文╱中国の大法弟子
【明慧日本2017年11月21日】2014年の冬、私は定期市で法輪功の小冊子を配っていました。向こうから後ろに子供を乗せた自転車が走って来ました。私は「小冊子をプレゼントします。持ち帰って読んでください」と言いました。あの数日間は路面が凍りついて、とても滑りやすく、私はそう言いましたが、しかし、小冊子を自転車のかごに入れる暇もなく、自転車は通り過ぎてしまいました。
私は引き続いて真相小冊子を配りました。その時、先程自転車に乗っていた女性が私に「先ほど何かを渡してくれたよね。まだもらっていないよ」と言いました。私は一瞬嬉しくなって、「さしあげますよ。どうぞ、どうぞ」と言いながら、彼女の近くに行って「家に帰ったら、よく読んでくださいね」と小冊子を渡しました。彼女は「ありがとう」とお礼を言いました。
ところが、彼女に小冊子を渡した途端、私は滑って転びました。この時、自分の左腕が骨も見えるぐらい肉が裂けました。自分の歓喜心が魔に乗じられたとすぐ分かりました。「私に執着心があっても、あなた達が私を妨害し、迫害する資格はない」と思いました。
すべての小冊子を配り終わってから、家に帰ると、ちょうど同修が家に来たため、私達は一緒に正念を発して、私を妨害し迫害する要素を一掃しました。私は「7日以内に必ず治るように」との一念を発しました。翌日、第五式の功法を煉功した時、左の手首の骨が動いていると感じました。慈悲で偉大な師父が私のために治療してくださっていると分かりました。私は心の中で師父に感謝しました。
昼間、小冊子の製本をしなければなりません。作業した時、左手が痛くて、小冊子を持ち上げることすら出来ませんでした。「あなた達は私に大法のことをさせたくないのだろうが、それは絶対だめだ。痛ければ痛いほど私は仕事を続ける。あなた達と真逆にする」と思いました。
家族に手首を骨折したことが気づかれないように、私は家の事をいつも通りにやりました。その間、蒸しパンを2回も作りました。しかし、やはり義理の妹(大法修煉者)に見破られました。私は「良いことも悪いこともすべて良いことです。絶対大丈夫ですよ」と言いました。
7日目、私の手首は本当に正常に回復しました。師父からのご加護をいただいて、私は乗り越えました。
素手で手錠を外した
2001年1月1日、私は同修と一緒に転々と北京の天安門広場にやって来ました。私達は法を実証するため、大法の真相を伝えるため、世間の人々に「法輪大法は素晴らしい」、「法輪大法は無実だ」ということを伝えるためにやって来ました。当時、天安門広場に来て法を実証する人はとても多く、警官は車一台また一台に大法弟子を押し込み、連行しました。私も私服警官に広場の端っこに連行され、「名前は何だ」と聞かれました。自分の名前を言わないため、彼らは布にW28番と書いて、その番号を私の服につけました。私は他の同修と一緒にバスでまったく知らない場所に送られ、そこで3日間拘禁されました。
どうしても名前を言わないため、私はさらに昌平(北京市の市轄区)のある場所に移送され、拘禁されました。夜にその場所に(具体的な場所は不明)に到着した時、そこにはすでに多くの番号をつけられた学習者(全員天安門広場から連行された)が拘禁されていることが分かりました。
不法に拘禁された同修は、スパイに盗聴されるのを防ぐため、お互いに黙って話をしないものの、心の中では互いに励まし合っていました。翌日、警官がある同修を労働教養所に送ろうとしたため、私達はそれを阻止しようとしました。その時、大勢の警官が押し入って来て、私達を殴り、また一部の同修が外に引っ張り出され、暴行を加えられ、手錠と足かせをかけられました。中には手錠と足かせをつなげられた人もいました。それはとても痛いことだと知っていました。
夜になって、一部の同修の手は嵌められた手錠によって血が出ました。同修の痛みを和らげるため、私は紙を手錠の中に敷きました。そして、1人の同修に「手錠を外せるかどうかやってみよう」と言いました。私がそう想うと、本当に手錠が外れました。彼女は「ありがとう」と言ってくれました。「私に感謝しないで、師父がやってくださったよ。くれぐれも歓喜心を持たないようにしよう。何も考えないようにしよう」と言いました。
こうして、私はほぼすべての同修の手錠を素手で外しました。