心に真善忍を抱いて 人生は幸せになる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年10月30日】私はかつて権力を持ち、幸福な家庭を持つホワイトカラーのOLでした。中国共産党の迫害によって会社を解雇され、夫と離婚し、無一文で家を出ました。18年来、不当に連行されて監禁され精神病院に入れられ、無実の重刑を下され、何度も不当に家財を没収され、拘留され、洗脳班に入れられ、路頭に迷い住む場所もないなど、数々の迫害を受けました。

 修煉の道において、一つ一つの関と難を越えて、一步一步今日まで歩んできて、その中で数々の師父の無量の慈悲と見守り、苦心の按排を感じました。傲慢で我儘な中国共産党文化でいっぱいだった私を、そこから抜け出させてくださり、純真で善い人、他人を優先し自分を後にする、無私無我の正法修煉者に変わることが出来ました。

 振り返ってみれば、この修煉の過程で、どんな言葉を使っても師父への尊敬の気持ちと感謝の気持ちを言い尽くすことは出来ません。今回自分の身に発生した幾つかの出来事をかいつまんで、皆さんと交流したいと思います。

 修煉者の「捨」が兄を感動させる

 2009年、私の血圧が270mmHG/170mmHGになり、刑務所から保釈されました。家族全員はとても喜び、実家だけでなく、過去の嫁ぎ先も皆、私が刑務所の拘束から抜け出た事に喜び安堵しました。しかし私の次兄は予想に反して明らかに喜んでいませんでした。どうしてなのか? 私はしばらくの間わけが分かりませんでした。

 刑務所を出る前、姉が面会に来て、私と前夫(私が精神病院に入れられた時、離婚を強要された)の財産はどのように分割するのか? について言及してきました。そこで私は「もういいです。修煉者がもしこれを重く見るなら当初からこのようにするはずは無かったでしょう? 彼もやむ得ないことで、また迫害を受けた1人で、全て江沢民がしでかした迫害のせいで、この責任は江沢民中国共産党が償うべきなのです。前夫については、ただ同情と憐憫に思うだけですから、私は何もいりません」と言いました。すると、姉は私に「家は?」とききました。私は「家も要りません。宿泊出来るところがあればそれでいいです」と答えました。宿泊場所について後で息子に聞くと、姉と兄に相談したそうで、父(かつて某有名大学の指導者であった)が古い家の福祉物件を購買していたから、そこを住む所にしたら良い、刑務所でとても多くの苦労をしたから、住む所は少しでも良い所で我慢をさせてはいけない、ということでした。

 それを聞いて私は自然に嬉しくなり、心の中で、この大学の庭の環境はとても快適で綺麗で、生活の設備はすべてそろっている。なのに次兄はなぜ喜ばないのか? と思いました。すると、息子は、「叔母さんはお母さんのために刑務所を出る時、東奔西走してあちこちで交渉して手続きし、署名して、おじさん(訳注:作者の兄)はお母さんのためにもてなしの宴を開いたけど、叔父さん(訳注:作者の次兄)が鍵の引き渡しや、もてなしの宴にさえも顔を出さずにいるのは、恐らくその家のせいだと思うよ」と教えてくれました。

 私は思いました。そうです。自分は喜んでばかりいて、次兄の事を考えていませんでした。次兄の一家はずっと父のこの家に住んでいました。次兄が携わる電子企業は市場の経済のあおりを最も受けていて、とっくに破産状態で、長い間次兄は生活するのも容易ではありませんでした。私は真・善・忍の大法を修煉していて、師父は修煉者に他人のために考えることを要求されており、無私無我で、相手が先で自分は後の正覚にまで修め遂げるのです。私はその後すぐ次兄を探して言いました。「お兄さん、私は今住む家があります。この家はお兄さんの方が必要としているから持って行ってください!」。次兄の目はすぐに涙ぐみました。

 その後、兄と姉は不思議そうに「どうして? 家は要らなくなったの?」と聞いてきました。そこで、私は兄と姉に言いました。「私は修煉者です。師父は私を自分のことばかり考える人間から、他人のために考える人間に変えてくださったのです」。すると、兄と姉は私のこの話を聞いて称賛せずにいられなくなり「やはり違うな、修煉者は他の人とは違う」と言いました。

 それから、次兄一家は私を感心した目で見るようになり、何かあると、次兄が来て手伝ってくれるようになりました。年越し前、私が師父の神棚を作ろうとしている事を次兄が知り、わざわざ据え付けに来てくれました。また私の所から多くの真相USBメモリを持って行き「法輪大法は素晴らしいから、配るのを手伝うよ。俺は友達が多いし、彼らは皆もらってくれるから。彼らも君に感謝しているよ」と言ってくれました。

 取り立てた人は仲の良い隣人に

 家を次兄にあげてしまったので、住所が必要になりました。やはり姉は心細く感じ、妹の私のために心配して、早い段階で準備をしてくれていたのでした。母が私たちに残してくれた財産を使って、都会周辺に比較的安い家を買っていたのでした。中国共産党による迫害を受けた後、家族は財産や雑具をここに送っていました。

 ある日、息子が私を連れてその家を見に行きました。家のドアを開けてみると、息子から「おっ!」と声が出ました。古い家で長いこと人が住んでいなかったため、強烈なカビの臭いが鼻をつき、ホコリと蜘蛛の巣が辺り一面にあり、水道も電気もまだ通っていませんでした。息子は言いました。「お母さん! こんなところに人が住めると思う?」。そこで、私は言いました。「片付けたら結構いいわよ」

 私は水道と電気が通るように業者に頼んで、掃除をしてこまごまとしたものを片付けました。すると突然、誰かが激しくドアを叩きました。やって来たのは中年男性で、私に目を見開いて容赦なく言いました。「あんたの家の水がうちに流れ込んで来たんだ。新しく改装した家をめちゃくちゃにした損害を賠償するべきだ」。私は腑に落ちなかったので言いました。「いつのことですか?」。すると、その人は「ずっと前のことだ。あんたの家のドアをノックしても誰もいなかったから110番通報して、窓を開けてやっと水を止めたんだ。うちの家は損失を被った。このままずっと賠償しないわけにはいかないだろう?!」

 私は呆然としてしまいました。よく考えて、だんだんと意味がわかってきたので、穏やかに言いました。「私は法輪大法を修煉していますが、聞いたことがありますか?」。彼はわからない様子だったので、男性に真相を伝えると、男性の聞く姿勢は真面目で、また絶えず頷いていました。最後に私は言いました。「江沢民とその政治ごろつき集団が私を刑務所に10年ほど閉じ込め、やっと出て来たばかりです。私は今家もなくなりました。迫害を被ったことで夫とはやむを得ず離婚しました。家は夫にあげました。仕事も迫害によって不当に解雇され、九死に一生を経て、生きて出て来られたのも、私の師父の広大な恩のおかげなのです。今、この家は私の姉と兄が私に買ってくれたもので、いつ買ったのか私もはっきりしませんが、私は刑務所から出たばかりで、十数年も給料をもらっておらず、それに仕事も無くて、あなたの言う賠償も私にとっては困難なことです。ただ私の家の財産が全部ここにあるので、あなたはそれを見て損失を補う事が出来る物があれば運んで行ってください」。私は知っていますが、金庫は最も値打ちがあるもので、1万6,000元で買ったものです。また電子プリンターは6,000元で買ったものでした。私のこの一言を聞いて、男性の怒りも収まったようで、黙って階段を下りて行きました。私は男性の後ろ姿を見て、心の中で思いました。この人は救われました。

 その時以来、法輪功の新しい資料が届けば彼に1部を送るようになりました。男性は全て喜んで受け取り「必ず見ます」と言いました。ある時私が不当に逮捕され戻って来た時、男性は私を見に来ていたようでこう言いました。「お姐さん、帰って来たんですね」。私は言いました。「帰って来ました。気にかけていただいてありがとうございます。私たちは真・善・忍を修煉していて皆良い人で、やることは全て人を救うためのとても善いことです。江沢民のごろつき政治集団が法輪功を迫害することは最初から違法で違憲で、人の心を獲得することは出来ず、それらは私を閉じ込めることは出来ません」。すると男性は言いました。「その通りです! 人間を閉じ込めることは出来ても、神を閉じ込めることは出来ません。姐さん、あなたに言い忘れた事があります。賠償のことですが、もういいということを、恥ずかしくてずっと言えませんでした」。私は言いました。「大目に見てくれるということですか?」。すると、男性ははにかみながら言いました。「姐さん、あなたの行うことは良い事で、私も悪い事は出来ません。そうでしょう?」

 このような暮らしの中で、共産党のいわゆる敏感日に、610弁公室の人員と警官は、まともでない人を私の家の門前と家の裏に派遣して、しゃがみながら私を監視していました。隣の男性が立ちはだかって追い払いながら、声高に「強盗だ、スパイだ」と非難し、どうしても離れないと言うなら110番通報すると言いました。すると、しゃがんでいた人は肩を落として、610弁公室の人員、警官にも上手く言えず、私を監視していた事はうやむやになってしまいました。

 旧勢力の按排した経済的迫害は、師父の慈悲なる加護の下で雲散霧消し、一石二鳥になり、大いに良い事に変わったのでした!

 看守警官に善をもって接する

 2014年初春、私と新しく法を得た2人の学習者は地元の国保大隊警官に不当に連行され、留置場に閉じ込められました。私は血圧が高いため、次の日に病院に送られました。私は薬を飲むことを拒否し、煉功することを要求し、多くの医者の注目を集めました。私は思いました。これは大法を実証し、真相を伝える良い機会ではないか。私は毎日煉功、発正念、法を暗記して、機会があれば真相を伝えました。血圧はとても早く正常に回復しました。医者たちは驚いて、「なんとすごいことだ!」と言いました。私は「私がすごいのではなく、私の師父が偉大で、これは法輪大法の威力なのです!」と言いました。すると、医者たちは積極的に私の真相伝えを聞き、警官や保安員も私の話を聞きたがり、皆仲良くしていました。

 ある日、気温が急降下し、風がきつく吹き荒れていました。建物の外にいる保安員を見ると手足が寒さで縮こまっていました。窓の隙間を開けて、保安員に家に入って温まるように呼びました。すると、保安員は言いました。「おばさん、あなたはとても素晴らしい人です。本当に多くのことをわかっていて、弁も立つし、心根も善良です。どれだけの人があなたを監視しているのか知っていますか?」。私は首を振って「知りません」と言いました。保安員は三つの指を立てました。私が「3人?」ときくと、彼は「30人です! 30人があなた1人を監視しているのです」と言いました。私はとても驚きました! 保安員は言いました。「信じませんか? アパートの通路に10人、屋外に10人、正門に10人、それと当直の警官は数にいれていません」。私は「これは人を死ぬほど痛めつけているのではありませんか」と言うと、保安員は言いました。「私の所はまだいいです。風や雨を遮ることが出来ますから。あの正門にいる人は辛いでしょうね。昼間はまだマシでも、夜になると悲惨です。寒さ、空腹、眠気、でも仕方がないのです。金のためだから」

 私はこの話を聞いて、心がとてもつらくなり、保安員に言いました。「あなたは帰ってください。あなた達の上司が来たら、私が話をしますから」。すると、しばらくして、1人の警官が来ました。私は「あなたも楽ではありませんね。こんなに寒くて、とても大変でしょう。私を見張っている保安員たちに皆帰ってもらってください。2月の風はハサミに切られるようで、寒さが骨に刺さり、彼らにこのような苦を与えることは私の心が耐えられません」と言うと、警官は「私が言えることではありません。私の一存では決めかねます」と言いました。私は「それなら、誰が決めるのですか、私に教えてください。私は法輪功を修煉していて真・善・忍を修めています。他の人を救わなければなりません。自分が魔難を受けたとしても、師父は私たちにどんなところでも他の人に良くするようにと教えられました。今あなたたちの上司は私を監視するために30人もの人を用意して1人のおばあさんを監視しており、彼らは食べられず、眠られず、飢えと寒さが同時に来ています。私は忍び難いので、彼らを家に返してあげてください。あなたも家に帰ってください。妻子を放って構わないなんて、私はこの罪に追随することになるのではありませんか。考えてみてください、私のようなおばあさんが少しも悪い事なんてしていないのに、どうして逃げると思うのですか? 私は逃げることなどしません。安心してください。私の家に私を見に来ると言うなら、彼らを外で風雨の中にいさせることはありません、どんなに苦しいことでしょう?! この世界では、誰でも善い事をしたら善報を得るのです。悪い事をしたらみな悪報に遭うのです。行なっただけ得るのです。今この話を理解できる人はどのくらいいるのでしょう?」と話すと、警官は静かに私の話を聞いて、黙って立ち去りました。家を出てから振り返って頭を下げて、私に微笑みながら言いました。「さようなら!」。そして立ち去りました。

 その日、監視する人達は皆撤退し、私は家の中に入りました。それから、私を監視していた保安員は再度私に会った時、「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と挨拶をかわしました。

 正しい理を話し、子供の婚姻危機を溶く

 2015年の初め、息子が私に、妻と離婚しようとしている、と話しました。嫁も私の所へ来て泣きながら離婚すると話しました。私はとても驚きました。婚姻は神佛が按排したもので、どうして私が修煉しているのに息子の身の上にこの問題が降りかかったのでしょう? 息子の嫁は特別に称賛するほどの嫁ではありませんが、嫁は私が刑務所に入れられている時に息子と恋愛しました。息子の父親はまた別の女性を妻に貰って家庭を作っていますが、息子の嫁はこのような家庭を嫌うどころか反対に息子に愛情をくれたのです。それで私はずっと彼女に感謝していて、嫁に良く接するようにと息子に言ってきたのでした。

 息子が言うには、妻は金遣いが荒く、働いて家を守ることを知らないというのです。私は言いました。「それはあなたが甘やかしたからで、自分が仕事ができ、お金がある事を見せつけて、人の前でひけらかしたからです。もし私にこのような夫がいたら、私もお金を使います。夫のお金を妻に使わせないなら誰に使わせるのですか?」

 私は息子に言いながら、一方では自分の内に向けて探しました。この事は私の身近に発生したことで、必ず自分が修煉しなければならないのです。現代の人たちは婚姻を重く見ておらず、スピード婚、借婚(訳注:結婚相手をレンタルすること)、換婚(訳注:娘をある家の息子に嫁がせ、その家から嫁をもらうこと)、同性と恋愛するなどなどと変異しており、これが人類を破壊し災難をもたらしています。修煉者は一切の正しくない事を正すべきで、私は正しい事を息子に教えて、彼らの行いを改めさせ、品位を守らなければなりませんでした。

 そこで私は彼ら2人を一緒に呼び出して、婚姻は縁によるもので、神によって按排されたものだと教えました。昔は男女の結婚は赤い糸によって結ばれていると言われ、神佛に誓わなければならず、初めに天地に拝礼し、次に先祖に拝礼し、最後に夫婦で互いに拝礼するのです。とても厳粛で大事なのです。あなた達はお互いの縁を大切にするべきで、互いを包容し、善をもって互いに接するようにと教えました。「今日私は自分が離婚した事情をあなた達にはっきり話しましょう。あることはあなた達もはっきりとわかっていますが、ある事はあなた達はまだ知りません。私があなたのお父さんと離婚したのは、江沢民のごろつき政治集団が法輪功を迫害したことによって引き起こされたことで、無理矢理に別れさせられ、そのまま引き裂かれたのです。そのとき610弁公室の人員は私に大法の修煉を放棄するように詰め寄りましたが私は拒絶しました! 私は修煉者で、心の中に真・善・忍があって、師父がおられ、何を恐れるのですか? 誰も何も怖くはありません、金剛不動です! 邪悪は私を動かすことは出来ませんでしたが、あなたのお父さんを迫害しました。彼に私と離婚するように迫りました。そうしなければ職務を免責し、不服ならば職務を抹消するなどなど、悪の権力の剣を頭上に向けました。考えてみてください、修煉していない人がこの難を乗り越えることはとても難しいのです。当時あなたが大学に行くことを考慮すると、あなたのお父さんは正常に働かなければなりませんでした。あなたのお父さんが職務を免責されることは私には耐えられなかったので、離婚に同意しました。あなたのお父さんは黙って涙を流し、歩くたびに振り返りました。聞いた話では、彼は数日眠れず、黒い髪も白くなったそうです」

 私は息子夫婦に言いました。「私は17年考えてやっとこの道理が分かりました。やっとわかった事は自分は当時、やはり身勝手でした。もともとあなたのお父さんは私と離婚したことをずっと申し訳なく思っているのだと思っていました。今やっとわかったのは、自分は本当に相手のことを考慮してはいなかったという事です。この事が他の人を傷つけるかどうか、他の人が耐えられるかどうか? までを考えておらず、ただ自分は間違っていないと思っていました。素直に胸の内を述べること、自信を持って言うこと、剛直で人にへつらわないこと! これは江沢民のごろつき政治集団に対しては間違っていません、少しも間違っていません! しかしあなたのお父さんに対しては強さと優しさで助けるべきで、手を取り合って、ともに難関を乗り越えるべきでした。以前、夫婦で互いに意見がぶつかり合った時、いつもあなたのお父さんは先に私に謝りました。私はいつも彼に謝ることをしなかったのです。もし時間を戻すことが出来て、私がこの事をもっとよく処理すれば、修煉の難と関も少しは減ったでしょう」

 嫁はこの話を聞いて、涙目になり、私の手を握って言いました。「お母さん、私はお母さんを尊敬します。私は自分のどこが間違ったのかわかりました。今後どのように行うべきか、わかりました。お母さん、あなたの嫁を信じてください。私は変わるように努力します。ありがとうございます。お母さん!」。そして息子は「お母さん、私も間違ったところがありました。今後どのように妻に接するかわかりました」と言いました。私はこの危機を乗り越えた若い夫婦の手をとって言いました。「夫婦は相手のためを考えれば乗り越えられない関はありません。話が合わないなどということもなくなるはずです」

 現在、嫁はすでに修煉するようになりました。嫁の両親も大法の真相を理解し、心を込めて「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と頻繁に念じています。2人は大法から恩恵を受けて、癌を患っていたのも全て良くなりました。 師父と大法は再度、慈悲と奇跡を現わしてくださったのです!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/11/350741.html)
 
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