【慶祝513】道を見つけたい一念で4年の寝たきり状態が歩けた
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文/河北省の大法弟子 雲敬

 【明慧日本2017年5月25日】(慶祝513明慧特別記事)25年前、私は脳炎を患いましたが、誤診のため、間違ってホルモンを注射され、両側の大腿骨頭壊死症になってしまいました。4年間ベッドから降りて歩くことができず、生活は完全に人に頼らなければなりませんでした。トイレに行く時は夫が背負って行きました。夫はいたるところで治療方法を探しました。北京や、天津などの大きな病院でも治療を受け、何回も専門家の特別治療も受けましたが、手術しても効果がなく、病気治療のため、家財を傾け、毎度絶望して病院を去りました。

 親族は私のことを心配し、私自身も毎日病気による苦しみと子供を含む家族にもたらした大きな負担のため涙を流しました。もう生き続けたくなく、常に自殺の念が浮かんで来ました。しかし、いつも無形の力に阻まれて、自殺を思いとどまりました。

 1998年7月、妹が退職後、山東省から私の見舞いにやってきました。自分の小さな鎮では千人以上が法輪功を修煉しており、たくさんの癌患者が元気になった、だから私に自分の家に行き、法輪功をやるよう勧めてくれました。しかし、それはそれほど簡単なことではありません。一人で歩けないし、かつホルモン剤を飲んでいたため、大変太っている私が河北省から山東省まで3回乗り換えながら行かなければなりません。妹は揺るぎなく「今回はほかでもなくお姉さんを迎えにきました。どうしてもあなたを迎えて帰ります。病気が治って元気になったから、私達も元気になります」と言いました。

 法輪功を修煉したい一念があったからか、翌日私達が母の見舞いに行った時、私はなんと自分で家から歩き出し、自家の農用三輪車に這い上がりました。普段はいつも夫が私を背負っていました。これで私は山東省に行く自信と決心がつきました。更に不可思議だったのは、私達が天津の東駅から西駅に移動する時、非常に高くて長い歩道橋を渡らないといけませんでしたが、妹と姪(妹の娘)が私を支えて歩道橋に這い上がり、歩道橋から降りる時は脚と足が敏捷になり、私は手すりを掴みながら歩けるようになりました。天よ! その時、私は嬉しくてたまらなくなりました。私はまだ修煉していませんが、師父はずっと私を加護してくださいました。涙が絶えず心のなかで流れだし、これは夢ではないかと思いました。

 土砂降りの雨も私が法輪功を修煉したい決心を揺るがすことができませんでした。15時間の苦労の後、夜10時すぎにやっと妹の家に着きました。2階に上がる時私は自信満々に手すりを掴んで階段を上りました。妹の家のある階まで上がった時、私が最初に話したのは「一日奔走しましたが、どうして少しも疲れてないの?」でした。

 翌日から私は矢も盾もたまらず妹と一緒に『轉法輪』を読み、五式の功法をやりました。2週間経たないうちに私は奇跡的に1時間の動功がやりきれるようになりました。4カ月後、完全に元気になりました。

 私が帰宅した時、私のことを心配して白髪になった夫は嬉しくて涙をほろほろと流し、親友らも非常にびっくりして、感激の涙が目にあふれました。それから、私のことを知ったたくさんの人々が大法を修煉しようと我が家を訪れ、うちの敷居はほとんど踏まれて破れるほどでした。

 『轉法輪』のなかで、師父は奥深い法理で私を説かれ、私は真・善・忍の基準で修煉しました。どこでも善い人になるようにし、以前負けん気が強かった私は再び人と争うことがなくなり、トラブルに遭遇するとうちに向けて探し、何事をしても他人のことを先に考えました。修煉は私の生活のなかで最も楽しいことになり、緩めることなく、毎日学法し、煉功しました。それで身体が根本的に変わっただけでなく、日常生活の中で個人の損得を気にしなくなり、以前あった義理の娘との非常に深いトラブルも解決され、家庭環境は穏やかになりました。

 しかし災いは意外な時にやってくるものです。1999年7.20、江沢民は真・善・忍を容認することができず、法輪功に対する残酷な迫害を発動しました。法を得てちょうど1年だった私は嘘に迷うことありませんでした。なぜなら私は師父により死の瀬戸際から救われたからです。私の身に起きた奇跡を目にして法を得た数十人の同修が監視され、無理やり洗脳班に入れられ、修煉を放棄するよう強いられ、誰がリーダーか摘発するように強いられました。

 私は自ら鎮の共産党委員会の責任者を探し、大法は私が山東省で学んできた、何かあったら私に聞いてください、同郷の人達はただ煉功して元気になり、法を学んで心を修め善い人になろうとしているだけです。私は4年間寝たきりで、病気治療のため家財を傾けましたが、政府の誰もが関心を寄せてくれませんでした。しかし法輪功の師父は私に1錢も求めず、元気に戻してくださいました。今日私に修煉をやめるように強いられたら、それは私の命を求めることに等しいのです。この(修煉を放棄する)保証書を私は書きません。私は自分が大法を修煉して恩恵を受けた不思議な物語を彼らに伝えました。最後に責任者は感動して、車で私を自宅まで送ってくれました。

 迫害は道を探す人を阻むことができません。夫も確固たる意志で大法の修煉をはじめました。

 その間、我が家の入り口には1台のパトカーが毎日止まって私達を監視していました。私はパトカーの運転手を探し、私が法輪功を修煉した経緯を説明しました。運転手は大法の実態が分かり、それから二度と訪れたことがありません。当時、私は正念とは何かわかりませんでしたが、無意識のうち、純粋な心理状態で言い出した言葉は法の力を帯びていました。

 師父の慈悲なる済度に感謝致します! 18年間、師父の慈悲なるご加護の下、我が家で行われた集団学法はずっと堅持でき、私達数人の同修は一緒に学法し、煉功し、修煉体験を交流してきました。師を助けて法を正す道のりで互いに学び合い、互いに修め、共に精進し、毎日出かけて人を救い、誓約を実現しています。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/17/346752.html)
 
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