟知し過ぎほど熟知しているように感じ、集団学法の時、いつも他のことを考えてしまい、知らないうちに法を読み終え、『轉法輪』を拝読した当初のような震撼と読みたい意欲がなくなりました。このような状態をなんとか改善しようと思い、私は法を暗唱しようと決意しました。最初のころ、確かに難しかったのですが、しかし、腹をくくってやろうとすれば、何と思ったよりも早く暗唱出来るようになりました。
ある日、綱引きをしている人たちを見ました。片方のチームはとても落ち着いており、片方のチームは焦って落ち着かない様子でした。結局落ち着いている方が、勝ちました。自分の法を学ぶ状態と比べ連想してみると、やはり落ち着いて、法を暗唱しなければならないと思いました。すべての心を放下して、法を暗唱した時、これまでの多くの箇所が、まだ学んだことのないように感じ、今回、始めて分かったように思いました。私はようやく法を学ぶ重要性を認識しました。以前の自分は、法を学んでも心に留めず、そのため、多くの貴重な時間を無駄にしました。師父は「次元が違えば法も違います。法は異なった次元では異なった指導作用を果していますので、低い次元の理でもって高い次元への修煉を指導することはできません」「[2]と説かれています。私は今やっと、自分が向上し、次元を突破したと感じました。
ある日、法を学んだ時「心を修めなければ誰も成就できるはずがありません」[2]との文字が目につき、心が震撼されました。師父は私達が心を修めることを求められているのではないでしょうか。師父のお話をよく聞き、一歩、さらに一歩と前に進み、そして、その一歩、一歩の向上がすべて自分のためになるのです。現在まで、私は『轉法輪』をすでに二十回暗唱しました。今、法を非常に暗唱したくて、習いたくて、どこに居ても頭は師父の法でいっぱいで、法の指導があるから、毎日とても楽しく過ごせるようになりました。ある日、私は真相資料を作りながら、法を暗唱していましたが、結局、真相定期刊行物を間違って印刷してしまい、とても心を痛めました。その時、法を学ぶ時は、集中して打ち込まなければならないことを体得し、集中しなければ法に対して、十分な敬意を払っていないことでもあると強く悟りました。
またある時、同修に自分の法を学んだ体得を話しましたが、話を聞いた同修は急に不機嫌になりました。彼女は「あなたの問題は1、法をよく暗唱出来ても、その通りにしていない。2、普段、あなたは自己中心的過ぎる。3、以前、あなたは財テクに手を出し、しかも私も誘い、そのため私は相当のお金をつぎ込んでしまった」と言いました。この3つの意見のいずれも確かなことで、私ははっきり覚えていました。偶然な事はありません。彼女の言葉によって、自分が修めなければならない心を、例えば、嫉妬心、顕示心、闘争心、歓喜心などを再認識させられました。この同修にとても感謝し、その場で感謝の意を表しました。文句もなければ、悔しい気持ちもなく、そして、釈明しようともしませんでした。もし、普段、法をしっかり学んでいなければ、修煉の基礎をしっかり作っていなければ、私はここまで出来ないはずです。もちろん、同修たちにもぜひこのことを通して高めてもらい、特に嫉妬心を必ず修めてもらいたいと思いました。さもなければ、新しい宇宙に私達の位置はありません。これはとても重要なことだと思いました。
これからも法を暗唱し続けて行こうと思いました。『轉法輪』を学ぶならば、私は必ず暗唱しています。毎回「三つのこと」をする時、左耳にいつも太鼓のたたいている音が聞こえ、そして、いつも別の空間の煉功の音楽が聞こえるのです。それは師尊が私を見守られ、励まして下さっているのです。
二、真相資料を配り、真相を伝え、人を救う
衆生を救い済度することにおいて、私は主に真相資料と真相DVDを制作しています。明慧には新しい定期刊行物が出れば、必ず直ちに制作し、周りの同修に提供し、同時に、自分も必ず毎日真相資料を配布しに行きます。今、開放している団地より、セキュリティの厳しい住宅地に行くようにしています。特に高層ビルの多い住宅地では、セキュリティが厳しく、入口の出入りは、必ずセキュリティカードを通さなければならないのですが、いつもとても順調に入れるよう、師父は按排してくださるのです。
私はとても臆病で、苦しみに耐えられず、60歳になった今でも、 気が弱い短所があります。ある日、夢の中ではっきりと次のシーンを見ました。そこには2匹の犬がおり、大きな犬はくさりで木に繋がれ、側に小さな犬が座っていました。私が近づいて見ると、突然大きな犬が消えくさりもなくなり、小さな犬を見ると、小さな犬も消えていなくなりました。師父は私に恐れないでいい、もう邪悪は幾らも残っていおらず、時間を切り詰めて、多くの人を救うようにと励ましてくださいました。
ある時、高層ビルの13階で真相資料を配っていると、ちょうどその時、エレベーターのランプが点滅し、まさかエレベーターが13階で止まらないだろうと思いましたが、ほんとに13階で止まり、その中から中年の男女が出てきました。その時、私がドアの取手にかけた真相資料は揺れ動いて、どうすればいいか分からない時、2人連れは私が見えていないように、すれ違って行きました。師父は私にカバーを掛けられ、見えないようにしてくださったのです。またある日、ドアの取手に真相資料を掛けようとした時、その家から男の人が出てきて「何をしているのか」と聞かれました。私は「この真相資料を届けに来ました」と言って、彼に真相資料を渡し「よく読んでくださいね」と言うと「はい、分かりました」と答えました。私は彼の手に持っていたゴミを受け取ると「それは結構です」と言われましたが「下りるついでに、ゴミを捨てますよ」と言って、階段を下りて行きました。男の人は真相資料もらって、家に入りました。彼はゴミを捨てようとして、私と出会ったのです。
またある日、1人の若い女性が家から出てきて、ドアの取手に資料をかけようとしているのを見て「これはあなたがかけたのですか」と聞きました。私は「そうです。法輪功の修練者で、真相資料を配っています」と答えると、彼女は「家のドアにかけないでください」と言いながら、エレベーターに乗り込んで下りて行きました。彼女の後ろ姿を見て「何を拒否したか分かっていますか」と悔しく思い、同時に自分がすぐに真相を話せなかったことを後悔しました。またある日、知らないうちに階段で28階まで上がり、どうしてこんなに高い所まで上がったのか不思議に思いました。少しハアハアしましたが、まったく疲れを感じませんでした。今、私が作った真相資料の品質はとても改善され、表紙はすべてアート印刷紙を使って印刷し、すべての定期刊行物には、必ずネット封鎖を破るソフトをつけ、それに、真相DVDには「明慧週刊」の内容の書かれたものも入れています。衆生がもし、ネットにアクセスしさえすれば、必ず目的が達成でき、すべての問題が解決できるようになっています。
ある日、私がバスを待っている時、わずか2、3分を利用して、ギターを背負っている女の子に三退を勧めました。しかし、彼女はそれを拒否し「自分のやりたいことをやります。あなたの言ったことに興味はありません」と言いました。私はとても悲しくなり「自分の言い方が悪かったのではないかと思い、もし、この女の子が事前に、大法の真相資料を読んだ事があれば、三退の意味を分かってくれ、拒否しなかったのではないか」と思いました。このことを通して、残念に思うと同時に、自分がもっとしっかりと真相資料を作ろうと信念を強めました。もし、衆生が誰でも真相資料を読んでいれば、面と向かって真相を伝える事が容易になると思いました。三退を勧めてすぐに同意する人は、もしかすると大法の真相資料を読んだことがあるからだと思いました。
8月26日、私はバスに乗って帰宅した時、道路の横の聳え立つビルを見ながら「たくさんの衆生がまだ大法の真相資料を読んでいない、大法の福音を聞いていない、私はもっと頑張らなくては行けない」と思いました。また「師父はもう少し時間を延長してくださって、衆生にもう少し時間をくださっているのではないか?」と思い「さらにもっと真相を伝えて、衆生を救わなければならない。師尊の新しい説法を見て、数日間精進して、しばらくしたら、まただらけてしまうようではいけない」とも思いました。師父は「一人の修煉者として、あなたがもし強靭な意志をもたなければ、自分を制御できなくなり、ここまで達するのはなかなか難しいのです」[2]とおっしゃっていました。一部の同修はのんびりしており「あの残酷な迫害の年代もこのように過ごし、よく出来ました。大した危険もなかった」と満足そうに言い、またある同修は「師父はいつも終了、終了とおっしゃっていますが、終了していないではありませんか」と言いました。私は彼女たちに「師父が時間を延長して下さっているのは、私達を待って下さっているからです。大法弟子が外に出て、1人でも多くの衆性を救い済度するのを待っておられ、大法弟子の心性の向上を待っておられ、大法が世界でもっと多くの国で広く伝えられるのを待っておられるのです」と言いました。
自分の責任の重大さを深く感じました。同修に協力して、ともに向上しなければならないと思いました。もし、法と師を信じることに問題が起きたら、この修煉と幾万年もの期待は、無駄になるのではないでしょうか。私達は師父の苦心を理解しなければなりません。たくさんの大法弟子が生体から臓器を摘出され、また、多くの大法弟子が黒巣で迫害を受け、師父はとても焦ておられるのです。私達がしっかりと行わなければ、救いを求めている衆性に顔向けできるのでしょうか!
法を学ぶことによって、今、自分のいろんな問題に気づきました。例えば、時には寂しく感じるとか、思い通りにならない時、動画サイトのネットを見たくなり、食事をする時、アメリカ映画を見たりして、しかも最後まで見るのです。悪いと知りながらも、いろんな理由で言い訳をするのです。朝、二度寝をしたくて、1時間、2時間無駄にすごしてしまい、時には、真相資料を配り終わると、ショッピングモールでぶらぶらしたくなり、今日は三つのことをやったし、ちょっとリラックスしようと気を緩めます。今の1分1秒は、すべて師父が巨大な犠牲を払って延長されたものです。それなのに、肝心な時になると、やはり人間の観念が優位に立ってしまうのです。この間、メロンを食べたくなり、他の人は甘くて美味しいと言うのに、私が食べると酸っぱくて食べられませんでした。他の人がギョーザを食べておいしいと言うのに、私が食べると、しょっぱくてとてもまずかったのです。これからはもう、これらの人心や執着心を取り除かなければならないと思いました。
自分を高めるためにこの交流文を書きました。問題を意識すれば、取り除かなければならないし、自分が意識していなくても、同修に指摘されれば、法に基づいて正さなければならないと思いました。
思いのままに書きましたので、正しくない所があれば、同修達の慈悲なるご指摘をお願いします。 合掌
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「人と覚者の分別」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』