【明慧日本2017年11月21日】吉林省長春市農安県の楊樹林郷には「真・善・忍」を信じている一家がいる。夫の王啓波さんは迫害されて他界した。妻の孫士英さん、娘の王洪艶さん、息子の王洪岩さんたちが、9年間不当に拘禁された遼源市の学習者(60代女性)を引き取って世話をしたという理由で、今年3月6日、市610弁公室の警官に身柄を拘束され、家財を押収されたうえ、刑事拘禁された。現在すでに7カ月以上拘禁されている。
王啓波さん |
孫士英さん |
王さんは楊樹林郷農村信用協同組合の元職員である。以前、雨の日や曇りの日になると、肌のアレルギー、胃炎の症状が起きていた。孫さんは小学校の講師で、胃潰瘍、十二指腸潰瘍などの病気を患い、長年治療を受けていたが治らなかった。1997年4月から2人は法輪功を学び始め、「真・善・忍」に従い、自らを律し、よく親孝を行し、いつも他人のことを最優先に考えるようになった。そして真面目に働き、同僚や保護者、村民らから高い評価を得てた。
王さんの2人の子供も親の病気が完治したことを目にして、法輪功を学び始めた。王さん一家の変化は美談として伝えられ、多くの村民は法輪功を学び始めた。
何度も不当に拘禁され、拷問され、労働教養処分をうける
1999年9月16日、郷政府、派出所は王さんを中国共産党学校に連行し、洗脳させた。セメントの地面に座らせ、構内を走らせ、睡眠を禁止し、長時間にわたる手を挙げるなどの体罰を受けさせた。27日夜、王さんは拘置所に移送され、警官に殴打された。その結果、鼻と口から血が出て、服も破れられた。その期間、毎日苦役的な労働をさせた。60日あまり後、いわゆる1400元の食事代を強いられた。王さん夫妻は公職を追放され、収入がなくなった。
拷問イメージ図:殴打 |
2000年2月27日午後、地元村の治安警備主任や派出所の警官は再び王さんを連行した。王さんは手枷を掛けられるのを拒否したため、派出所所長と運転手に殴られた。その後、農安県拘置所に拘禁され、数日後に長春葦子溝労働教養所で1年間迫害された。
その期間、労働教養所の関係者は囚人を指図して、王さんの臀部を強くたたき、冷たい水の中から石を拾わせ、王さんは全身ぶるぶる震えていた。その後、市奮進労働教養所に移送され、長期にわたって拘禁された結果、全身疥癬(かいせん)になり、痒くて耐えられなかった。
2001年7月6日夜11時、12時ごろ、郷派出所の7、8人は王さんの自宅を訪ね、王さんを連行しようとした。王さんはドアを開けなかったため、翌日朝、警官らは窓の鉄筋をこじ開け、不当に侵入した。王さん夫妻は連行に抵抗したため、髪の毛を引っ張られ、王さんの2番目の姉(学習者ではない)も同時に連行された。その他、法輪功の関連書籍、資料なども押収された。
王さんの姉は殴られ、目や口にはアザができて歩けなくなった。翌日、県拘置所に送られて拘禁された。息子の王洪岩さんは7日間、王さんは20日あまり、孫さんは一カ月あまり拘禁され、一家で合計1万元以上のお金をゆすられ、強要された。
王さんは懲役7年の不当な判決を宣告され、迫害されて死亡
2002年7月13日午前、郷治安警備主任、派出所所長、県公安局・局長をはじめ、4、5人の警官が王さんの自宅に侵入し、何も証明書を提示しないまま、王さんを県公安局に連行した。王さんはパトカーの中で殴られて鼻や口から血が出て、脇の下も電撃された。
拷問の実演:スタンガンで電撃する |
2002年12月28日、県裁判所の裁判長、代理裁判官、書記などは王さんに不当な裁判を行った。一方、家族には全く知らされなかった。2003年1月、家族は各刑務所に王さんの行方を尋ねたところ、王さんは省第二刑務所に拘禁されたことがわかった。しかし、面会は禁じられた。
第二刑務所において王さんは24時間監視され、掌大の小さい腰かけに14時間以上座らされ、板で臀部を叩かれ、強制に転向させるなどの迫害を受けた。
2003年11月、刑務所は1年中面会を禁じた。子供2人と70代の母は何度も刑務所を訪ねたが、罵られるほか、門前払いされた。子供は毎回、泣きながら家に戻った。
2005年5月13日、王さんは他の人に煉功動作を教えたいう理由で2カ月刑務所に閉じ込められた。
家族の努力でようやく7月22日に王さんと面会できた。当時の王さんは瘦せこけてふらふらしていた。ガラス窓を隔てて面会を行い、会話内容はすべて記録された。王さんは判決を不服として、何度も上訴状を書いたが、刑務所の責任者から返事をもらえず、上訴状も差し押さえられた。
王さんは3年間拘禁され、家族が強く要求したにもかかわらず、4回しか会えなかった。
2007年3月28日夜明けの1時ごろ、家族は突然刑務所から電話をもらい、王さんが突然、脳の病気が起き、第二中心病院で救急処置されていることを知らされた。
家族が5時に病院に着いた時には、王さんの瞳孔は大きく広がり、口内や鼻、肌着には血痕があり、舌は固く、顔は青紫色になり、気息えんえん(息が絶え絶えになって、今にも死にそうなさま)としていた。病院側は家族に「危篤状態である」と知らせた。家族はその場にいる警官や囚人に詳細を聞いたところ、王さんは夜遅くまで働き、シャワーを浴びた時に転んで脳出血したと言われた。
警官は家族2人しかそばにいさせず、王さんは9時ごろ他界した。家族は火葬に同意せず、遺体を持ち帰りたいと求めたが、刑務所は家族を騙し、脅迫などの手段を使い、王さんを強制に火葬した。当時、葬儀社の前に「司法」と書いてある車1台とパトカー1台、警官10人以上が待機していた。
孫士英さんが受けた迫害の数々
孫さんはかつて2回拘禁され、2回思想改造施設に連行され、4回拘禁され、1回労働教養処分に処せられたことがある。孫さんは思想改造施設で法輪功を誹謗中傷する新聞を読ませられ、セメントの地面に座らされ、構内を走らされ、睡眠を禁止され、長時間に手を挙げさせるなどの辛い迫害を受けた。
2003年3月、地元派出所は道具を使い、孫さんの自宅をこじ開け、孫さんの身柄を拘束した。公安局の警官はゴム棒で孫さんの臀部や両足を叩いた結果、全身アザだらけになった。また後ろに手枷を掛けられた両手を前に無理やりに倒した。髪の毛を引っ張り、スリッパで殴ったりした。
同年11月、地元派出所は再び孫さんの身柄を拘束し、長春黒嘴子女子労働教養所で1年間拘禁した。その後、5日間延長された。孫さんは毎日14、15時間働かせられ、睡眠も禁止された。ある日皮靴で殴られた後、電気棒のバッテリーが切れるまで電撃された。連続でこのような拷問を受けた数日後、孫さんの両足は痺れて痛み硬くなり、階段を上りにくくなった。その後、孫さんはますます痩せ細り、具合が悪いにもかかわらず、強制的に働かせられた。
家に帰された後でも、いわゆる「敏感日」になると、郷の共産党委員会や派出所、職場の上司に嫌がらせをされ、監視され、家財を押収された。そのため、孫さんは放浪生活を余儀なくされた。
再び罪に陥れられる
孫さんの子供2人は親と共に18年間において困難を乗り越えてきた。社会の不公平さへの不満と迫害を受けた恨み事もなく、とても立派な大人に成長してきた。息子の王洪岩さんは優秀なソフトエンジニアになり、職場のあるプロジェクトの担当で、周りに高く評価されている。
息子の王洪岩さん |
娘の王洪艶さん |
王洪艶さんはあるスーパーマーケットのレジを担当し、上司に信頼されている。年末の時、上司からボーナスとご褒美を渡され「すべての金銭管理を王さんに任せ、いつも安心している」と言われた。
今年2月27日は法輪功学習者・呂永珍さんが9年の拘禁生活が満了した日である。呂さんは懲役9年の不当な判決を宣告され、省女子刑務所で残酷な迫害を受けた。孫さん一家はプレッシャーの中で呂さんを迎えに行った。
3月6日夜10時、市寛城公安局支局、蘭家派出所、市610弁公室、国保、農安県国保の関係者らは何も証明を提示しないまま、孫さんの自宅に侵入し、孫さん母子を床に押し付け、手枷をかけた。同時に、呂さん(現在、家に帰された)、王洪岩さんの叔母(迫害で精神異常になる)も連行された。区公安局は一時出所できると家族に知らせ、2千元の強請を強要した。
現在、王洪岩さんは市第一留置場に拘禁され、洪艶さんと母の孫士英さんは市第四留置場に拘禁されている。案件は検察庁により区公安局に却下されたが、再び検察庁に送られた。
家族および友人らは3人が無罪で解放されるように、法曹機関の関係者の公正を求めて駆け回っている。