【明慧日本2017年2月28日】甘粛省金昌(きんしょう)市の法輪功学習者・田多堯さんは昨年3月28日、公安局・国保大隊(法輪功迫害の実行機関)と派出所の警官により連行され、拷問されて二度も意識を失った。そのせいで、多臓器不全、神経系の壊死、食道閉塞で苦しめられた田さんは、昨年12月10日に死亡した。享年65歳。
1998年3月に法輪功を学び始めた田さんは、心身ともに健康になった。
昨年3月28日夜7時ごろ、田さんは金昌市新六号区で法輪功の資料を配っていたとき、国保大隊の警官・李が突然、隠れていた自家用車の中から出てきて、田さんに向かって「止まれ! 動くな!」と叫んだ。同時に李は「早く下りてきてくれ」と自分の妻の名前を呼んだ。
その声を聞いた田さんは、すぐに離れようとしたが、足を滑らせて転んだ。駆けつけた李は、田さんを罵りながら、倒れた田さんの体に座った。田さんは胸が苦しくて、起き上がろうとしたが動けなかった。
李は妻に「あのドアに何をかけたのかを見て来い」と言った。妻は「法輪功のものだ」と答えた。そして、李はすぐに金昌市公安局・濱河路派出所に電話をかけ「法輪功の1人を捕まえた」と言って、警官を呼んだ。
田さんはやっと立てたが、李の妻に腕を捕まれて離れようとしてもできなかった。田さんは李夫婦2人に「法輪功は人に真・善・忍を教えていて、法輪功を学ぶ人はみんな良い人です。江沢民は法輪功に迫害を加えたのです。あなたたちは自分のために『三退』したほうが良いのです」と言った。
しかし、李夫婦は聞く耳を持たず、李は再度、派出所に電話をかけて「お前たち、なぜまだ来ないのか、早く来い」と怒鳴り、田さんに「俺はここで待ち伏せしていた。俺は法輪功の人を捕まえる仕事をしているのだ」と言った。
6〜7人の警官がパトカーから降りてきて、李に謝った。そして李は突然、田さんを押し倒して手錠をかけた。田さんが「法輪大法は素晴らしい」と叫んだ途端、布で口を塞がれてパトカーに押し込まれた。派出所に着くと、田さんは頭を押され、尋問室に連れて行かれた。李は警官らに「拷問でも何でもして、自白するまで取り調べろ」と言った。それから、警官らは田さんを殴ったり蹴ったりして「法輪功の資料は誰からもらったのか」と聞いた。
李は小さな手錠を持ってきて、田さんを押し倒し、田さんの両腕を背後に回して手錠をきつくかけ、細い紐で田さんの両手の中指を縛りつけた。そして、田さんは小さな椅子に座らされ、紐で体を椅子に縛られ、頭は上を向かされて後ろに引っ張られ、想像できないほどの苦痛を与えられた。
それから、その姿勢のままで尋問が始まった。尋問のとき、警官らは田さんに罵声を浴びせ、平手打ちや拳で頭や体を殴ったり、足で全身を蹴ったり、鼻や耳をつねるなどの拷問を加えた。そのため、田さんは意識を失った。
しかし、田さんは屈せず、何もしゃべらなかった。警官は意識がもうろうしている田さんの手をとって、紙に拇印を押した。体が弱っている田さんは水を求めたが、3時間後に2杯のお湯を与えられ、早く飲むように強いられた。
その後、警官は田さんを連れて病院へ行き、強制採血しようとしたが、田さんが抵抗したため警官に殴られ、前歯が抜けて口の中が血だらけになり、意識が無くなった。
それから、警官は目覚めた田さんに再び強制採血をしようとした。医者は「この人の血圧は0です。あなたたちに酷く殴られて死にそうだから、採血すると死んでしまう。誰が責任を負うのですか?」と言って、採血を拒否した。
そして、警官は田さんを金昌市留置場に送ったが、留置場側は危篤状態の田さんを見て、入所を断った。なんとその後、警官らは田さんを車に乗せ、田さんの自宅近くの路上に置き去りにしたという。それは、田さんが連行された翌日の朝5時ごろだった。
田さんは痛みに耐えながら、なんとか家に帰った。そんな田さんの悲惨な様子を見て、家族たちは驚き、泣いたという。
その翌日、田さんは大量に吐血し、記憶を失った。7月、子供たちは田さんを金川会社所属病院に連れて行った。しかしその後、甘粛省人民病院に移送された。入院5カ月間で30万元近くかかったが、田さんは多臓器不全、神経系の壊死、食道閉塞などと診断され、昨年12月10日に無念な思いを晴らせないまま死亡した。
家族は田さんの病状から見て、田さんが飲んだお湯の中に、中枢神経系を破壊する薬物を混入されたのではないかと疑っている。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)