文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年8月1日】色欲の心を取り除くことにおいて、周囲の同修たちには一つの共通問題があると感じています。それは、常に個人の角度に立って取り除こうとしていることです。この場を借りて、色欲の心を取り除く私の経験を同修の皆さんと分かち合いたいと思います。
私は1995年に法輪大法を修煉し始めた古い弟子で、心臓病を治し、健康を得たいと修煉を始めました。修煉前の私はテレビに嵌っていて、恋愛小説や連続ドラマは一話も逃さずに観てきて、多くの色欲や情に関するものを溜め込んでしまいました。そのため、修煉を始めてから色欲の心を取り除くことは非常に難航し、不潔なものが絶えず現れてきて私の修煉を妨害しました。それらの不潔なものを一掃するために、私は法を暗記したり、書き写したり、長時間の発正念もしましたが、それでも状態が良くなったり、悪くなったりして、根絶できませんでした。
『轉法輪』の中で、師父はこのようにおっしゃっています。「ある人について好印象をもち、悪印象をもつのも、何かをやりたいと思い、やりたくないと思うのも、すべてが情によるもので、常人とは情のために生きているものです」[1]。これらの説法と自分の行動とを照らし合わせて気づいたのですが、日々街を歩く私の目はいつも知らず知らずのうちに美人や美男子を見てしまい、見てから後悔し、「どうしてまた情が動じ、色欲の心が動じたのか?」と自責の念に陥って、家に帰ってからすぐに発正念をしました。しかし、街に出ると、またも同じことを繰り返しました。その後、私は人を見ないで、地面を見るようにしました。しかし、いくら避けようと努力しても避けられず、何かに制御されているようで、大変苦悩しました。しまいに、私は色欲の心を自分自身と混同し、それが先天的な自分ではないことを根本から見分けていませんでした。
慈悲なる師父は私が偽の自分に気付くように、ある出来事を按排されました。ある日、同修の家を訪ねた私はドアをノックした瞬間に何の念も動じなかったのですが、突然、頭のてっぺんからある色魔が現われて、頭を長く伸ばしていきました。それから、白昼夢にふけるように、私の頭には多くの不潔なものが現れました。私はびっくりしました。私はいかなる念も動じていないのに、これらの悪い考えはどこから来たのでしょうか? 私は直ちに警戒し、頭のてっぺんにある色魔を指さして厳粛に言いました。「それはあなたの考えで、私の考えではありません」。瞬時に、それはなくなりました。私ははっと悟りました。長年来、私は法理がよく分からず、ずっと以前に造った業を返しているという執着心に囚われていました。
同修の交流文章を読む際、よくこのような台詞を見かけます。「私には執着がある。私はよく出来ていない。私は正念が足りない」などなどです。ずっと「私」を強調していて、そのものを本当の自分だと思い、知らず知らずのうちに繰り返しそこにエネルギーを送り込み、強化してしまいました。なぜ私たちが発する正念は効かないのでしょうか? 私たちはもしかして執着が見えたのかもしれません。しかし、法理がはっかり分かっていないため、そのものを自分だと認め、懐にしっかりと抱え込んでしまえば、どのようにしてそれを取り除くのですか? あなたは自分自身を取り除くことができますか? あなたはすべてそれが自分だと承認してしまったので、それを欲しがり、それを求めることになります。どのように取り除くのですか? まさに師父がおっしゃっているように、「あなた自身が欲しがっているから、法輪もわたしの法身も干渉しません。これは絶対です」[1]
ある同修の執着心を指摘してあげた時、彼女はこう言いました。「とっくに気づいたのですが、どうしても取り除くことができません」。考えてみて下さい。前半の言葉は本当の彼女が言っているですが、後半は違います。後半はそのものが彼女を制御し、彼女になりすまして言ったのです。そのため、それを取り除くことはできません。私は彼女にこう言いました。「それが自分だと認めないで下さい。そうすれば、あなたはそれを取り除くことができます」。もう1人の同修も一緒に言い聞かせました。最後に、彼女はようやく「分かりました」と確信ある口調で言いました。
『明慧週刊』第785号にこのような交流文章があります。ある同修は3日間ずっと色魔による敏感な部位への妨害を受けて、いくら発正念をしても邪悪を取り除くことができませんでした。その後、同修は「相は心から生じる」[2]という師父の法理を思い出して、邪悪に向けて「あなたは宇宙の中でもっとも恥ずべき生命で、もっとも不潔です。以前、私はあなたを大きく見てしまいました。実際、あなたはもっとも小さく、何ものでもないほど小さく、生命とも言えません」と言ったあと発正念の口訣を言いました。色魔は瞬時に消えました。
最近、心を静めて師父の各地での説法を学ぶ過程で悟ったのですが、色欲の心がなかなか取り除けないのは、旧勢力の按排や妨害があることも一因です。旧勢力は大法弟子たちに遭遇すべきでないこと、甚だしきに至っては解決が至極困難な問題を押し付けました。法を実証し衆生を救うこの歴史的過程において、旧勢力のすべての按排は妨害です。このようなことは確かに存在し、紛れも無い事実です。
最近、私は色欲の心を取り除くための正念を発する際、個人修煉の角度に立つのではなく、正法修煉の角度に立ってそれを取り除くのです。不潔な考えが現れた時、私はこう言います。「あなたたちの出現、存在さえも認めません。このような魔難自体も認めません。あなたたちが按排した魔難の中で修めるのではなく、その魔難を根本から認めず、全面的に否定します。私は法を正す師に手伝い衆生を救うために来たので、迫害に耐えに来たのではなく、弁済しに来たのでもありません」。正法修煉の角度に立ってそれらを取り除くようにしてから感覚が随分良くなって、汚いものもだいぶ少なくなりました。
師父はこのようにおっしゃっています。「自分自身にある正しくないすべての要素も含めて、すべて大法と大法弟子の正念と一致していないものはいずれも、旧勢力の関与によってもたらされたことです」[3]、「実は旧勢力はすでに法を正すことの魔として取り除かれています」[3]
法に符合しない部分があれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。
師父の慈悲なるご済度に感謝致します!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
[3] 李洪志師父の経文:『波紋を呼んだ副元神に関する文章について』