何度も生死を乗り越え 米国在住の謝さんは江沢民を告訴
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  【明慧日本2017年4月14日】(明慧ネット通信員・海外報道)謝戈さん(男性・43)はアメリカ在住の法輪功学習者である。謝さんは2001年12月から2004年1月までの期間、江沢民が発動した法輪功への迫害の中、北京の洗脳班、団河労働教養所で拷問を受けた。

 2015年5月、中国最高裁判所が「告訴があれば必ず受理し、立案調査しなければならない」を公布したあと、同年7月23日に謝さんは、アメリカから中国の最高裁判所と最高検察庁へ刑事告訴状を送り、迫害の元凶・江沢民を告訴した。 

 下記は謝さんが告訴状の中で述べた内容の一部である 

 大学時代から大法を修煉し始める 

 法輪功を修煉する前、私は上海大学の有色金属を専攻する学生だった。当時、酷い不眠症と不整脈になり、夜はいつも寝むることができず、昼間も元気がなかった。不整脈が発生したとき、心拍は1分あたり180~200回でとても辛い思いをしていた。 

 1998年1月に親戚に法輪功を勧められ、『轉法輪』を貸してもらった。『轉法輪』を読むと、すぐに本の内容に夢中になっていった。その後、修煉の道を歩みはじめ、法輪功を学ぶことによって、わずか数カ月の間で不眠症と不整脈の症状が全て消え、身体も健康になった。 

 普段の生活と学習のなか、法輪大法の真・善・忍の基準でいつも自分自身を律して、より道徳の高い人になり、親孝行をし、同級生を愛し、先生を尊敬し、真面目に勉強して人を助け、成績も上がった。 

 連行され拷問を受ける 

 2001年12月4日昼、私は北京の中央テレビ撮影センターの前を歩いているところ、突然、前後から4,5人の私服警官に取り押さえられた。彼らは何の身分証明書と法的書類も出さずに私に手錠をかけ、何かで頭を被せて視界を遮ぎり、車に押し込んだ。 

酷刑示意圖:蘇秦背劍:把人的雙手臂背在後面用手銬銬住,惡警抓住鐵鏈踩住法輪功學員後背,用力往上拽,痛苦至極。 
拷問のイメージ図:両手を後ろから吊るされる 

 私は北京の西城区公安支局の秘密の取り調べ室に連れて行かれ、警官に拷問された。私の両手は後ろで手錠をかけられ、1人の警官は鉄製の棒を拷問具に使った。そして首を締められ、声が出せなかった。(鉄の棒にラバーで加工されており、この棒で人を殴ると、殴られる側は更に痛みを感じる。一見して傷などは残りにくいが、内出血が発生しやすい) 

 それと同時に、もう1人の警官は、ラバーで包まれた鉄の棒で私の背中と股を猛烈に殴打した。この棒で体を打つと、非常に痛く感じ、内出血を引き起こす。彼らは私に知っている法輪功学習者の名前と住所を強制的に言わせようとした。彼らの協力を断ると、引き続き鉄の棒で猛烈に私の体を殴打した。私はこのように拷問され、2時間以上も経過した。2日後、自分の背中と股の殴られたところは黒紫色になっていることに気づいた。 

 北京の洗脳班での拷問 

 2001年12月5日から2003年2月25日の間、中国共産党北京市公安局に北京市法制トレーニングセンター(洗脳班)に不当に監禁された。その洗脳班は北京大興区天堂河労働教養所内にあり、中国共産党が1千万元以上かけて2001年から建てはじめ、2006年に完成した。この労働教養所は北京の610弁公室が設立した秘密の迫害機構であり、外界との連絡手段は一切ない。 

 私は一つの監視室に拘禁され、ドアの前には武装警官が立っており、24時間私の行動を監視し、トイレに行く時もついてきた。私は完全に人身の自由を失っていた。 

 私を苦しめた200回以上の灌食 

酷刑示意圖:摧殘性灌食 

拷問のイメージ図:残忍な灌食 

 私は自分の連行と殴打されたことは、すべて不当で自分が無罪であると思っている。従って当日(12月5日)から絶食の方式で抗議した。すると彼らは、2001年12月12日から私に一種の拷問、強制灌食をしはじめた。 

 「私は灌食された時、7、8人の武装警官に押さえつけられ、特製の鉄の椅子の縛られ、少しでも反抗すれば殴打された。彼らは強制的に小指の太さのホースを鼻から喉を経由して食道に挿入し、胃の中まで差し込んだ。この拷問はとても辛く、ホースが鼻から挿入される瞬間、鼻の中が火傷のような感じで、ホースを抜き出したあと、ホースは血まみれだった。あるとき、繰り返し何回も入れ替えられた。今でもはっきり覚えているのは、一人の悪徳警官が私の前に立ち、『辛いと思っているでしょう。我々はこの辛い思いをさせる方法であなたに苦をなめさせ、あなたが妥協するまでやります』と言った。江沢民らの人に苦痛を与える手段はとても酷いものだと分かった。この拷問で何度も生死を彷徨った。なぜかというと彼らはホースを私の胃に挿入したのではなく、肺に挿入したからである」 

 私は不当に拘禁されている間、200回以上灌食され、肉体的に極めて大きな苦痛を受けた。 

 洗脳迫害 

 私はこのセンターに連行された翌日から、前後に北京の女子労働教養所の2大隊、1大隊と4大隊と当センターの洗脳専門の警官10人くらいに拘禁室に入れられ、順番に私に対して、強制洗脳を行った。彼らは様々な方法を使って、長時間、師父と大法を攻撃する言葉を聞かせ、師父と大法を中傷する文章と映像を見せた。強制洗脳されたとき、彼らが最も多く使っていた言葉は、「あなたは転化しない限り、ここから出れると思わないでください」 

 2002年1月、北京市女子労働教養所二大隊の隊長・程翠娥は最もあさましい手段で私の精神に対して残酷な拷問を行った。程翠娥は労働教養所の職員に、師父と大法を罵る言葉が書いてある紙を壁に貼り付けさせ、絶えず罵っていた。 

 冷水をかけられ、冷凍され、眠らせない 

中共酷刑示意圖:澆冰水 
拷問のイメージ図:冷水をかけられる 

 2002年1月、当時の私はすでに絶食して50日も経っており、身体がとても衰弱していた。ある日の夜8時ごろ、当センターの7人に警察官が私の部屋に入り、長時間立たせることを強要した。そして私の目の前で師父の写真を踏んだり、師父を罵ったりしており、警官たちはごろつきとの違いはなかった。彼らは冷水を私の頭からかけ、ドアを開けて冷たい風にさらし(1月の北京)、当時、私は寒くて身体全身が震えて歯もガタガタ震えていました。警官たちは続けて私に熬鷹(眠らせない)の拷問を行い、連続3日間眠らせなかった。3日後、吐いた中には血のかたまりあった。 

 「死人ベッド」に縛られる 

 2002年4月、当センターの警官・鬍子輝が協力しない私に対し、さらに残酷な拷問で私に対して迫害を行い、「死人ベッド」という拷問である。 

酷刑演示:死人床(呈「大」字型綁在抻床上) 
拷問の実演:死人ベッド 

 当センターの北京女子労働所の4大隊隊長・李繼榮は、すでに150日も絶食していた私を鉄のベッドの端に手錠で私の両手を繋ぎ、布で私の両足をもう一方の端に縛り付けた。身体は大の字の形にさせられ動けない。24時間この状態で大小便もこのまましなければならなかった。 

 この迫害手段は極めて残忍で毎日苦痛を伴った。李繼榮が教養所に者に指示して、私を長時間罵しらせた。「法輪大法は素晴らしい」と言われることを恐れ、教養所の者に指示してタオルで口を塞ぎ、私の鼻を手で摘んで、タオルに水を注いだ。その時とても辛くて窒息しそうになった。その者は笑いながら「今これはあなたに水分を補充しているんですよ」と言った。 

 警官の李繼榮は屈服しない私を見て、教養所の協力の下で彼女が自ら私の身体を死人ベッドで最大限に引っ張り、布で私の足をベッドのもう一方の端にしっかり縛って、身体が大文字に引っ張られた。私の肉体上に極めて大きな苦痛を与えた。 

 私はこの「死人ベッド」という拷問を、2002年の4月から12月までの8カ月間続けられた。長時間の拷問で身体がとても衰弱し、骨と皮ばかりに痩せこけていた。筋肉が萎縮して力を入れられず、脈が弱くなって血圧が40/70になり、死ぬ寸前だった。 

 その間、警官の鬍子輝がよく警官を連れてきて私を殴った。例えば、ビンタを食らわせる、拳で胸を殴る、靴で股を蹴り飛ばすなどである。鬍子輝が私に狂ったように叫んでいた。「あなたを必ず転化させる。転化しないとこのベッドから離さない。このベッドで死なせる」、「私が誰だか知っている? 私は悪魔だ」 

 2001年12月5日から2003年2月25日までの間、私は北京の法制トレーニングセンターに1年3カ月拘禁された。その間、私は何回も上訴と弁護士を雇うことを要求したが拒絶された。 

 北京団河労働教養所での拷問 

 2003年2月25日から2003年4月4日の間、私は北京市労働教養所に移送された。 

 2003年4月4日から2004年1月24日まで、北京市団河労働教養所に300日あまり拘禁され、この人間の魔の巣窟で種々の恐ろしい体験をした。 

 私は5大隊に配置された。警官はそこにいる法輪功学習者に対して、厳密な監視と制限をかけている。ある日、私は同室のもう一人の学習者と話したことを警官に報告された。すると、警官は私を独房に入れ、ほかの学習者と隔離させた。 

 2003年7月8日、北京の「SARS」の伝染状況が安定してきた時、団河労働教養所は「攻堅班」から「攻堅隊」に名前を変更し、その後「一大隊」に名前を変更した。7月8日、私はそこに移送された。 

 その施設では1人用の部屋に入れられた。部屋の中は24時間監視されており、部屋のガラスには何かが貼られており、部屋の中から外は見えないが、警官は外から部屋の内の一挙一動が見えるようになっていた。 

 食事は毎回量の少ない主食とスープだけで、いつも空腹状態だった。私は朝5時から、夜の11、12時まで、高さが約20㎝の小さな椅子に座らされた。座るときも、首と腰をまっすぐに伸ばし、膝を揃えて両手を膝の上に乗せるよう要求され、少しでも動いたら、罵られたり、殴られたりされる。 

 その小さな椅子に一日中座らされ、長い間が経過すると、私の体の臀部と尾骨などの部位が脹れてきて、血が出たり、化膿したりした。この拷問は一見簡単に見えるが、実のところ残忍極まりないものである。この拷問は何の刑具も使わなかったが、何よりも酷く、この座り方をずっと保たなければいけない。すぐに足、膝、肘と腰が痛くなる。私はこの拷問で20日間も迫害し続けられた。 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/3/18/344028.html)
 
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