人のために考える心を修めだす
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 【明慧日本2017年4月6日】今朝家族がまだ寝ているのをみて、私は家族にとってどのような法を実証するプロジェクトを探してあげればよいかと考えました。そこですぐ意識できたのは、名義上は家族の修煉が向上できるようにさせるためでしたが、内心では法を実証する仕事を行わないと、しっかり修めることに影響すると思い、人を救うことを第一位に置いていませんでした。同時に意識できたのは、自分自身は生活上の9割の時間をまず自分のことを考えるのに使っていました。これはすでに自分の修煉の道を塞いでいる主な原因でした。その存在はすでに自分の思惟の様々な方面に影響していました。このような習慣化された思惟は必ず変えなければならず、今は他でもなくそれを捨てるべき時です。

 時々私もこのような思惟を変えることができます。まず、師父の慈悲を考え、他人のこと、衆生のことを考えます。その時、身体は素早く穏やかな場とエネルギーに包まれ、本来身体の周囲にあった重々しく、純粋でない雑物が素早く取り除かれ、穏やかな、透き通った場に変わります。思惟が変わり、まだそれほど強烈な変化でないとしても、すでに非常に明らかに現れます。私は時々刻々このような正しい変化を保とうと思い、あのように自分の事ばかり考え、他人のためを忘れるというようになりたくありません。

 今朝起きた時のように、もしまず自分のことを考えるようでは、睡眠不足の悩みから抜け出すことは出来ないでしょう。しかし、もし私が他人のこと、衆生のことを考えれていれば、師父は私を助けてくださり、物事は超常的になります。他人のためという正念は広大なエネルギーをもたらし、マイナス的な邪魔な要素を取り除けます。人の為であってこそ、はじめて様々な要素の制約から解脱することができます。

  一度、真相を理解していない人に妨害された時、相手を救うことを考えると、相手は悪事を働くことができなくなりました。

 心を静めた時、自分は他人のために生きていると考えることができますが、生活の中で、トラブルの中で、利益が損失を蒙る時、侮辱を受けた時、食欲の誘惑、色魔や情魔に邪魔される時、様々な妨害の中でもまだ自分は他人のために生きると考えられるようになるには、本当にすぐれた功夫が必要です。特に、自分のやろうとする真相を伝えることが、家族や家事に影響された時、その一念は大変重要です。修煉がしっかり出来ておらず、苦を舐めることができない、これは私が直面している大きな問題です。

 私は師父の説かれた「私たちがどのようにお互いに協力し合い、協調し合うかということは法を正すことの大法弟子に対する最も重要な要求です」[1]を思い出しました。場合によって私は自分のことを非常に重く見ており、自分の修煉を大変重く見ていて、家族に対する関心や家事、仕事などの問題を疎かにしていて、常に家族に頼ることを自覚していません。私が思うには、これは私(し)のために修煉する典型的な反映であり、偽りの修煉です。修煉するには他人のために考える正覚を修めなければいけません。しかしその時の私の修煉は自分の私利を得るためでした。

 もし修煉する心が他人のためであれば、周りの人もまずそれを感じ取ることができるはずです。如何なる恩讐であろうと気にせず、ただ他人が救われることを考えるべきです。このような慈悲は真にすべての生命を感動させることができます。家庭の環境の中で、これらをしっかり処理できれば、心性が本当に昇華したことになり、それは自分の真実の心性の現れです。現在になって、私は意識できました。すべての人と接する時、それは心性を昇華させる貴重な機会であり、それは衆生が救われる機縁でもあるのです。

 慈悲心は周囲のすべてを照らします。しっかり行えば、周囲の人々は救われ、また真心であなたに協力してくれるのです。更にしっかり真相を伝え、更に多くの人を救うことができます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/3/30/344918.html)
 
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