文/ 河北省の大法弟子
【明慧日本2017年6月7日】私は1997年に法輪大法の修煉を始めました。20年の修煉過程において、法を実証する喜びもあれば、法から乖離(かいり・そむき、はなれること)した教訓もあります。昨年6月、私はひどい間違いを犯してしまい、師父の慈悲深い済度と同修達の無私の助けの下、よろよろと歩いてきました。その根源を辿(たど)れば、やはり私はことを為すことに重点を置き、心を静めて学法せず、内に向けて探さなかったのが原因でした。『明慧週刊』の交流文章をまともに見たことがなく、いつも浮き浮きして、邪悪に隙に乗じられました。
昨年末の農閑期に入ってから、私は法を暗記し始めて、だいたい4~5カ月の時間を使って、『轉法輪』を一通り暗記しました。その過程で、私は頭痛、脚の痛みに耐え、困難を恐れる心を克服し、毎日3~4ページのペースで法を暗記しました。その後、私の主意識は以前よりずいぶんはっきりとしてきて、問題に出会えばすぐに法を思い出すようになりました。
法を暗記し始めてから、毎日の1時間の座禅時は脚が以前ほど痛くなくなりました。また、脚が痛くなれば、師父の法がすぐに脳裏に現れます。「そこに坐ると、自分が卵の殻からの中に坐っているかのような素晴らしさ、非常にいい気持ちを感じ、自分が煉功していると分かっていますが、全身が動けないかのように感じる、こういう状態が現われます。これらはみなわれわれの功法に必ず現われなければならない状態です」[1] 。
以前、発正念の際は雑念が多く、どうしても排斥することができなかったのですが、法を暗記してから再びこのような情況に出会った場合、師父の法が自然に現れてきます。「しかしほとんどの人は強い主観思想(主意識)を持って、それを排除し、それに対抗することができます。そうであれば、その人は済度できる人です。善悪の分別がつき、つまり悟性の良い人ですので、わたしの法身が手助けをして、そのような思想業の大部分を消去してあげるのです。このようなケースは比較的多く見られますが、しかしひとたび思想業が現われてきた時に、それに打ち勝つことができるかどうかは、本人次第です。動揺しない人なら、業を消すことができます」[1] 。邪悪の妨害要素が瞬く間に解体させられました。
また、法を暗記し始めてから関を乗り越えることも容易になりました。座禅を組む最中に美人が現れれば、私がまず思い付くのは、「私の生命は神聖かつ純潔なもので、この欲求がまったくなく、絶対に邪悪の妨害だ」。そう思った瞬間、美人は消えてなくなりました。
毎週1回の『明慧週刊』には、全世界の大法弟子の直近の修煉体験の精華がぎっしり詰まていますが、以前は重視しませんでした。今、私は毎日『明慧週刊』を読み、本当に多くのことを学ばせてもらっています。時には恐れる心が出てきて、真相を伝えに出かけたくなくなりますが、そういう時に『明慧週刊』を取り出して読むことにしています。同修達がどのように行っているのか、真相を伝える過程で各種の問題に出会えば、どのように直面し、解決しているのかを見ているうちに、自分の恐れる心が次第に消えていき、私は再び師と法を堅く信じる中で真相を伝えに出かけました。
私は小さいときから内気で、極めて口下手で表現力がなく、面と向かって真相を伝えることが非常に難しく感じていました。最近の真相資料に使われている言葉が簡単明瞭ですので、私は毎日それらの精華の部分を転写して暗記し、真相伝えに使いとても良い効果を得ました。人々は私が弁舌の才があると褒めてくれました。私はこれが法による知恵だと知っています。まさに、「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[2]。
今、私は毎朝の3時50分から煉功を始めて、夜に座禅を組んだり発正念をしたりして、睡眠時間が多くなくても昼間は眠くなく、精神状態が良好です。私は再び修煉当初の状態に戻り、法を得た初期の喜びを感じました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」