【明慧日本2017年6月13日】先日、子供の受験のため、都心から遠く離れた大学のキャンパスまで送りました。子供が試験会場に入ってから、場所を見つけて学法をしたいと思いましたが、大学の図書館に入るには学生証が必要だったので、外で待つしかありませんでした。冷たい風に吹かれて頭が冷たく感じ、気を逸(そ)らすため、無意識にスマートフォンを取り出してインターネットでちょっと遊んでみようと思いました。
私はあるホームページに入り、主に国際情勢に関する内容を読んでから、いくつか興味のあることについて、検索エンジンを使い、関連記事を読んでから、ウィーチャットに上がってしばらく遊んでしまいました。あっという間に1時間が経ち、この状態はよくない、早く止めようと思いましたが、頭の中で「あと一つの記事だけ読んでからやめよう」、「あと5分だけ読もう」と思い、時間があっという間に経ってしまいました。子供の試験が終わって出てきたので時計を見ると、すでに3時間スマートフォンで遊んでしまいました。
家に帰った時はもう時間が遅くなり、悔しくてたまりませんでした。数カ月前、インターネットとゲームについての説法を勉強し、明慧ネットの関連記事を読んでから、仕事に必要な情報収集以外、インターネット、ゲーム、ウィーチャットは絶対やらないと心に決め、ずっと頑張りましたが、しかし、今日は主意識を強く持てなかったので、「寒くて、図書館に入れなかった」など外的要因を理由に、午後の時間を丸々無駄にしてしまいました。
午後ずっと外にいて体が冷え、時間を無駄したので気持ちが落ち込んでしまい、布団の中に潜って眠ってしまいました。起きてから、「あぁ・・・どうせ今日も1日ダメだ、思い切り気の向くままに遊ぼう、明日は絶対遊ばない」と思い、またスマートフォンを取り出し、昨日アクセスしたホームページをメインにいろいろな記事を読み始めました。昼の発正念の時間を逃してもまだ読んでいました。夜ヘトヘトに疲れてから寝ようと思い、ふと「最近学法のとき、いつも雑念に妨害され集中できないのに、なぜ常人の記事を読むときは、これほど吸い込まれてしまって、やめようとしてもやめられないのか? まるである力に背後から押されたかのようで、この力はまさに学法を妨害する思想業力と同じではないか?」と思いました。今夜からは、必ずしっかりと自己制御し、同じ過ちを繰り返してはならないと自分を戒めてから、寝ました。
しかし、私は夜中に恐怖を感じ、目が覚めてしましました。部屋中が真っ黒で、光がないような暗さではなく、部屋に邪悪なものが充満し、私の体を包み込み、特に頭の上の空間にその密度が高く、冷ややかな目線で私を見つめていました。突然、この黒い霊体がいきなり猛烈な勢いで私を攻撃し、一部は心臓に侵入してきました。そのとき自分の心臓に「心臓病」の病巣ができたかのように急激に厚く大きくなり、心拍が早くなり、呼吸困難になりました。私は心の中で一瞬 「師父、弟子は間違いました! 師父、助けて下さい!」と、合掌して師父にお願いしようとしましたが、この黒い霊体が私の全身を拘束し、両手をまったく動かすことができませんでした! 発正念をしても、ふわふわとしてパワーを感じなかったのです。以前睡眠状態で邪霊に妨害されたとき、発正念をすると心の中から巨大なパワーが邪霊に向けて出たのを感じたのですが、今回は完全に無力でした。もがいているうちに私はまたこんこんと眠ってしまいました。その後、このようなことが2回現れ、この黒い霊体の力が少しずつ弱くなりました。朝ぼんやりして、私はまた朝の発正念の時間を逃してしまいました。
目が覚めてから、夜中の激しい戦いを思い出し、改めて背中がゾクっとしましたので、私は直ぐ心を静めてしばらく学法してから、足を組み正念を発しました。自分の空間場をきれいにするとき、突然自分の体にある心が付着しているのが見えました。それは好奇心です。この好奇心は私ではなく、一つの霊体であることがはっきり見えました。私たちは知識を探求し、溢れる情報を猟奇しているとき、実はこの霊体に食糧を送っているのです。この表現はたとえではなく、この霊体はこのために生まれたのです。この霊体が陰で駆り立てたから、私は欲深く満足することを知らないほどにまで、さまざまなものを閲覧し続けていました。私はこの霊体のために食料を提供していたのです! この霊体の体と食欲は私たちのいわゆる「探求」と「知識欲」によってどんどん膨張していきます。さらに、この黒い醜い霊体の体にはいくつかの突起がでてきて、一部は文化面の「食糧」によって大きくなり、一部は科学面の「食糧」に育てられ、最も醜い突起は現代社会の娯楽、芸能面の情報に育てられたのです!
昨日のことを思い起こせば、そのような状態は良くないと思いながらも、ストップがかからず、まるで手が何かに操縦されているかのようでした。法を正す最後の段階に来ており、各種の法を乱す要素、邪霊、卑しい鬼が私たちの一挙一動、一つの考えや一念を虎視眈々と狙っており、少しでも漏れがあると、それらは高い密度で集まり、その漏れを口実に私たちの空間場に入り込み、私たちの正念を壊し、執着を拡大するのです。昨夜の霊体は正に好奇心が引き寄せた法を乱す邪霊で、私の命を消滅しようとしたのです。もし、当時僅かでも正念がなければ、どんなことになっていたか考えられません。
この霊体の正体が分かってから、私は直ぐ発正念をし、それを消滅しました。その後、私は次の師父の説法を思い出しました。
「気功の低次元のものをたくさん習って、いっぱい身につけたとしても、かえって害になります。なぜかというと、あなたの身体がすでに乱されてしまっているからです」[1]
「もちろん、多くの人々、特に知識レベルの高い人は長期的に、科学や知識に対して探求したいという習慣と観念を形成しました。いったん、これらのものと接触したら、探求したくなり、それを理解しようとします。彼は既に形成された知識に対する追求心、それに加えて人間の分け前に満足しないという心理作用によって、彼はいつも探求し続けています」[2]
「人間は目で何を見ても大丈夫で、見たくなければ見なければいいと言っています。違います。目に入ってしまえば、身体に入ってしまいます。いかなるものもほかの空間で身体に入ることができます。長く見れば見るほど、たくさん入ってきます。テレビ、パソコン、どのようなものでも見たら、入ってきます。頭と身体にこれらの良くないものが多く入ってしまえば、あなたの行動はそれに制御されてしまいます」[3]
「修煉者は本職の仕事をきちんとこなすこと以外、政治、政権などに興味を持つことはありません。そうでなければ、決してわたしの弟子ではないのです」[4]
なるほど、「失と得」の法理についてみんな良く分かっていると思います。1人の修煉者にとって、好奇心、知識欲は通常なにも怪しいものではなく、常人社会においては推奨され、高く評価されています。「好奇心は社会発展、科学進歩の要因」などのような言い方がありますが、実は全てこれらの心に制御された状態で言い出した言葉です。この表面上の空間では執着心が満足したので、快感や達成感に酔いしれているように見えますが、実は他空間ではたくさんのものを失い、めちゃくちゃなさまざまな霊体、地球外生命などなどが隙に付け入り、人類の体を操縦し、常人社会をかき乱しているのですが、人間はそれでも進歩して、良いことだと思い込んでいます。
以前はインターネット上のポルノなどに関するサイトには気を付ければよく、他のサイトは大した悪い影響はないと思っていたのですが、好奇心の本当の姿が見えると、やっとこれも強烈で危険な執着心であることがわかりました。国内外の現代科学の教育を長く受けていて、探求心、知識欲が強い若い修煉者の多くは、この執着心を重視せず、警戒心も不足しているようです。この面において、大量の時間と精力を費やしてしまいました。しかし、修煉者なら「求めずに自ずから得る」[5]の法理に従うべきですが、しかし、この「求めず」の範囲はとても広く、内包は非常に深いのです!
浅い見解ですが、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『米国西部法会での説法』
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二〇一〇念ニューヨーク法会での説法」
[4] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「修煉は政治ではない」
[5] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』