【慶祝513】恨みと怒りが敬服と誇りに変わる
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文/中国の大法弟子の夫

 【明慧日本2017年6月9日】この十数年間、妻は人に「真・善・忍」を伝える法輪功を修煉したことを理由に不当に連行され、労働教養され、路頭に迷いました。以前私は妻を恨み、文句を言ったり、罵ったり、殴ったりしたことがあります。また離婚しようとも思いました。しかしやっと分かってきました。強権の暴力を前にして、もし私が妻に対する共産党の邪悪な迫害によりもたらされた圧力を妻の身にかぶせたら、私も邪悪の共犯者になり、それは邪悪を助けて善い人を迫害することになります。

 妻がはじめて捕まえられた時、一度自宅に帰ることを許可されました。妻をみた私は怒り、恨み、彼女に向かって大声で叫び、罵りました。またみなの前で彼女を殴りました。妻が法輪功を修煉しなければ、捕まえられることなんかあるのか? 今回妻が捕まえられて、子供の面倒は誰がみるのか? 家の店の経営は誰がするのか? この日々をどうやって送ればいいのか? と思い、そして、善良な妻に対する中国共産党の迫害によりもたらされた圧力をすべて妻の身に発散しました。

 また一度、現地の警官がよく妻を探しに我が家を訪れ、彼女を強制連行しようと企みました。しかたなく、妻は路頭に迷いました。私はひとりで幼い子供のすべての面倒を見ながら、家事をやり、また店の商売もしなければならず、しかたなく再び閉店しました。生活費の出どころがなく、また路頭に迷うと住む家を借りなければならず、以前やったことのない体力を使う仕事をしなければなりませんでした。私はどうしてもこれらのことを我慢できず、心のなかでまた妻を恨み、文句を言いました。「いつになったらこんな生活が終わるのか。労働教養されなければ、路頭に迷う、こんな生活に私は耐えられない! あなたが再び出かけないと保証しない限り、離婚する!」と言いました。当時離婚したい心は確固たるもので、いつもその家を離れ、ビクビクする日々から逃れようと思いました。

 その間、幼い息子を見ながらよく涙を流しました。なぜなら私は子供も、妻も惜しいのです。妻は善良で罪がなく、違法なことをやらず、ただ自分の信念を堅持しただけです。しかし、私はどうしてもこのようなビクビクした日々に耐えられませんでした。妻は再び出かけないと保証してくれなかったのですが、私は最後にやはり妻と息子を惜しみ、彼らを離しませんでした。しかし心中依然として恨みと恐怖で満ちでいました。

 「蛇に噛まれて朽ち縄に怖じる」ように、妻が何回も強制連行され、労働教養されると、彼女が家を出る度に私はビクビクしました。ですから、毎回妻が帰宅すると私は彼女を大いに罵りました。「おまえが大法の仕事で出かけたら、帰宅すると家庭暴力が待っていることを覚えておけ」と言いました。私は再び、もし再度捕まえられたらすぐ離婚すると強く言いました。これで圧力を増強し、彼女を少なめに外出させようと思いました。なぜなら、毎度出かけると強制連行される可能性があるからです。最初妻は何も言わず、無言で私の不満と罵りに抵抗しました。後になると彼女は私に怒らないように勧めてくれました。一度妻はまた帰宅が遅くなりました。私が罵ると妻は泣き出しました。私に罵られて泣いていると思ったら、彼女は「大法が冤罪をかぶせられ、法輪功学習者は迫害されているのに、多くの人が大法の真相を知りません。もし私が家で自分の生活を楽しむなら、私は善い人とも言えません! もしあなたの友人が冤罪を被せられたり、難に遭遇した時、あなたが表に出て彼のために公正な言葉を言い出さなければ、あなたは善い人ではないのです!」と言いました。

 妻の言葉に私は深く心が動かされ、怒りが一気になくなり、かわりに敬服の念が生じました。そうだ、いまの人はみな利己的で、みないかによい暮らしをするかを考え、法輪功学習者のように強権の暴力を恐れず、個人の損得を考えず、危険を冒して人々に本当のことを伝えようとする人がほかにいるのか? 中国の人々は物事を知る権利がないではないか? 真相を知らないではないか? 妻が圧力に耐えながら、前へ進む時、もし私が手助けをしないにしても、悪人を助けて悪事を働いてはならないと思いました。

 その年の冬、妻は大法の真相資料を配ったことを理由に留置場に勾留されました。私は店を経営しながら、4歳の子供の世話をしなければなりませんでした。その年の冬は非常に寒く、夜になって店を閉め、風雪をうけながら、子供をつれて自転車で家に帰る時、自転車を漕ぎながら、涙を落としました。そばに母親がいない子供が可哀想で、また妻が再び迫害されることを心配していました。その間は本当に苦しかったのです!

 私は妻に手紙を書きました。なかに「その恐ろしい場面を想像する勇気がない…」と一言書きました。妻が大法を固く信じているため、労働教養所で自分の修煉を放棄しないため、拷問で虐待されることを心配しました。私の考え通り、妻は労働教養所で修煉を放棄しなかったため、私が何回も面会に行きましたが許可されませんでした。その後、私は絶えず労働教養所の大隊長や、警官に電話をかけたり、手紙を書いたりしました。彼らに妻は性格が非常に頑固なため、これほど長年やったものをすぐには放棄しないから、ゆっくり対応しないといけないと伝えました。かつ親族はみな妻のことを非常に心配していて、常に電話なり、手紙で妻の状況を聞いていると伝えました。実際は彼らに妻を虐待しないように暗示しました。後で妻から聞きましたが、他の法輪功学習者と較べて、確かに妻に対する迫害は軽かったということでした。妻は労働教養所で数カ月間監禁された後、帰宅しました。多分妻が修煉を放棄しないことと家族のしつこさに面倒を感じたからでしょう。

 このことから、思いつきましたが、もしすべての法輪功学習者の家族が彼らの味方になり、力を尽くして家族を救援し、今回の迫害を排斥すれば、警官も本当にそれほど酷いことはしないでしょう。

 一度、警官が我が家を訪れ、妻を洗脳班に連れて行こうとしました。慌てた私は彼らを大声で叱りました。「なぜ人を捕まえるのか!」と。彼らは答える理由がなく、ただ妻を強制的に連行しようとしました。妻を守るために私は彼らと殴り合いました。しかし私はひとりだけだったので負けてしまい、彼らは数人が私を地面に押し付け、無理やり妻を連行しました。パトカーが離れてから、やっと私を放してくれました。私は洗脳班まで追いかけていき、「なぜ人を捕まえるのか?」と質問しました。彼らは「江沢民に聞きなさい、江沢民がやらせているから」と答えました。

 私は怒りましたが、訴えるところがありませんでした。2日後、妻は洗脳班から逃げ出しました。当時妻が帰宅してなかったため、私はそれを知りませんでした。妻を強制連行しようと、警官が朝早くドアをノックし、妻が家にいるかと聞きました。彼らは実際ビクビクしていて、妻に何かあったら責任を取ることを恐れていました。妻を強制連行した時、怪我をして指を薬布で包んでいる警官をみて、私は「手柄を立てましたね! 1人の女性にそれほど大きな力を費やし、それはなんだと思いますか? マフィアなどやっつけたら、それこそ本当の腕前です!」と言ってあげました。彼は怒って顔色が醜くなりました。私は彼らに協力したことがなく、妻の味方をしていたため、現地の警官はしかたない場合以外は我が家を訪れませんでした。

 一度警官は妻を強制連行しようとしました。数人が我が家の下まできて、数時間そちらにいながら、上まで上がって来ず、その間に私は大法の書籍と資料を全部移しました。自分の妻のことをよく知らない夫がいるでしょうか。もし本当に違法なことをしたら、誰もかばい立てすることはないでしょう。

 数年前のある日、妻が外で突然また強制連行されました。私がまだ事情を知らない状況下で、警官は妻の鍵でドアを開け、部屋に押し入りました。私は普段は脳梗塞、脳血栓のため、頭がよく働かず、時にはボケていました。しかし、当時なぜか私は逆に異常に冷静になって、ドアのベルがなった時、すぐそれを察知し、迅速に妻のものを隠しました。十数人がカメラとビデオカメラを肩に載せて入り、家の中をひっくり返しました。私は大変心配しました。一つはまだ一部ばらばらになっている大法の資料を隠す時間がなかったこと、もう一つは慌てていたため、ものを隠した場所があまり隠蔽したところではなかったことです。もし、見つかったら、妻は誣告され、罪に陥れられるのです。心配してもしかたない、すべて天命に任せようと思いました。当時、私は大法の師父に保護を求めることを知りませんでしたが、心のなかで「天命にまかせる」と思っていたから、師父が助けてくださったと思います。私が隠したものはかれらの目の前にありましたが、彼らはまったく見つけられませんでした。最後に彼らは妻が普段使うものを一つ持って行こうとしました。私は彼らに「私は自分の命をもってこれを守る。もし妻のこのものがなくなったら、私の命もなくなる」と言いました。彼らは帰って行きました。その時、1人の幹部のような人が寄ってきて、「心配しないでください。私たちは持っていきません」と言いました。確かに彼らはそれを持っていきませんでした。彼らは没収していくもののリストにサインするよう要求しました。私は妻がいつも彼らのいかなるものにもサインしないことを思い出し、私もサインしませんでした!

 我が家は小さな商売をやっています。私は頭に問題があったため、反応が鈍く、普段はすべて妻にまかせていました。妻が家にいなくなっても、生活はしなければならず、私は無理して商売をやりました。普段手伝いをするだけでもよく分からない私でしたが、いまは主役になりました。当時頭の問題は一気になくなったかのように、お金の受け取り、計算など非常に早くできました。商売ができただけでなく、店は非常に繁盛しました。

 妻が解放されて家に帰ってくると、隣近所は妻に「あなたが留守をしていた間、彼(私のこと)」は何の問題もなかったですよ。反応も鈍くなかったし」と伝えました。妻は感慨深く私に「私達一家は師父に守られていますね。あなたが大法の資料を保護したため、福報を受けました」と言いました。

 確かに、この数年間、私は本当に大法の恩恵を受けました。腎臓結石を患ったことのある人ならみな知っていますが、その痛みは命をとられるほどのものです。一度1月4日に私は腎臓結石になり、痛みで一晩睡眠を取れず、大人の男性なのに涙を流しました。翌日数瓶の点滴を注射しましたが、少し緩和しただけでした。妻は私に、「大法だけがあなたを救えます。『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』と念じてください」と言ってくれました。また、師父の説法録音も聞かせてくれました。数日後、私は薬を飲まず、注射をせず、回復しました。

 しばらくして、ある日突然排尿が困難になりました。尿道口が何かによって塞がれているようでした。尿はますます細くなり、夜になるとほとんど出なくなりました。妻は私に「法輪大法は素晴らしい」と黙念するように教えてくれました。私は何も言わず、心のなかで師父に助けを求めました。尿が出ないので、お腹が非常に大きくなり、顔が真っ赤になりました。もう我慢出来ない、病院に行こうと思った時、試しにトイレに行ったら、何かが便器に落ちた音がしました。コーン粒の大きさの小さな石が出てきたのです。全身が直ちに楽になりました。本当に言葉では当時の心情を表すことができません。その石は容易く排尿して出てくるものではありません。たくさんのお金を費やして病院で石を砕いた人もいますが、砕いた石はきれいに排出できず、きれいに排出しても、また生じてきて、しばらくするとまた再発します。しかし、私はその時から腎臓結石が完全に治りました。いままで10年経ちましたが再発していません。

 周りをみると、年配の人も、若い人も病気になるとすぐ病院にいき、お金をたくさん費やしても病気が治らず、若い人も亡くなったりしています。彼らと比べると私はあまりにも幸運です。常に師父が私の面倒をみてくださると感じています。いまなお私は法輪大法を修煉していませんが、内心で非常に妻の修煉を支持しています。妻が忙しい時はなるべく多く仕事をして、彼女に学法する時間を多く作ってあげます。妻が法を暗唱すると、私は間違ってないかチェックしてあげています。妻が文字の印刷された紙幣を持ってくると、私はそれを使います。時にはものを買う人が、「あなたのお金にはなぜ文字がありますか」と聞きますが、私は「文字のある紙幣がよいと思うので、わざと替えてきました。よく読んでください」と伝えます。妻が真相を伝える時、私は彼女に協力します。時には私が「脱退してください。私達はみな脱退しました!」と言ってあげると非常によい作用を働きます。

 一度友人と一緒に食事をしましたが、妻がいない状況で私が友人に説明して彼を脱党させました。

 妻は修煉してから20年経ちました。この20年間、彼女は健康で、薬を飲んだことがなく、注射したこともなく、病気治療に1錢も使っていません。また家でトラブルが発生すると常に私に譲ります。彼女は毎日家事や、子供、商売や、朝の煉功、また学法、大法の仕事もしなければなりません。時間を節約するため、彼女は毎日非常に短い時間しか寝ていません。中国共産党がでっち上げているように、法輪功学習者が家のことも、子供の面倒もみないのではありません。

 妻は数え切れない法輪功学習者のなかの1人に過ぎません。法輪功はただ善良な修煉団体であるにもかかわらず、江沢民は私利のため妻のような無数の法輪功学習者とその家族に残酷な迫害を加えました。

 2015年に全国で江沢民を告訴するブームのなか、私も躊躇せず江沢民を告発しました。新唐人テレビ局の論評員が言った通り、このような悪の頭を静かに死なせるわけにはいかず、すべての善良な人にみなこの悪の限りを尽くした江が然るべき審判を受け、天下に「善悪には報いがある」という天理を示すことを見せるべきです!

 何回か私も修煉しようと思いましたが、やはり決心がつきません。自分には全うできないと感じました。法輪大法を修煉することは簡単に見えても、変わらず堅持することは容易いことではありません。ですから、私は心より妻を敬服し、彼女が揺るぎなく20年間初心を変えず修煉したことに敬服し、彼女の人に対する善良、寛容、弱いように見えても内心剛強なことに敬服します。法輪大法は100以上の国と地区に広まり、異なる皮膚の色、異なる民族、学位の高い人、地位の高い人もみな修めています。妻はその中の普通の一員です。私は妻が大法弟子であることを心より誇りに思います。

 お正月に妻は私に「新年を迎える時、全世界の大法弟子と多くの家族、及び世の人々がネット上で師父に新年の挨拶をしています。あなたは師父に挨拶もしなかったね」と言いました。当時私はネット上で師父に挨拶できることを知りませんでした! 「5.13」世界法輪大法デーの機会を借りて、師父に「お誕生日おめでとうございます」と申し上げます!

 師父、こんにちは! 師父、お疲れ様です。師父は大法弟子だけでなく、その家族も見守ってくださっています。感謝の気持ちは言葉で現すことができず、ただ、「師父、ありがとうございます!」と一言申し上げます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/5/23/327532.html)
 
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