文/山東省菏澤市の大法弟子
【明慧日本2016年8月20日】至尊至敬なる師父、こんにちは! 大法全体の同修の皆さん、こんにちは! 私は農村で生まれ育った大法弟子で、修煉を始める前は、頭痛の上に足がひどく痛み、足が痛いだけでなく肩こりや気管支炎、ヘルニアなど、多くの病気を患っており、病状が悪くなると痛みがひどくなり、払ったお金は少なくなく、飲んだ薬も少なくないのに、効果がなく、年は若いのに腰が80度曲がっており、30歳代の私は50歳代に見えていました。1996年の年末、左目を突然失明し、北京の大病院に行って専門家に診断してもらった結果、眼底が壊死している、ということで専門家は「あなたと同じような状況で視力を回復した先例は世界中でどこにもない」と言いました。私は絶望の中で苦しみました。
1998年の年末、2番目の弟が部隊から復員して来ました。村に何人もの人を連れてきて法輪功の修煉を始めたのですが、ある時、弟たちが師父の説法ビデオを見ている所に偶然出くわしました。門の前を通り、師父が天目を開くことについて説かれているのが聞こえて来た時、額の部分の肉がぎゅっと中心により、そのエネルギーにもう少しで押し倒されそうになって衝撃を受け、それから法輪功の修煉を始めました。修煉して何日かすると、全身が楽になり、目も物が見えるようになり、体の多くの病気がいつの間にかなくなってしまい、無病で全身が軽い感じは形容のしようがありませんでした。もっと不思議だったのは、80度にまがった腰が事もあろうにまっすぐ立つようになったことでした。家族は大法の不思議を目の当たりにし、妻と2人の娘も立て続けに法輪大法を修煉し始めました。
師父は法を実証する道へと私を導いてくださった
1999年7月20日、江沢民が法輪功への迫害を開始し、中国全体の悪人が押し寄せて来て、邪気が天を衝きました。当時、私が県城(訳注・県人民政府が置かれている町)へ行って昔の煉功点と学法グループを訪ねた時、同修たちはみな北京へ法を実証しに行った事を知りました。家に帰ると、テレビではどの番組でも師父と大法を攻撃する邪悪な宣伝を放送していました。そこで私は同修である妻に「これは正邪の大戦なので、私は北京へ大法を実証しに行かなければならない」と伝えました。
2001年4月17日、大法を実証しに北京へ行きましたが、農村で生まれ育った私は家を出たことがなく、天安門がどこにあるかさえわからず、その時はただ「私は大法のために正義の声を上げなければならない。法輪大法は正法なのだ!」という一念だけがありました。
天安門へ行く途中で老人に会いました。老人は私に「すぐ行きなさい! まっすぐ歩いて行くと着きます」と言いました。しかし、振り返って「ありがとうございました」と言おうとした時、その老人の姿は跡形もありませんでした。道をまっすぐ歩いて行きましたが、道を間違えたのではないかと心配になり、「道を尋ねたい」という考えが生まれた途端、ふたたびそばに1人の老人が現れました。その老人は私に「あなたは大法を実証しに来たのでしょう? よろしい、よろしい! 前に歩いて行くと歩道橋があり、歩道橋を渡ると天安門広場です」と言いました。私は老人に「ありがとうございました」と言おうとしましたが、二歩歩いて振り返って見ると、老人はまたいなくなっていました。その時、私は胸の奥で師父に感謝しました! 師父は道を指示してくださったのです。そこで足早に天安門広場の中心に着くと、まだ足を止めないうちに、武装警官が私に「何しに来たのです?」と聞いてきました。その時、私は「今ここで法を実証しないで、更にいずれの時を待つというのか!」と思いました。そこで私は両手で結印し、法輪功の第一式功法の煉功を開始すると、武装警官がすぐに私の腕を押さえつけ「よろしい、あなたがやっているこれこそ正法だ! これは正法だ、これは正法だ」と言いました。すると、さらに4~5人の警官がやって来て「あなたの煉功はよくできている。あなたには感心させられます、素晴らしい! さあ、車に乗ってください、あなたを送り返しましょう」と言いました。これは師父が警官の口を借りて私を励ましてくださっているとわかりました。
地元の公安局内保課の警官は私を北京から強制的に連れ戻し、不当に私の家を家宅捜索し、テレビやレコーダー、録音機、スピーカー、大法書籍、法輪功の資料を奪って行きました。さらに私は不当に留置場へ送られました。留置場の所長は私を刑務所に入れ、警官に「私の世話」をさせ「法輪功を学んでいる者だ」と言いました。警官は刑務所の門を閉め、留置場内の警官は監房内の数人の犯罪者を指揮して私に暴行を働かせ、ある犯罪者は私の背中を蹴り、ある犯罪者は私の肋骨を蹴り、私を寝台用の板に突っ伏させ、靴のかかとで私の尻を打ちました。私の尻を打っていた犯罪者は疲れて汗だくになり、靴も持ち上げられないほど疲れてしまいました。しかしその時、体に感じていたのは何かが持って行かれるような感覚で、逆に体の具合が非常に良くなったように感じました。下着は鮮血で臀部にくっついていましたが、臀部に触ってみると、腫れてもいないし痛くもありませんでした。師父が弟子に替って痛みを受け止めてくださっているのだ、と悟り、その時涙がぽつぽつ出てきました。
その後、監房内の犯罪者に法輪功の素晴らしさや中国共産党が行っている迫害の真相、そして煉功後の私の変化を伝え、さらに犯罪者たちに法輪功の五式の功法をやって見せると、犯罪者たちの何人かが私と一緒に法輪功の修煉を始めました。留置場の警官は強制的に深夜11時まで私を働かせ、さらに夜勤もやらされました。1カ月間不当に拘束されて、留置場に入った時の私の体重は65キロでしたが、留置場を出た時はさんざん苦しめられたために体重は50キロを切っていました。その頃、私服警官や「610弁公室」、国保大隊、警察署の警官が24時間、私の家を監視し、3~5日過ぎると不当に家宅捜索を行い、値打ちのある物を見つけると奪って行き、まるで匪賊のようでした。
修煉前、私の家では幾畝(訳注・1畝は15分の1ヘクタール)かのアスパラガスを植えており、毎年、数万元の収入があったので、しいていえば村の中でも経済条件は富裕なほうでした。しかし、江沢民集団が法輪功に対して「名誉を失墜させ、経済を遮り、肉体を消滅させる」迫害を行ったので、私の家の生活は火の車になり、3人の子供の授業料が払えないばかりでなく、日常生活さえうまくいかなくなりました。その年の正月は、家族が持っていたのはわずか7元だけでした。私の家では7年間、正月でも肉を買ったことはなく、8年間爆竹を買ったことがなく、10年間新しい服を1着も整えたことはありませんでした。正月は門を閉じて家族全員で一緒に学法しました。ご飯は食べなくても大丈夫でしたが、法は学ばなければなりませんでした。
正念を頼りに関を乗り越えるのを師父は加持してくださった
2007年旧暦の12月13日、家で父親の誕生日を過ごしていると、突然外から何台ものパトカーがやって来て、たくさんの警官が両手に銃を握り私に向かって「出て来なさい」と言いました。警官たちは強制的に私を庭の外に連れ出すと、私はひどく殴られ、警官たちの悪行はたくさんのやじ馬の村民を集めました。たくさんの人の目の前で、警官たちは銃を撃って私の家を不当に家宅捜索し、レコーダー4台、テレビ1台、ノートパソコン1台、MP3とMP5を各5台、現金5千元~6千元を奪い、強制的に私たち夫婦2人をパトカーに不当に連行し、私たちを警察署へ送りました。警官たちは私たちから法輪功に関する関連情報を聞き出そうとし、夜も訊問を受けました。3日目、留置場に不当に拘禁されてからも迫害は続きました。4万元の身代金を家族は警官たちに払わなかったので、私たち2人は済南市章丘官荘戒毒所(訳注・麻薬中毒患者の治療所)へ送られ不当に2年間の労働教養を科されました。
労働教養所では第8大隊に入れられ、毎日強制的に労働させられ、夜も残業だったので、夜の12時を過ぎてからやっと寝られたのですが、いつもロビーのコンクリートの上で寝かされ、小さな腰掛に数カ月座らされました。受刑者が私を見張っており、大・小便や食事も時間通りにできず、マントーの中には大量の石の粉が入っており、食べようとしても嚥下困難で、無理やり食べた後は大便でも分解されませんでした。料理の中にはいつも4~5本の鶏の毛と雑草が入っていました。私はいつも殴られ、大法を中傷するビデオや録音テープを強制的に見せられました。
ある時、警察の大隊長である羅光栄が私を事務所に呼んで「法輪功はいいのかどうなのか? 煉功を続けますか?」と聞きました。そこで私は「法輪功は素晴らしいので、当然煉功します! もし法輪功が素晴らしくないのであれば、こんなに大勢の人が煉功するわけがないではありませんか? ですから法輪功は絶対に素晴らしいのです」と言いました。羅光栄と王新江は私の答えを聞いて激怒し、有無を言わせず私を押し倒し、殴ったり蹴ったりし、殴りすぎて本当に力がなくなってしまったので、私を元の場所に戻して手錠でつなぎました。このように丸7日間、手錠で繋がれ、ある時は1日に1杯の飯だけで、またある時は1日にマントー1個だけで、羅光栄たちは大便が適当に外に出るようにし、水で洗い流すこともしませんでした。不当に拘禁された同修たちは何日も私に会えなくなり、生死も不明だったので、集団で大隊の部署まで行って座り込みをして引き渡しを要求したので、羅光栄たちは仕方なく私を戻すしかありませんでした。
ある時、大隊長の羅光栄と副隊長の王新江が私をトイレに拘禁し、暖房のパイプに私の両手を手錠でつなぎ、暖房のパイプに繋がれた私の顔に向けてお湯を放出したので、繋がれた私は汗びっしょりになりました。その後、暖房を止め、強制的に私の綿入りの服を脱がせ、さらにトイレの北向きの窓を開けると、冷たい風が吹き込んで来て凍え、私の全身はすぐに冷やされ、冷たい風の中でがたがた震えました。すると「真の念が生じるときには、みな威力は強大です」[1]という師父の法が突然私の頭の中に入ってきました。そこで私は「私は正法時期の大法弟子で、法を実証しに来ており、三界内の全ては私が済度すべき衆生なのだ」と思いました。そして私は正念を発し、さらに私を凍えさせようとする風に向かって「中国共産党に協力して私を凍えさせてはいけない。悪人を助けて悪事を働いてはいけない。私は大法弟子です。あなたが自分自身の素晴らしい未来のために正しい選択ができるよう心から希望します」と言いました。その瞬間、冷たい風はすれ違うようにして私の体を避けて通り、体はにわかにぽかぽかの温風が吹いてくるのを感じました。
さらに私は手錠と「あなたは中国共産党の指図を受けて大法弟子を迫害する道具になってはならず、あなたも自分自身の素晴らしい未来のために正しい選択をしなければなりません」と交流しました。すると手錠はすぐに「カチッ、カチッ、カチッ」と音を立てて自分から緩みました。さらに私は「私は大法弟子なので煉功しなければならない」という一念が心の中で生まれました。師父は法の中で「手がなくても、足がなくても煉功できる」と説かれており、私は大法弟子なのに手錠に繋がれたままでいいのでしょうか? 私は「弥勒佛が腰を伸ばす」動作を開始しながら、両手を上に伸ばすと、暖房のパイプに繋がれた手錠がなんと不思議にもゴムのように伸縮性を持つようになり、私が両手を下ろしたり上に伸ばしたりした時に、ゆるやかに手錠が元に戻って行く動きが見えました。するとその時、突然警官が入って来ました。入って来た警官は王新江で、私が手を伸ばしているのを見て「どうやって手を上げたんだ?」と尋ねました。そこで私は「何を言っているのですか、私の両手はまだ手錠に繋がれたままではないのですか?」と言いました。王新江は私の手を持ち上げて、手錠には特に異常がないことを見て取ると、怪訝そうな視線を投げて歩いて行ってしまいました。その後、私は手錠に「ありがとう、あなたが大法弟子に手錠を掛けなかった事を私はわかっています」と言いました。
私はトイレに丸4日間手錠で繋がれ、警官は強制的に大・小便を許さず、最初は大・小便ができないためにお腹が張って気持ちが悪かったので、手錠を外すよう警官に要求しましたが、警官に拒絶されました。そこで私は「警官はなぜ大・小便を許さないのか、客観的に見れば私の体への迫害だが、実質上はこのようなやり方で私に修煉を放棄するよう強制しているのだ」と内に向けて探しました。「私は大法弟子で、師がいて、法もあり、大法弟子は全て師父が与えてくださった佛法神通を持っているのだから、今はその功能を利用して大・小便を他の空間から排泄させよう」と考えると、大・小便は本当に他の空間から排泄され、お腹の張りもゆっくりとおさまり、体も楽になりました。このように、警官は連続4日間、私を迫害しましたが、師父が私のために魔難を溶かしてくださったのでした。
現在、「邪悪の迫害を認めたために、自分自身の魔難を増大させ、正念で中国共産党を制止させることができずに、警官の罪を重くしてしまった。もしあの時、一念がしっかり法に基づいていたならば、金剛不動になり、警察の迫害に立ち向かい、迫害を否定したか、または悪を行う者に反対したなら、別の局面になっただろう」ということを悟りました。
私が道を歩んでいけるよう師父が加護してくださっている
昨年6月、各地では同修が相次いで中国最高法院と最高検察庁宛てに告訴状を提出しているのを明慧ネットで見て、すぐに「『江沢民告訴』は法を正す過程で師父が無量の慈悲で大法弟子に切り開かせ、チームワークを作り出して衆生を救い済度し中国共産党の迫害を解体するための重要なプロジェクトである。私は正法時期の大法弟子なので、師父の教えに従い、速やかに『江沢民告訴』の大潮流に関わって行かなければならない」ということを悟りました。
私は同修である妻と「農作業はどんなに忙しくても中止することができるが、『江沢民訴』のために告訴状を書くことは遅れないようにしなければならない。師父が私たちにお与えになった試験の答案を必ず完成させ、私たちの史前の誓約を実行しなければならない」と交流しました。私のように教養もなく、くわしか持ったことがない農家の者にとって、ペンを持って文章を書くことは難しかったのですが、どんなに難しくても書かなければなりませんでした! 私は2日間ぶっ通しで、16年の間に受けた迫害の大体の情況を数千字にして書きました。次の日(6月21日)の朝早く、書き終わった告訴状を持って数十キロ離れた街まで行き、同修に会って内容を修正してもらってからプリントし、その後、プリントアウトした告訴状を持って郵送しに行きました。その時、私には恐怖心はまったくなく、告訴状を出すことについて無比な神聖さを感じ、エクスプレスメールの手続きを行って郵送した時、郵便取扱人がなんと私に「どうして今頃来たのですか? あなたを待っていたんですよ、早くしなさい!」と言いました。エクスプレスメールの手続きを済ませた後、表に出た時突然、爆竹の音を思い出したので、すぐに「師父が私を励ましてくださって、他の空間で私を祝賀してくださっている!」と悟りました。
十数年の修煉過程を振り返ると、いつでもどこでも、どんな時にも師父が加護してくださっていました。師父の保護がなければ、私は今日まで歩むことはできませんでした。順調にいかない自分の修煉過程が恥ずかしく、師父に大変申し訳なく思っています。今後の限られた時間の中で、必ず師父にしっかりとついて行き、大法弟子の「三つのこと」をしっかり行い、円満成就への道で心を勇猛にして励みます! 師父、ありがとうございました!
不足の所があれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。
最後に、両膝を跪いて合掌し、師父に深謝いたします。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」
(明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)