私は大法の中の輝く一輪の蓮の花
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2017年10月17日】私は師父のご加護の下で20年ほど修煉しました。心から師父のご恩に感謝しており、大法を得られたことを嬉しく思っています。師父が与えて下さったものは、いつも最高のものばかりで、先の先まで行き届いた按排と、「真・善・忍」の法理で心を浄化してくださる師父に感謝しており、皆と共に天国に帰りたいと思います。

 一、苦難に立ち向かって

 1998年の初め頃、私は修煉してちょうど1年目になり、大法もしっかりと心に入ってきました。しかしながら、夫が法を犯したことで10年の判決を下されたという突然の出来事には、やはり動揺せざるを得ませんでした。そのとき、私はまだ28歳でした。その晩、私は全く眠れず、様々なことを考えました。

 そして、1週間後、『轉法輪』を手にして、法を勉強し始めました。修煉者として、師を信じ、法を信じ、自らの修煉の道を歩むという明白な目標が私にはあります。私は自己中心的な人間で、夫はタバコも吸わなければ、お酒も飲みません。趣味もなければ、毎月の給料も全額私に渡してくれます。私はただ洗濯をして、子供の面倒を見て、両手で数えるくらいごみを何回か捨てるだけで、その他の家事すらやったことがなく、すべて夫任せで、ひどく彼に頼っていました。

 すべてに因果関係が含まれているという法理は理解しています。これからは誰にも頼れず、自分で生活していかなければなりません。その年の終わり頃、私は再び仕事を失ってしまい、3歳の息子を連れてアルバイトをしながら生活をしていくしかありませんでした。

 冬になりましたが、私はかまどの使い方がわからず、毎日火を焚かなければならないので、薪が必要になります。夫の兄が薪割りを手伝ってくれますが、私が無駄使いをし過ぎるといつも文句を言います。彼が割った薪は長くてかまどに入らないため、私は刃こぼれした大きめの包丁で薪をできる限り細く、短く割っていきます。しかし、しばらく割ってもほんの少ししかできませんが、これらの薪を見て、私は挫けませんでした。彼が半分手伝ってくれなければ、自分だけではとても割れなかったと思い自分を励ましました。

 一時期、仕事が見つからなかったので、私は夫の実家を尋ねて行きました。布団が汚れていたので、時間があるから洗ってあげると言うと、洗剤がもうないとお義父さんが言ったので、私は洗剤を買って来て、4人分の布団を洗いました。

 夫が拘禁された後、夫の妹が「離婚した方がいいよ」と言われました。私は彼女の考えていることがよく分かります。現実社会で、人は利益を重んじます。私が10年も夫を待てるはずがないと彼女は考えているのでしょう。彼女から離婚の話を持ち出したということは、彼女なりに私の事を思っての事でしょう。しかし、私はお義母さんとお義父さんの目の前で、「離婚はしません。もし助けて下さるなら、私も息子も少しは楽になると思います。夫が帰ってきたら、私たちは相変わらず一家団欒できますし、息子も実の親の下で育てられます」と冷静に私の考えを伝えました。皆私の話を静かに聞いているだけで誰も何も言いませんでした。

 なぜ、私がこのような決心をしたのでしょうか。それは、私が修煉者だからです。善良で寛大な心を持たなければならないと師父が教えてくださいました。誰であろうと必ず過ちを犯します。大きい過ちもあれば、小さな過ちもあります。慈悲な心を持てばきっと相手を許せるでしょう。私が理解している法理とは、大法弟子は常人の中で修煉して、俗世から抜け出すので、情の中にいないのです。そして、苦難や試練の中で自らの次元を高めていくのです。それなら、私は何も恐れずに目の前の苦難に立ち向かっていきます。お義母さんたちが私を完全に信じていないことは分かっています。けれども、私は「真・善・忍」を修めており、自分の約束を真剣に果たすだけです。

 息子は幼稚園に通わなければならず、私がアルバイトで稼げるお金にも限りがあるので、夫との面会は1年に2回しかできません。毎回、刑務所に行くため、事前準備で何日もかかってしまいます。食べ物と日用品をいつもたくさん持って行き、それに加えて電車代もかかるので、ほぼ2カ月分の給料が一気になくなります。持っていく物が多ければ多いほどこれで最後ではないかと夫は不安になります。彼の考えを見抜いた私は、誠実に答えました。「私たちの師父は、善意を持って人と接し、常に相手の事を考えること、そして、夫婦の間には情だけでなく、恩も存在していると教えてくださいました。私たちが家族だということは決して変わりありません」

 刑務所の中では、家庭内のトラブルや、妻が逃げたこと、両親と喧嘩することなどをよく聞くので、夫は私を失いたくないと彼は思っています。しかし、人生には元気で活力のある「10年」がいくつもあるわけではありません。夫が刑務所にいるこの10年が人生で一番良い年頃なのです。しかし、このような「10年」を無駄にさせたと夫は自分自身を責めていました。面会の日、夫は言いにくそうに「僕が刑務所にいる間、他の誰かと暮らしなさい。僕は何も言わない。ただ、僕が出所した時、君がまた家に戻ってくれれば、それだけで十分だ」と、口ごもって言いました。

 これを聞いた私は顔をしかめて、このように答えました。「あなた、それは私の為ではなく、逆に人道から外れることをしろと言っています。私を汚しているのよ。私は自分を汚したりしません。私は大法を修煉し、俗世から離脱するのに、人間社会のものに執着するはずがありません。私が直面しているすべての事はみな修煉のためなのです。何年もあなたを待ったのに、何も考えていないと思うの? 私は最も苦労する道を選んだけど、私以外の人たちにとっては一番いい選択なの。あなたが刑務所に入れられた時、子供をお義母さんに預け、家を売ってそのお金で幸せな生活を送ることは当然できたわ。けれど、子どもには私がいるし、お義母さんもお義父さんも安心できます。私が守っているこれら全てはあなたの望みであり、ずっと心配してきたことでしょう。そして、楽観的な態度で今の生活を送っていることで、両親の心配も減ります。この苦難を乗り越えれば、私たちは相変わらず3人家族で、苦難を乗り越えた後の生活をより大切にできると思います」と言うと、夫はまるで悪い事をした子供の様に、俯いて何も言いませんでした。

 二、私は大法の中の蓮の花

 道徳が腐敗したこの世の中で、人としての基準もすでになくなりました。私は大法弟子なので、師父の教えを常に心に銘じ、決して流れに身を任せてはなりません。

 面会の度に多くの荷物を持たなければならず、その上、何時間も長距離列車とタクシー(中国ではタクシーが比較的安い)に乗ってようやく刑務所に辿り着きます。あるタクシーの運転手は、タクシーが必要な時、電話してくれれば、少しは楽だろうといって名刺をくれました。時間を節約するため、私は事前に彼に電話し、長距離列車から降りると、すぐに彼のタクシーで刑務所に向かいます。午後、家に戻らなければならないので、時間は結構厳しいのです。

 その運転手はとても優しい人で、毎回荷物を持ってくれたり、直接面会室まで送ってくれたりします。駐車場から面会室まで結構離れていますが、彼は重い荷物を持ったまま何一つ文句も言いません。ある日、私は他の人と違うと言いました。どこが違うのかと聞いたところ、自分の車に乗って刑務所にいく女性は少なくないが、その人たちは皆不倫相手と一緒に刑務所まで行き、自分1人で中に入るそうです。しかし、私はいつも1人で行き来しているので、珍しいと言われました。当時、大法への迫害がまだ酷かった頃なので、私は自分が大法弟子であることを彼には伝えず、ただ自分は信仰をもつ人間で、自分が信じているものが迫害されていると伝えました。それから、昔の人たちが重んじていることや、人は道徳と良知を持たなければならないこと、善悪には必ず報いがあること、善良な人には神様が見守っておられることなどを話しました。

 普段生活の中で夫の友人たちがよく力になってくれます。何かある時はいつも友人たちが人を探したり、誰かに頼んだりして代わりにやってくれ、また、私と息子の現状も把握しています。私が夫に対して二心が無いと見た彼らは尊敬の眼差しで、「あいつを待つお前はすごい、何かあったら何でも言え、何でも手伝ってやるさ。信仰のある人はすごいよ」と感心しました。

 私は生活を維持するため、あちこちでアルバイトをしています。自分を厳しく律し、大法弟子としての品格、気品を現しています。デパートへ清掃をしに行ったり、商品を陳列したり、倉庫を片付けたり、全ての仕事を真剣に行っています。その後、社長は自分の親戚たちの目の前で、「この人はすごいよ、欲張りもせず、奪ったりもしない。私が鍵をかけずに引き出しの中にしまっているお金も1銭も減っていない」と褒めてくれました。

 また、家の洗濯機が古くなってコンセントの繋がりが悪くなった時なども、生活におけるすべての事を自分でこなしています。師父が知恵を授けてくださるので、大半は自分で修理できました。同僚や友人たちは、私が甘やかされていたお嬢様から何でもできて常に楽観的な強い人間に変わったのをみて、皆修煉者の強い意志に感服しています。ある日、同僚が私の電話番号を訪ねました。私は変わっていない、前のままだと答えたところ、彼女は自分の連絡先に登録している私の名前が「金色の太陽」であることを教えてくれました。この言葉を聞き、私は思わず笑い出しましたが、「私の心の中では、あなたはまさに『金色の太陽』だ」と言われたのです。

 私はある会社で10年以上清掃の仕事をしてきました。会社の同僚や上司たちは私が法輪功を修煉していることを知っていますし、私の家庭事情も知っています。そして、皆私を尊敬しています。他にさまざまな宗教や信仰を持つ人も会社には少なくありません。しかし、彼らは真に修煉しているというわけではないので、仕事において名誉や利益で争い、とても見苦しいのです。私は師父が説かれた法理に基づいて自分を厳しく律しているため、他人から見れば格別に違います。

 上司に言い渡された仕事に文句は言いません。苦を恐れず、疲れを恐れず、いつもきれいに素早くこなします。各部門に様々なトラブルが存在し、人々は少しでも不満があると上司に他人の事を言いつけるので、部下の仲を調和するのも結構大変です。しかし、私たちのチームはこのようなことで上司に迷惑をかけたことがありません。本当に衝突がなく、トラブルが起こらないのでしょうか。いいえ、違います。私はこれまで「真・善・忍」の法理で、あらゆるすべての事を解決してきました。

 会社は具体的な仕事の配分について管理が非常に緩く、誰かが仕事をして、そこがきれいになっていればよいのです。そのため、自分たちで勝手に交代したり、プライベートなことをしたりしても、誰にも何も言われないのです。皆常人なので、それぞれ家庭の事情などが多く、そのため、私1人が忙しく清掃しているところを良く見られます。「もう1人は?」と聞かれるので、「家の用事でちょっとね」と何の文句も不満もなくいつも答えていました。上司は全てを見ているので、年末に、彼のオフィスを掃除している時、「君は誠実な人だ。パートナーの人と同じようにしないね。きっと損はしないよ」と言われました。私は上司の言葉を特に気にしていていませんでしたが、後に、事務所の人が来て、私が市の貧困労働者に選ばれ、500元の賞金と、米や油などその他の生活必需品が与えられました(中国では、貧しくて、真剣に働いている人にだけ補助金が与えられ、また人数枠も限られています)。これも師父が励ましてくださっていると悟りました。上司は良く褒めてくれますが、私は、自分は常にプラス思考なので、プラスのエネルギーもあると答えました。

 善良で他人の役に立てるような人になることを教えてくださった師父に感謝しています。師父が見守ってくださっているので、生活の環境と外部からの圧力によってさらに鍛えられ、心も広くなっていきます。無私の心と楽観的な態度で、常に感謝の気持ちで生きていきたいと思います。

 師父に感謝しています!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/8/22/352777.html)
 
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