『西遊記』から思う、魔難と時間への執着を放下する
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文/中国の大法弟子

 明慧日本2017年4月28日】私は『西遊記』を見るのが好きです。私は『西遊記』は三蔵法師玄奘と弟子たちの修練物語だと思います。

 いつも、『西遊記』の愉快なストーリーを思い出すとき、「孫悟空にはすごい能力があり、筋斗雲の技を使って雲に乗って、十万八千里を飛べます。豬八戒と沙悟浄も神通力があるのに、どうして使わないのだろう。三蔵法師を連れて雲の上に乗れば、すぐにも目的地に着くではないか、あんなに苦労する必要があるのか、九九八十一劫を経るなんて物語を豊かにするだけだ」と思いました。

 数日前、私は『西遊記』の歌を歌ったとき、師父の説法を思い浮かべました。師父は「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません」[1]と説かれました。最近私は繰り返して師父の『二〇一五年米国西部法会での説法』を学びました。「師父はすでに道理を教えて下さいました。修煉者は多くの魔難を体験することによって、生々世々の業力を取り除くことができ、堅実に修煉する意念を固めることができ、精進して円満に至るのだ」と悟りました。

 三蔵法師たちは難を乗り越えて成果を果たしました。私たちは師父が自ら救い済度され、もっと大きな使命を負っている大法弟子なので、過去の修煉者よりもっと堅実な意識を持つべきで、魔難を怖がり、時間に対する執着があってはいけません。しっかり己を修めると同時に師父に手伝って法を正し、人を救い済度する神聖な使命を担いましょう。

 私と同じように怠けている同修、時間に執着する同修に、僅かな体験を書き出して互いに励まし合いたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/1/31/342494.html)
 
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