師父に告げ口している神様たち
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年3月5日】大法弟子の修煉は、すでに長い歴史の中で按排されていたのです。そして、旧勢力は大法弟子一人一人のそばに数えきれないほどの神様を按排しました。ある神様は古い理で大法弟子量り、彼らの修煉状況を時々刻々、師父に報告します。つまり、師父に告げ口をするのです。今まで修煉してきた中で、私の告げ口をされている神様をよく見かけました。

 初めて神様の告げ口を見たのは、私は自分の赤い顔が好きではなく、気に入らず不満に思っていました。そしてその翌日、道の真ん中を歩いている時、ふと師父の周りに様々な神様が集まっているのが見え、その内の1人がノートを広げながら師父に告げ口をしていたのです。

 そこで、ふと悟りました。人間は生まれてくる前に、それぞれの業力と因縁に基づいて、その一生が定まります。自分の見た目について文句をこぼすことは、神様の按排を不満に思っていることになります。「このような顔をしていなければ」 「あのような体形をしていたなら」などと自分の思い通りにこの一生を決めることなど、到底不可能です。自分自身でこの一生を定めれば、自ら持っている業力をどのように返しますか。何もかもが気持ち良くて、すべての物事が思い通りに運んでいけば、死後、輪廻転生でどこに行くのかも危うくなるでしょう。地獄に行くことも有り得るのです。

 自らの見た目や、生活における不運な出来事について、一体どれだけの人々が不満に思っているのでしょうか。そして、目的を果たすために手段を選ばない人間も数えきれないほどいます。人の欲望に限界はありません。欲望に掻き立てられて、人は自らを見失ってしまいます。特に現在の人々は、邪悪な党文化の影響を受けて、名利の為に争い、お金儲けの為に手段を選びません。そして、伝統を重んじる人は皆に馬鹿にされ、見下されるでしょう。けれども、一体どれだけの人々が現状に満足し、生活におけるすべての苦に対して、何の文句も言わずにそれを平然と受け入れることができ、また、人の目を気にせずに、自らの運命に従うことができるでしょうか。

 大法弟子は常人社会の中で修煉し、党文化に破壊された環境の中で生きています。皆、闘争性を持つ哲学の影響を受け、無神論に毒害され、現状に不満を持ち、生活を変えたいとあれこれ考えていますが、実は生れ落ちてくる以前から、その一生はすでに按排されていたのです。

 今回の神様たちの告げ口は、私が自分の顔つきに不満を持ったことが原因で起きました。一つ一つの思想や念が法に基づいていなかったのです。師父のあの厳粛な表情は印象に深く残り、今でも忘れられません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/28/338248.html)
 
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