法輪大法を修煉し 顔面神経麻痺が治る
■ 印刷版
 

 【明慧日本2017年5月6日】2014年12月、私は突然右側の顔面が麻痺して口が歪み、目が斜めになりました。これは小さな病気だと知っていましたが、40歳過ぎたばかりの私がこの病気に罹るのは意外でした。その瞬間、もしも丈夫な身体がなければ、例えお金がいくらたくさんあっても幸せになれないと感じました。この道理はとっくに知っていましが、今までは他人の身に起きていたので、それほど私の心を揺さぶりませんでした。

 12月の中旬は北風が骨身を刺しました。病気を早く治療するために病院に行かないといけませんでした。その十数日間毎日北京に行って治療を受けました。病院に着くと、医者はまずメスで口腔内の両側に十数箇所ずつ切って血を抜き、さらに麻痺した部位の十数箇所に薬を注射しました。麻酔もしなかったため非常に苦痛で、それに注射で頭がくらくらしました。

 第1段階の治療が終わった時、治療効果があまり良くなく、2日後、また第2段階の治療が始まります。私は本当にこのような治療を続けたくありませんでした。どうしたらよいでしょうか? その時、突然法輪功を思い出しました。姉の一家は十数年間法輪功を修煉し、病院に行ったことを聞いたことがなかったため、私は法輪功を試しにやってみようと思いました。姉は法輪功を修煉して間もなく、数種類の病気が治療を受けずに治り、しかも性格も以前より良くなりました。義兄(姉の夫)も姉の影響で法輪功を学び始め、姉の舅と姑も相次ぎ学びはじめました。この17、8年の間、義兄は私に法輪功の話を多くしてくれました。

 2015年元旦から、私はとぎれとぎれに法輪功の書籍を読み、煉功しました。1年ちょっとしか過ぎていませんが、ベル麻痺(顔面神経麻痺)はすでに治りました。学法と煉功を通じて、法輪功は性命相修の佛家上乗修煉大法であり、修煉の原則は「真・善・忍」で、修煉者は善い人になることをはじめとして、少しずつ名利と各種の欲望を淡々とみ、宇宙の特性である「真・善・忍」に同化することによって、道徳が向上し、各種の疾病が治り、現在ではすでに世界100カ国以上の国と地域で広く伝わっていることを知りました。

 私は体育の教師です。余暇の時間にトレーニング施設を経営するホワイトカラーと言えます。私は最初病気治療の目的で法輪功を学びはじめ、法輪功は気功であると思っていましたが、現在は佛家修煉大法と知っています。しかし、思想の中ではまだ受け入れることが非常に難しいのです。なんと言っても、無神論の思想が大脳の中で根深く揺るがないからです。時には、本当に神佛は存在しているのか? 私はみたことがありませんが、姉の一家と私が接触した同修らは皆、揺るぎなく信じています。彼らは私を騙すことはしません。ですから、現在まで堅持できました。しかし、今になってこれも執着であり、修めるべきだと認識しています。私は時には自分を常人とみなしてしまい、本当の修煉者とみなしていませんでした。多くのことにおいて、心に気がかりがあり、これは私が修めるべき最大の執着心なのです。

 師父は「われわれ煉功者においては、トラブルが突然現われることがあります。その時、どのように対処すればよいでしょうか? 平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです。日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません」[1]と説かれました。

 この法理に則って、私は仕事の中で実践し努力しています。一度、学生の保護者が学校に訪れ、学費を返してほしいと求めてきました。経理担当者は学校の利益を考えて学費を返したくなく、かつ態度が非常に悪かったためトラブルが起きました。私が学校の総責任者だったため、保護者は私のところに状況を話すために訪れました。調査後知りましたが、学生は私達のところで補講してもらったが、成績が上がらず、保護者は不満を覚えたため、学費を返してほしいと求めて来ました。経理の不遜な言葉に保護者は非常に怒っていました。立場を変えて考えると、もし私の子供が1万人民元を支払って、補講を受けたが成績が上がらなかったら、私も意見があるはずです。そして、私は経理担当者を呼んできて、保護者に謝らせました。しかし、経理担当者は私の前で保護者に謝らないばかりか、再び保護者と争いはじめました。私は担当者を一言叱責すると、彼女はなんとドアをバタンと締めてカンカンになって出ていきました。当時私は自分が修煉者であることを自覚していて怒りませんでした。非常に丁重に保護者には謝り、経理担当者の代わりにも謝りました。すべて私達の間違いであるので許してくれるように求め、学費を返しました。最後には保護者も分かってくれ非常に満足して帰りました。事後、私は経理担当者を探し、彼女の間違いを重みのある言葉で指摘し、かつ忍耐強く人に接して事を処理する方法を教えました。彼女はこの事件から教訓を学び、今後トラブルの処理の仕方を学び、立場を変えて問題を考えるようにと諭しました。修煉する前の私なら、厳しく経理担当者を叱責して間違いを指摘したはずです。

 この事件から私は、はじめて大法を修煉することの素晴らしさを感じ取りました。トラブルに遭遇すると自分を探し、探せば探すほどそのトラブルが小さくなり、自分がますます高大になり、ますます幸せになると感じました。もし、社会の人々が「真・善・忍」の法理に従って自分に要求し、人々がトラブルに遭遇した時、自分の不足点と間違いを探せば、この国、この社会は本当に穏やかな様子になるのではありませんか。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/25/346123.html)
 
関連文章