旧勢力に対する部分否定と全面否定(三)
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さまざまな欲と執着による迫害

 文/同化

 【明慧日本2017年8月7日】(承前)旧勢力の迫害に対してどのように徹底的に否定するのでしょうか? 多くの同修が、自分ではどのように行っても突破するのが難しいと感じており、多くの人が部分否定しかできず、迫害の中でもがいています。本文では、旧勢力が人の各種の欲望に迫害を加えることについて交流しますが、悟性が限られているので、不適切なところがあればどうか訂正をお願いいたします。

 すべての執着が欲望を放さず、旧勢力に対して認めており、なぜなら執着は旧勢力によって大きくなるからです。

 1.  色欲の関による迫害

 着実に修める中で皆さんも「色欲の戒律を犯した同修を旧勢力は絶対に手放さず、すぐに刑務所の苦難に陥り、正法を離れて邪道を歩むばかりでなく、大法に災いを起こすための旧勢力の駒になってしまう」ということを目にしました。色欲の戒律は犯さなかったが、色欲心が強い同修は面倒が絶えず、特に各種の病業に陥りますが、これが旧勢力に指摘される尻尾(しっぽ)を掴まれることになるのです。欲望に対する執着そのものが大法の要求に違反しており、旧勢力を認めたことになり、これでどうやって旧勢力を否定するのでしょうか?

 2. 欲望を我が物としようとする

 師父は「実は、自分自身にある正しくないすべての要素も含めて、すべて大法と大法弟子の正念と一致していないものはいずれも、旧勢力の関与によってもたらされたことです」[1]と説かれました。

 ある同修は「自分は確かによくない念を持っているが、それが旧勢力に還元される(かんげんされる・すり代えられる ・ 代わる ・ 置き換わる )ことはない」と思っています。この考え方は理にかなっているように見えますが、実際は旧勢力を弁護しており、旧勢力を認めており、認めるということは求めていることですので、旧勢力の迫害を求めていることに等しいのです。

 多くの同修が「大法弟子に法に基づいていないよくない観念、例えばよくない色欲、権勢欲、利欲、嫉妬、顕示などがあり、例えそれが強くなくても、大法の中ではすぐに取り除くべきであり、よくない観念を持っていると、旧勢力は低次元で大法弟子の体内にしみこんできて、よくない観念を強化し、さらには修煉者をつまずかせてコントロールして引きずり下ろし、大きな過ちや大罪を犯させ、その時になると主元神は体を放棄し、体は完全に後天的な観念と邪悪な要素によってコントロールされる」ということを見てきましたが、それでもそれが自分自身であると認めることができるのでしょうか? それらが自分自身であると認めるのですか、それならそれをどうやって取り除くのですか? 旧勢力の迫害を認めながら、徹底的に否定するというのですか?

 3. 権力欲が全体に損害を与える

 権力欲は常人の強烈な欲望の一つで、多くの同修は気づかずにいます。その結果、大きく躓(つまず)いてしまうのです。

 協調人になることに執着することは、権力欲ではないでしょうか? 重要な事柄を行い、自分の動員能力を赫々(かっかく・はなばなしい功名をあげるさま)と顕示することは、権力欲ではないでしょうか? 協調人になれなかったら、心の中のバランスを欠き、執着を放せずにいますが、これは権力欲ではないでしょうか? 協調人もある時は自分が誤っていることを知りますが、それでも改めず、これは自分が決めるのだと考え、心の中でも「もしかしたら、何も損失がないかもしれないから」と言いました。そして、過去を覆い隠しますが、これは権力欲ではないでしょうか? すべて権力欲です。権力の執着に対して、旧勢力の迫害を認めており、なぜなら、自分の小さな執着心を旧勢力が大きくし、迫害を招き、このためにあまりにも大きな損失を作り出しますが、その教訓に対して損失は極めて大きいのです。

 海外では、一般的に同修は協力しながらも服従せず、自分で按配した自らの仕事に執着しますが、これは権力欲ではないでしょうか? また、自分には自分の仕事を按配する権利があると潜在的に思い込み、協調人に逆らうのです。常人の仕事中には常人の上司にこのようなことはしようとしないのですが、同修の協調人には敢然(かんぜん・困難や危険を伴うことは覚悟のうえで、思い切って行うさま)とはね返すのです。もちろん、合理的な提案を行うことは可能ですが、自分の提案が聞き入れられないと反論が止まらず、師父が説かれた「上司から任務を与えられて、何かの仕事に取り組んでいても、われわれはいつでも頭脳明晰で、立派に仕事をなし遂げます」[2]に違反してしまいます。さらには、自分の按配にも符合しなくなり、うまくやれなくなって、仕事の中で他人との間にわだかまりができ、口実を見つけて立ち去り仕事に関わらなくなってしまうので、全体に何らかの損失をもたらすのです。

 4. 利益に執着し それを別の形で隠ぺいする

 同修はみな「修煉中に利益や金に執着すれば大きく躓き、そのことをはっきりわかっていながら故意に犯した者がいくらでもいる」ことを知っており、経済的迫害を否定できず、なぜなら利益に執着することそのものが、旧勢力を認めることになるからです。この心を取り除かずに、どのように迫害に反対するのでしょうか?

 多くの同修が利益心を早くから取り除き、自分は金に執着していないと勘違いしていますが、それは執着を転移させただけなのです。その同修たちは子供や親、親戚の利益に執着し、子供や親、親戚の利益が損失を被らないように保守し、失うことを放下できないのです。さらには、完全に子供のために金を稼ぎ、子供のために生き、このように甘やかされた子供は修煉を始めなかったり、修煉を始めた後に修煉を放棄するのです。また、同修は長期にわたって親戚の利益に執着し、長期にわたって常人のために奉仕する義務を持ち、大法弟子の責任と誓約を忘れてしまったのです。そのため、ある同修は旧勢力にしっぽをつかまれ、迫害されて早くも去ってしまいました。

 5.  一つ一つの欲と執着は すべて旧勢力が迫害するしっぽである

 『漸悟の中で見た長期にわたる病業(十三)』の中で「古い学習者が各種の欲望を長期にわたり取り除かず、旧勢力の病業の迫害のしっぽとなり・・・おいしいものを食べたい、褒められたい(褒め言葉だけを聞きたい、耳に障る話だと妨害だと思う)、常人の中のきれいなものが好きで、物質的な享受をしたい、お金を使うことを楽しむ・・・生活水準が少し下がると、食べる欲望に耐えられなくなる」と語られています。

 ある同修の欲望はブランド品の携帯電話であり、ある同修はウィーチャット(訳注:無料インスタントメッセンジャーアプリ)に執着しており、みなこれによって迫害されたのです。さらに、同修は問題が起きても大法に基づかず、心の中の執着を掘り出さず、常人の技巧や方法に執着し、それが法に即しているかどうかを顧みずに、結果、常人の中に陥ち、常人の渦に対応することに疲れ果て、面倒なことが絶えなくなるのです。そして、人心が浮かびあがり、自分で招き寄せた相手は旧勢力で、続々と残存するのです。

 師父は「学習者として、師父の要求に従って行なっていなければ、これは小さい問題ではないはずです。旧勢力はすべての大法弟子に対してそれらのものを按排しました。もし大法弟子が師父の要求に従って行なっていなければ、きっと旧勢力の按排に従って行なってしまったことになります」[3]と説かれました。

 みなさん、考えてみてください、旧勢力の要求に従って行えば、旧勢力を認めていることになり、それでどうやって否定するのですか? 心の中では執着してやまず、欲望を形成して病みつきになり、執着心が旧勢力の傘になり、旧勢力が自分の心に根差すのです。

 ですから、学法を佛教のお経のようにいい加減のものにしてはならず、それでは副元神を修め、副元神に悟らせているのであり、大法修煉は主元神を修めるのですから、学法は必ず自分を照らさなければならず、執着して放せない欲望を取り除き、積極的に法に同化すれば、旧勢力の迫害の根は自分の心からなくなり、根絶することができるのです。

 注:
 [1]  李洪志師父の経文: 『波紋を呼んだ副元神に関する文章について』
 [2]  李洪志師父の著作: 『轉法輪
 [3]  李洪志師父の著作: 『精進要旨三』「考えをはっきりせよ」

 (完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/19/351218.html)
 
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