自分の土地が奪われても騒がない
文/山東省の大法弟子
【明慧日本2017年9月15日】私は山東省煙台にある農村の大法弟子です。昨年初冬のある日、私は妻と一緒に山に行きました。私たちの田畑に着くと、数年間かかって育ててきた大きくもない我が家の田畑の土が、掘り取られているのを見ました。近隣の主人が掘削機で私たちの良い土を自分の田畑に入れました。そして、私たちの田畑にある5本の桃の木も彼の掘削機のせいで倒れていました。
これだけではなく、この男性は自分の桃の木を植え、言い換えれば、私たちの田畑を丸ごと占領しました。
当時、妻は心が落ち着かず、この近隣の主人にどういう訳なのか話してみようとしましたが、私に説得され行きませんでした。私は平静に「放っておきましょう。修煉者には偶然な事がありません。私たちは大法を修めているのだから、失と得の関係が分かります。失ったものが得るのです。私たちのものであれば失われることはなく、私たちのものでなければ、争っても得られません。これはもしかして以前に、私たちが負債したものであるかも知れません」と話しました。
私は再びこの近隣の男性に遇うとき、心の中で何も考えず、何もなかったように接しました。その後、土地を奪われても騒がず、相変わらず以前と同じように彼に接している私たちを見て、この男性は深く恥じ入りました。
特にこの男性の奥さんは私たちに遇うと、とても情熱的によく喋りました。彼女は「あなた達の話しを聞くのが大好きで、あなた達のような人と一緒にいるのも好きです。あなた達の言った一言一言が道理にかなっていますから」と言いました。
毎回この近隣の奥さんは主人とトラブルがあったときに大声で、「私は今から、法輪功を学びに行ってきます」とご主人によく言います。