幼い頃に法を得 純粋な心と智慧を有する
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文/中国の大法弟子 吉祥

 【明慧日本2017年12月26日】私は幼いころ幸運にも法を得、両親に従って集団煉功学法に参加しました。大法の素晴らしさを感じ取った両親は、大法の真・善・忍の要求通りに私を教育しました。すべてのことにおいて、人のために考え、至るところ、善を持って人に接するように要求されたため、心に真・善・忍の種が埋もれました。

 私が成長するに伴い、大法は私の心の中に根を下ろし、私も自ら大法が自分にもたらした幸せと素晴らしさを体験しました。

 大人の話によると、集団学法の時、当時6歳だった私は、まだ学校に通っていなかったにもかかわらず、なんと一文字も間違わず『轉法輪』の段落を読み通すことができ、大人の学法グループに通い、彼らと一緒に学法したと言います。みな非常に不思議に感じたそうです。

 当時、私はまだ年齡が達していないため、法の内容は理解できていなかったのですが、知らないうちにすでに大法の中で恩恵を受けていました。法の中で、智慧を開き、同年齢の子供よりはるかに成績がよかったのです。例えば、小学校で、文字を読む能力検査の時、私が知っている文字数は同じクラス、さらに高学年の児童を遥かに超えていました。これには先生も非常に驚いていました。また、両親は私を電子ピアノ教室に通わせていましたが、他の小学生が1、2日間費やして学ぶ曲を、私は1、2時間でとても上手に弾けるようになりました。電子ピアノを教える先生は私に才能があると感じ、喜んで私に教えてくれました。

 幼いころから大人になるまで、両親はただ私に心性を守ることを要求するだけで、学校の成績などに対して厳しく要求したことがなく、塾に通わせたこともありません。しかし学校での私の成績はずっとトップでした。幼いころ、私はその理由を知りませんでした。ただ、これらは自然なことであると感じていました。大きくなってから、やっと少しずつ、これは大法が私にもたらした幸運であると分かってきました。修煉を通して、積極的で、明るい心と賢い頭脳を持つようになり、健康な身体を有するようになりました。修煉してから、私は病気にかかったことが一度もなく、学校で要求する予防接種以外、注射したことがなく、薬を飲んだこともありません。これは一般人からみると多分想像できないことであると思いますが、法輪功修煉者としては自然なことであり、必然的な結果です。なぜなら、私だけでなく、修煉する家族と他の修煉者もみな同じ状況だからです。

 成長するにつれ、私は少しずつ大法の中で説かれた法の意味と内涵が理解できるようになり、また真・善・忍の基準にしたがって自分を要求し、修煉しない人との間の思惟方式に非常に大きな差が出来ました。1人の常人は往々にして、まず自分の利益がいかにして損失を蒙らないようにするか、他人が如何に自分を傷つけたかを思い、至るところ他人が間違っていると思います。しかし1人の大法修煉者としては、常に煉功者の基準で自分を量り、トラブルに遭遇すると内に向けて探し、自分のどこに間違いがあるかを探します。そうすると多くのトラブルが楽に解決されます。人と人の間にトラブルが生じた時、もし修煉者が常人と同様に対処し、利益において争ったり、執着したりすると、このトラブルはさらに激しくなり、人間関係もますます複雑になります。みな極端になり、怒りやすく、ひいては食事もろくに取れず、睡眠もろくに取れなくなれば、身体と精神が非常に大きなダメージを受けることでしょう。

 実際、人と人の間のトラブルは、人が自分の利益を放下できず、相手のために考えようとしないから生じるに他なりません。しかし、大法の修煉者は世間の得失に執着せず、人と同様に争わず、自分を反省します。そうすると、すでに常人の境地を超えており、心身ともに安らぎを得られ、危機も自ずと解決されます。

 師父は「煉功者はどこでも、良い人でなければならないからです」[1]と説かれました。ですから、私は勉強を自発的にやり、積極的に学生としてやるべきことをしっかり行いました。法の中で得られた智慧は、知識を非常に理解しやすくしてくれました。しかも私は大法の中でよい心理状態と純粋な思惟を得ましたので、普段他人と争うこともなく、頭の中に雑念がありません。学習する時、私は非常に素晴らしい集中力と記憶力を保持することができました。ですから、常に苦労するこなく学習の効率が高まり、最後の結果は自ずと非常に理想的です。大学院生の学力の段階で、私は学部でトップの成績で卒業し、学校で三好(思想道徳、学習、健康の三つが優秀)大学院生と評定されました。

 今までの生い立ちを振り返ると、自分の身辺で非常に多くの常人が生老病死に見舞われ、病業の中で苦しんでいるのを目にしてきました。この世で生きていながら、法を得ていなければ、最後に過ぎ去った一生を振り返ってみると、一生の間、絶えず闘争し、常に利益を追求することばかりを考え、情の中から抜け出せず、心身ともに疲れ果ててしまい、過去は幻のように過ぎ去り、何も残らないのです。一生を無駄にしてしまい、生命の真の意義を見つけられません。修煉こそが境地と次元を昇華させてくれ、向上させてくれ、生命の永遠なる解脱と幸せを獲得する唯一の方法なのです。

 佛法は迷信ではなく、真の科学です。李洪志師父の説かれた説法は本当の真理です。人身は得難いものです。もし世間の名、利、情に迷わされ、万古の機縁を失ったら、後悔してもしきれません。さらに、多くの人々が中国共産党の邪悪な嘘に騙されず、皆が大法を修煉して、大法が生命にもたらした不思議さと素晴らしさを、大いに体験できることを強く望んでいます! 

 注:
 [1] 李洪志師父の著作: 『轉法輪法解』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/12/15/352100.html)
 
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