グループ学法に参加すると 向上が速い
■ 印刷版
 

文/中国大連市の大法弟子

 【明慧日本2017年6月3日】現地のグループ学法は数年前から始まりましたが、私は参加したり、しなかったりしていました。主な原因は外に向けて探しており、心性の向上に関する交流を聞く時、同修の現れは常人におよばないと感じていたからです。同修達はどうしてこんな状態なのかと思いました。しかし、慈悲で偉大なる師父は、同修達に私を引っ張ってグループ学法に参加するように按排してくださいました。

 こうして絶えずグループ学法に参加するなか、同修と交流することもでき、私は少しずつ内に向けて探すことができるようになり、自分が以前法をもって人を量り、人に要求していたことが分かってきました。

 最近、学法しても法が心に入らず、これは必ず自分のどこかが間違っていると思いました。家で学法し内に向けて探しても、根本的な原因が見つかりませんでした。グループ学法の時間になっても、少し行きたくない気持ちになりました。このような状態が正しくないと分かっていた私は、やはりグループ学法に行くことにしました。そして学法後の交流の中で自分には自慢の心があり、それが作用し学法に身が入らず、集中できないのだと認識できました。

 この間、仕事の関係でトラブルが発生し、各種の執着心が引き起こされ、排除し難かく感じました。そして、自分の修煉に対して疑問を持つようになり、消極的になりました。グループ学法の時、同修は私と交流し、同修の励ましが修煉の原動力となりました。グループ学法から帰宅したら、煉功することにしました。

 しかし、自宅に帰ると同僚から電話がかかってきて、私と仲のよい同僚が背後で私の仕事のことを言いふらしていると告げられました。それを聞き私は心が揺れ動き落ち着かなくなりました。当時、自分が修煉者であり、忍ぶべきということを知っていましたが、煉功も他のこともやりたくなくなりました。そして、修煉しない親戚の家に行き、しばらくそちらにいました(今これはよくないことだと分かっています)。帰宅後、突然に午後のグループ学法の時のことを思い出しました。それは数人の同修から問題にぶつかると多く学法すべきであり、法は謎を解き明かしてくれると言われたことでした。それから、何も求めずに、『オーストラリア法会での説法』を取り出し読み始めました。「法を正す修煉者はまず殴られてもやり返さず、罵られても言い返さないようにしなければならないと私はいつも言っています。それでは、皆さんは修煉の中でトラブルにぶつかった時、何故その心を放棄することができないのでしょうか? 気に障るようなことを言われた時、何故機嫌が斜めになってしまうのでしょうか? 不機嫌になった時、心の中で修煉と向上の機会を排斥しているのではありませんか? 常人と同じような喜びを得たいと思っているのではありませんか? それでは、あなたは常人ではありませんか?! こういう時に『私は何故不機嫌になったのか? 人に何かを言われて不機嫌になった時、自分は何かを求めているのではないか。常人の中で誰もが私にやさしく、気持ちよく過ごしたいと求めているのではありませんか』と考えるべきです。それでは、あなたはどうやって向上するのでしょうか。常人のものを何も取り除かなければ、どのように向上するのでしょうか。ですから、向上することができません。これらのもの、人間が放棄できない執着を真に放棄すべきです」[1]を読み、私は大きく震撼され、心が震え、「師父、師父はあまりにも偉大です!」と叫びました。

 当時すでに夜8時過ぎでしたが、私は突然ずっと書こうと思いながら書けなかった体験文章を思い出し、早速書きはじめました。同修にこの修煉体験を整理してもらう時に、法の力を感じました。そして、涙を押さえきれませんでした。同時に自分はただ師父の啓発の下、少しの法理を悟っただけだと認識し、着実に修めることがまだ足りていない、だから引き続き内に向けて探し、グループ学法に参加し続けるよう自分に要求しました。なぜなら、そこでの向上が最も速いからです!

 師父は「ここで話したのは、集団で修煉する環境がなくてはならないということです。それは非常に良いので、それを失わないでください。この環境も人々を精錬しています」[1]と説かれました。

 師父、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/26/348687.html)
 
関連文章