大法の中で真金を精錬する
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文╱中国の大法弟子 同心

 【明慧日本2017年1月30日】私は2006年の年末から法を暗唱し始め、1日5ページのペースで暗唱しました。その期間中、父が亡くなり、義母も重病で入院したことがありましたが、法を暗唱することは中断しませんでした。しばらくの間、1日1段落しか暗唱できず、1回目の暗唱は9カ月間もかかりました。ちょっと時間が長かったのですが、嬉しいことに、私は本当に法を得ることができました。暗唱する時、とても集中するので、外部からの妨害が一切シャットアウトできました。最後の数段落まで暗唱した時、体の細胞が躍り上がったように感じました。彼らも命が救われる大法が得られたので、私がまだ全部暗唱が出来ていないにもかかわらず、彼らはすでに狂喜してお祝いを始めました。

 法を暗唱してから1カ月後、試練がやって来ました。10月のある日の午前、私は職場の幹部に『共産党についての九つの論評』を贈りました。夜、会社から帰ってきた夫は邪悪に操られ、気が狂ったように、「おまえ、他に、誰にあげたのか? 街に出て聞きに行こう」と怒鳴ってきました。私は今までのように怖く感じず、師父がおられるから、彼の行動を無視するように発正念をしました。夫は「電車の駅に行こう、一緒に死のう」と叫び、私の襟元を引っ張って駅に引きずって行きました。その時「もし、彼が私に加害するような行動を取るならば、師父にお願いするように叫ぶ」との一念をしっかり持ちました。私達は鉄道より3、4メートル高い所に立ち、彼は「怖くないよ。一緒に死ぬから。電車が来たら、一瞬の痛みで終わるからね」と悪意を抱きながら、私を下へ落とそうとしました。私はすぐに地べたに座り込み、大声で「師父、助けてください」と叫びました。その時、手はすでにプラットフォームの縁を触っていましたが、なぜか体が一瞬後ろに下がりました。その後、夫は私と一緒に死のうという考えを諦め、私達は家に帰りました。

 大法から与えられた正念を持って私は生死の関門を乗り越えました。この後、私は法を学ぶ事に新たな理解を持つようになりました。法を学ぶ時、妨害が大きければ、法を学んでも法が得られません。ならば、法を暗唱しようと思いました。2006年から法を暗唱し始め、2011年の上半期まで、法を学ぶ時、主に暗唱するようにしていました。1日5ページから10ページまで、さらに、1日半講から1講まで暗唱できるようになりました。

 現在、私はすでに法を27回暗唱しました。毎回法を暗唱し終われば、身も心も完全に入れ替ったように感じ、正念もますます強くなり、多くの人心も取り除かれました。『轉法輪』の中で指摘された人心について、私はいつも特別に注意し、しっかり着実に修めました。修煉の中で、義母との因縁関係を解消しました。修煉前、義母とよく喧嘩し、嫁姑関係が悪かったのですが、修煉後、仲良くなりました。姑が倒れた時、兄弟は交代で世話をしましたが、私は3番目の兄と一緒に当番をし、兄は夜に、私は昼間に、2週間世話をしました。毎朝、汚物で汚れたシーツなどをいっぱい洗わなければならないのですが、私は文句一つ言いませんでした。昼間、姑を優しく世話し、時間があれば法を暗唱しました。最後に、姑は寝たきり状態となり、失禁しましたが、私は丁寧に拭きました。姑は感動して「お前は本当に優しいね。来世、牛や馬に生まれ変わっても、あんたの恩に報いるよ」と言ってくれました。

 7.20以後、圧力と魔難のほとんどは夫から来たものです。夫は大法に反対するだけでなく、外で女も作りました。それを知った私は心が壊れたように悲しくて、彼と離婚して、二度と会いたくないと思いました。時には、涙を流しながら師父の法の「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません」[1]を暗唱しました。あの時、本当に心をえぐられるように執着心を取り除きました。人心が浮かんできたら、法を暗唱し、法をもって執着を取り除き、次第に、夫の行為を思い出しても、もう私と関係がないと思うようになりました。彼に対する怨む心を消去したとき、彼は地方に出稼ぎに出ていきました。

 2008年、わが家で小さな花を咲かせました。私はパソコンを使えますが、印刷はまったく分からないし、恐れる心もありました。座禅した時、「私に出来るかしら」との一念が出たその瞬間、師父の法「わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[1]が脳裏に打ち込まれ、涙がこぼれて来ました。師父に見守られ励まされて、私は大いに自信を持つようになり、師父がおっしゃった通りにし、師父が按排された道を歩もうと思いました。資料を作った事はないのですが、印刷をする時、操作の仕方が自然に分かり、トラブルに遭った時でも、師父から知恵をいただき、解決法も自然に脳裏に浮かびました。私達はもう他の同修に頼まなくても、自分で資料を作り、人を救うことが出来るようになりました。

 法を学び、資料を作り、人を救い、正念を発している中で、大法の鍛錬によって、私は怨恨心、嫉妬心、闘争心を取り除きました。さらに、他の人の立場に立って物事を考えられるようになり、個人の損得勘定をやめ、心を広くして、毎日楽しく過ごせるようになりました。時々、真相を伝えるとき「あなたの声は素敵ですね」と言われたこともありました。

 師父に線香をさし上げる時、いつも合掌して「師父、弟子は以前よく行いませんでした。弟子は本当に大法の中で修煉したい、精進したい、師父の真の弟子になりたいです。弟子に過ちを補う機会を与えて下さい」とお願いしました。

 2015年5月1日、江沢民を告訴する大きな潮流がやって来ました。私は江沢民を告訴する知らせと明慧ネットの関連文章を印刷して、5月13日の世界法輪大法デーに開かれた交流会で、同修に読み上げました。そして、江沢民を告訴する事について皆さんと交流し「これは師父が按排された事で、天象の変化であり、必ず師父の法を正す進展について行く」と理解しました。交流会の後、十数人の同修が江沢民を告訴することに賛成しました。

 私は明慧ネットに掲載されたフォームをダウンロードして、同修達に告訴状を用意して、最初の告訴状を5月23日に郵送しました。5月24日に、江沢民の告訴状を直接最高人民検察院に手渡したいと思って、私達大法弟子5人は北京に行きました。しかし、手続きのプロセスがよく分らなかったため、提出時間が過ぎており、仕方なく、郵便局を通して書留で最高検察院、最高裁判所に郵送しました。

 6月18日、娘が電話をかけてきて、住民委員会の人が江沢民を告訴したかと尋ねてきて、住民委員会に来なさいと言われたそうです。私は行かないと返事しました。他の4人の同修も同じ電話をもらいました。また、省公安局も出動して、この件を処理するとの噂も広まりました。私達5人は絶対協力しない、彼らの言う通りにしないと腹をくくりました。私達5人は資料拠点に行きました。6月末、江沢民を告訴する資料が出たので、私達はたくさん制作し、1日千冊ほどの江沢民を告訴する資料を作り、各郷鎮に届け、時間を切り詰めて人を救いました。7月6日、私たちは次から次へと家に戻りました。夫も家に帰り、私たちを敬服するような眼差しでこのすべてを見ていました。彼も変わり、もう私と喧嘩をしなくなり、私のものを壊さなくなり、毎回、仕事に出かける時「家でしっかりやってよ。心配をかけないようにしてね」と言っていました。

 2016年5月の末、地元の裁判所は同修に不当な法廷を開きました。同修達は法廷の外で発正念をしていましたが、その日の午後、地元公安局が三十数人の大法弟子を派出所に連行し、さらに留置場に送り、不法に拘禁しました。6月1日、私は国保の警察官に派出所まで連行されました。派出所の中で「これは私に対する試験です、天の神々が私の答えを見ておられる」と思いました。師父の法は「生死を放下できればあなたは神になり、生死を放下できなければあなたはやはり人間です」[2]「生きて求める所無く 死して留まるを惜しまず 妄念を蕩尽すれば 佛を修するは難しからず」[3]「心を徹底的に放下し、れっきとした大法弟子らしくなり、怨みも執着もなく、残るか去っていくのかを師父の按排に任せます」[4]などが、次から次と私の脳裏に浮かび上がってきました。

 私は落ち着いて座禅をし、自分の人心を探しました。まず恐れる心を見つけました。私は「残酷な刑を受けても、打ち殺されても、正々堂々とした大法弟子になる」と一念を固めました。次に、出て行きたい心も見つけました。今まで不当に拘禁された時、出ていきたい心が強くて、そのため関門を乗り越えられず、大法にマイナスの影響を与えました。今度、「出て行くことを求めない」との一念も強めました。

 警官は家でお金、USBメモリーカードを見つけました。これらのものは私の私物で、ちゃんと返して貰わなければならないと思って、それについて署名して、警官に「あなたは法の執行者として法を犯しています」と言いました。彼は「私たちは案件を審査する時、『証拠』を重視する」と言ったので「では、私を連行する証拠を出しなさい」と言うと、彼は「法廷で話すから」とごまかしました。

 私は引き続いて座禅しました。昼頃、娘はご飯と着替えを届けてくれました。私は娘に「彼らはお母さんを不法に拘禁しようとしている。弁護士を頼んでください」と言いました。娘は泣きました。私は大声で「私は大法弟子です。泣かないで。最悪でも死ぬぐらいでしょう」と言いました。そばの警官はびっくりして、娘を追い払おうとしました。私は大声で娘に「彼らは案件を扱う時、終身責任を持つから、誰が担当者か、必ず署名させなさい。お母さんが残虐な刑を受け、彼らに打ち殺されたら、地のはてまで、海のはてまで必ず最後まで追及しなさい」と大声で言いました。娘は泣きながら警官に「お母さんは刑を受けるのですか」と聞くと、警官は「そんなことはないよ。私たちはただ幾つかの事を調べるだけだから」と言いました。

 ご飯を食べてから、私は引き続き正念を発しました。心の中でどう正念を持って対応すればいいかを考えました。午後3時頃、警官が突然その場を離れました。私は気にしなかったのですが、2、3分後、師父はここから離れなさいと気付かせて下さいました。私は靴を履き、鉄の扉を押し、廊下にでると、隣の部屋にも人がいないので、私はドアを開け庭に出ました。そこの人は皆それぞれ自分の事をしている様子でした。私がさらに玄関までいくと、警官3人がそこに立っていました。その中の1人は電話を掛けていて、彼は私を見ながら、電話で話していました。師父のご加護のもと、私は正々堂々と派出所を出ました。

 師父は「これほど大きな法があり、正念の中で大法が皆さんとともにあり、これは絶大な保障です」[5]とおっしゃっていました。大法の中で修煉をするならば、法をしっかり学ぶ事は基本的なことで、修煉の道をしっかり歩んで行けるどうかの根本的な保障です。すべての正念は法から来るものです。法をしっかり学べば始めて正念を持つようになり、正念があれば始めて関門を突破し、法を実証することができるのです。

 ある日、法を学び終わったとき、突然大法弟子の称号にまったく新しい感覚を感じました。それは言葉で表現出来ないものでした。同修に「突然自分が大法弟子だと実感しました。大法弟子としての幸福感が自然に生まれました。ほんとに幸せです」と言いました。同修は「あなたの次元で師父はあなたに新たなものを感じさせてくださったのですね」と言いました。

 人心を探してみれば、怨恨心、親族の情、恐れる心等の人心はまだまだ修め遂げていません。数日前、同修との間に大きな心性の関門がありました。その時、人心が浮かんで来て「明日、ここを離れる、地方に行って、二度と戻らない」と思いました。その日、1日中ここに残るか離れるかを考えました。私は自分に「あなたは大法の中で真金を精錬したいと言っているでしょう。今固執している心は不純物ですよ!」と言い聞かせました。師父も人心を全部放下しようと啓発してくださいました。最後に、やはり正念が優位に立ち、残ることを選びました。修煉は不純物を取り除く過程です。残されたのは真金となります。この事を通して、自分の隠れた人心に気づき、それを取り除くことによって、心がさらに広くなり、同修に寛容な気持ちを持ち、優しく接し、よく相手のことを理解し、純粋な心を持っていれば、始めて同修とうまく協力して、もっと多くの人を救う事ができると、理解を深めました。

 修煉して18年が経ちました。法を正す期間の大法弟子の三つのことを行い、大法の中で鍛錬し、師父からのご加持、ご加護を受けながら、失敗を重ね、やっと本日まで歩んで来られました。師父の洪大なご慈悲に感謝します。ずっと弟子にチャンスを与えて下さった師父に感謝します。また、何度も何度も危険な状況を安全な状況に変えてくださる師父のご加護に感謝します。法を正す時期の大法弟子になれた事をこの上なく光栄に思います。弟子の師父に対する感謝の気持ちは言葉で表現しきれません。これからも神の道で勇猛精進し、三つのことをしっかりと行い、使命に背かないよう、師のご恩に報いるようにいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟』「何も残らず」
 [4] 李洪志師父の経文:『ロサンゼルス市法会での説法』
 [5] 李洪志師父の経文:『各地での説法十』「マンハッタン説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/1/18/340275.html)
 
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