文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年6月19日】私たち夫婦はずっと前から法輪大法は素晴らしいと知っていましたが、正式に法を得たのはここ数年のことです。2014年、新しい所に引っ越して、当地の同修を通して、私はやっと正式に法を得ました。夫は2016年に修煉の道に入りました。私たちがはっきりと分かっているのは、大法弟子は衆生を救い済度する偉大な使命があることです。私たちがこの数年でどのように資料を供給したか、条幅(書画を軸物にしたもの)を掛けたかの過程を師父に報告するとともに、同修と切磋琢磨したいと思います。
3年前、『轉法輪』を手に取っても文字が分からず、集団学法の時に非常に焦り、また面子を保ちたいという名を求める心もありました。他の人はあんなに流暢に読むのに、私はまだ多くの字が分からず、意味もよく分かっていませんでした。この過程の中で、同修たちの協力の下、私は書籍の中の字を書きながら覚え、自分の各種の執着を取り除きました。現在、私は既に流暢にたくさんの大法の書籍を読めるようになり、この過程はとても不思議でした。師父が私の智慧を開いてくださったことに感謝いたします。
法を学ぶ過程で、家で学法している時、夫も一緒に法を聞くことが出来ました。夫は修煉していませんでしたが、悟性が良く、私が心性の関を乗り越える時に、夫は頻繁に大法の書籍の中から聞いた道理を私に伝え、心を修める事を手伝ってくれました。それから学法を通して同修と接触する時、正法時期の大法弟子は衆生を救い済度する偉大な使命がある事をはっきりと分かりました。現在はまだ面と向かって知らない人に真相を伝える事を突破しきれていませんが、正式に法を得て間もなく、ずっと資料を配ったり、ステッカーを貼ったり、条幅を掛けたりするプロジェクトに参加し、同時に農村部に資料を届けに行く責任を担っています。
(一)
私はもともと農村部の辺鄙な遠い場所に住んでいて、1999年以前に法を得た多くの古い大法弟子がいましたが、そこは文化の程度が低く、年齢も高いため、ずっと資料の供給源がありませんでした。私のとこら辺の同修が連絡した後、彼の所にある幾つかの資料拠点が破壊され、彼らは経文の入手先を失いました。二十数人の同修が経文を読むことができず、資料が無いため世人を救い済度することが出来ずにいました。私は放っておくことができず、彼らに資料を提供しに行こうと思いました。
始めたばかりの時は負担がとても重く、恐怖心がありましたが、法を学ぶことを通して、恐怖心を取り除き、ずっと今日まで続けています。何度もあの辺鄙な場所に資料拠点を開こうと考えていましたが、その場所は不便で、邪悪な偽の学習者ばかりでした。安全が確保出来ないため、同修たちもずっとこの事を突破出来ずにいました。私はただ黙々と協調するだけでした。あそこは山間部で遠く、交通も不便で、車が必要でしたが、この数年間交通費がいくらかかるかなど気にしたことはありません。
多くの場合、本当に筋骨を労する事は大したことがなく、心志を苦しめる事こそ最も難しいのです。例えば、大法の真相ステッカーを貼る時、同修たちの恐怖心や、個人の修煉の認識の問題、観念、個人の角度に立って資料への要求を提起したりします。こんな時は二つの方面をすり合わせる必要があると思います。
この数年、明慧ネットで発表されたステッカーはますます大きくなっていますが、同修たちはかつての小さいほうが持ちやすいし、貼りやすいので、大きな貼りにくいものは持ちたくありません。またある同修は「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」のステッカーを欲しがり、他の内容のものは何故か分かりませんが、欲しがらないのです。しかし江沢民告訴の潮流が始まって以来、明慧から来たステッカーは最も小さなものでさえA4サイズの半分の大きさで、内容も全て正法の形勢変化のものなので、多くの同修が言う話は全て障碍になってしまいます。中に挟まれている私はこの事態を良くしなければいけません。
この資料拠点の各種の資料とステッカーは明慧の正法の形勢と歩調を同じくしていて、道理上では、正法の形勢の内容に基づくものは全て最新のもののほうが最も良く、現在の衆生を救い済度する形勢に最も適しているのです。これは間違いのない事です。しかし農村部にいる同修は、文化のレベルや、遠く離れている事、修煉状態が違う等々の多くの原因で、週刊誌を見る事にもとても苦労し、ネットに上がる事や明慧ネットの要求について行くことにも苦労しています。ですから新しい形勢の変化の下、往々にして新たに出て来た大法弟子が、法を実証することを受け入れるのは容易ではなく、法に基づいて同修と協調しコミュニケーションを取ることで、彼らがなるべく早く新しい形勢、新しい要求を受け入れられるようにしなければいけません。
ステッカーの大きさと内容は新しく更新されました。ここで資料を提供している同修と、頻繫に明慧ネットに上がれる同修は基本的に障碍がなく、切磋琢磨して、彼らは法理に基づくようにと私に話しました。明慧ネットは師父がおっしゃった大法のネット場での、最新の形勢と人を救う要求は、全て明慧ネットを通して知らせています。明慧ネットから出た新しいステッカーはますます大きくなり、ますます目立ち、これは現在の正法の形勢がすでにここまで至っているということです。また現在は衆生を救い済度することの効果を考えるべきで、小さなステッカーと小さな小冊子は確かに持ちやすく、貼りやすく、配りやすいのですが、人を救う効果から見れば大きいステッカーと大きい資料には劣ると思います。もし、A4サイズのステッカーを目立つところに貼れば、とても遠くからでも見えます。小さいほうが身に着けやすいのですが、人を救う効果から見ればおそらく、小さいのを100個貼るよりも良いと思います。大法弟子はこの事を行う時、最終的な効果を考えるべきです。小さい小冊子は確かに持つのに便利で、資料拠点で制作するのも便利ですが、現在の常人社会のあらゆる所の広告は、小さな民間病院でさえ出した広告は全てA4紙で1冊の雑誌の面積を占めています。私たち大法弟子が衆生を救い済度するために出した真相資料は、それに比べてとても小さく、目立たないので、もしかすると衆生に対する尊重と重視が出来ていないのかもしれません。ですから効果から見て、やはり明慧から出た適時性のあるステッカーや資料を使用するのが最も合ったやり方だと思います。大法弟子が衆生を救い済度しようとするなら、衆生が容易に救えるような角度から行うべきで、大法弟子が便利な方法で行おうとするのではなく、衆生が便利だと思う方法で行った方が良いと思います。
私は同修のこの話が正しいと思い、この話をそのまま私がもといた農村部の同修達に言いました。彼らはそれを聞いて分かるようになり、選んだりしなくなり、また明慧ネットの新しい形勢と衆生を救うために必要としていることに出来るだけ協力し、何かが届けばそれを受け取り、何かあった時は方法を考えて良く行うようにするようになりました。
(二)
この数年、資料を提供しに行く過程の中で、修煉していない夫がずっと協力してくれていました。夫は何度もバイクや車に乗り、行ったり来たりして手伝ってくれました。しかしどんな事でも心を修める部分があります。あの農村部の同修たちはこの事を怖がって、大法弟子の事は大法弟子が行うべきで、常人が行えば容易に旧勢力に隙に乗じられる、先例があった等々と言いました。
私は特に気にしていませんでしたが、彼らは私が気にしていないのを見て、夫の両親の所に何人もの同修が行って話したりして、回数が多くなると、私の心は非常に反感を覚えました。そして個別に同修に言いました。「皆さんは修煉している人で、話す言葉にはエネルギーがあるから、このようにしてはいけません。私の夫は常人ですが、この事を行うことが出来、あなた達が安心できなければ、師父にお願いして正念で彼を加持してあげても良いでしょう。彼に正念を発してあげるのも良いでしょう。どうして彼にあのような良くない物を押し付けるのですか?」。それから私は大法の法理に基づいて自分を探し、この事に心を悩ませてはいけない、やるべきことを行うべきで、時間が無い時や、夫が資料を提供しに行くのに便利な時にはやはり資料を提供しに行ってもらいました。それから私は心を放下し、あのように言った同修も言わなくなりました。
2016年、機縁が熟したのか、外地の同修の励ましの下で、夫と姉の夫がついに正式に法を得て、資料を提供する力もさらに大きくなりました。さらに喜ばしいことは、私たちは普段自分で資料を配っていましたが、人を救うプロジェクトが大きくなり、さらに容易になりました。昨年から江沢民告訴が始まり、明慧では江沢民告訴のパネルや、大きなステッカーが出され、資料拠点もさらに良い品質の多くの条幅を提供しました。夫はこれらのプロジェクト上で大きな活躍をしました。夫は最も長い条幅を掛けました。当然ながら夫は何といっても新しく法を得た同修なので、頻繁にどのようにして安全に注意するのかを同修たちで話し合い、やみもくに事を行わず、なるべく法の上で己を向上させ、仕事を行う心や歓喜心を取り除き、さらに平穏に衆生を救い済度する事が出来るように話し合いました。私たち夫婦が外に出てパネルを掛けたり、条幅を掛けたり、資料を配布したり、ステッカーを貼ったり、これは常日頃の事です。私たちが現在最も急いでいるのは、早く今ある大法の書籍を読み終えることが出来るようにすることです。多く法を得れば、さらに衆生を救い済度する事を良く行えるようになります。
条幅を掛ける過程の中、多くの恐怖心を取り除き、どのようにするかを模索し、安全に注意し、またどのようにすれば効果が良くなり多くの人を救えるのかを考慮しました。私たちはますます理知的になり、知恵が出てきて、心がますます平穏になりました。初めて外に出て掛ける時は、主にステッカーですが、条幅は45個だけ持って行きました。現在は監視カメラが多すぎて、農村部に限らず、どこもかしこもカメラの目があって、数年来、当地の多くの同修は監視カメラの下、邪悪による不当な逮捕の恐れがあるので心の圧力が大きいのです。しかし最終的にはやはり突破出来て、持って行った条幅は全てかけることが出来ました。帰る時心は言いしれぬ満足感がありました。
それから夫も修煉して突破し、いつも前回より多く持って行くように要求してきました。私たちは掛けながらどのように掛けると効果が良いのかを研究し、また邪悪に容易に破られない方法を考えました。家に帰ってからも心を用いて、なるべく条幅の各部位を調整しました。見た目は簡単な条幅ですが、上下は小さな木の棒で支えています。また条幅の上方にある小さな木の棒の中間に穴を開けて、適度な長さのひもを結び付け(具体的な長さは個人の身長と力で決める)、ひものもう一方の端には布切れで小さな石を包みます。条幅を掛けると言いますが、実際には条幅を投げるのです。研究と実践を経て、私たち夫婦は条幅を基本的に全て放り投げて掛けることが出来、高い大木に放り投げて開くと効果が良く、容易にはっきり見えるし、石のついたひもは木にからめることが出来、悪人が容易に取ることが出来ないようになっています。現在私たち夫婦はどこに行くのも手ぶらではなく、これは衆生を救い済度するのに必要な事です。
当然の事ながら、多くの同修に比べて、私たちが行ったことは多いとは言えず、これからの修煉の道において、私たちはなるべく多く学法するようにし、多くの衆生を救い済度し、師父に満足していただけるようにします。