文╱中国の大法弟子
【明慧日本2018年3月23日】私の母は86歳になりました。父が亡くなってから、母はずっと一人暮らしをしていて、今、ある程度の介護が必要となりました。兄は体があまり良くなく、弟もまだ現役で、すでに定年退職した私は、できるだけ母の世話をするようにしていました。相続問題に関しては、私はずっと放棄する考えを持っており、「自分が皆のことを優先に考えている」というやり方で、家族に大法の素晴らしさを実証したいと思っていました。しかし、その後、彼らはそもそも私に相続させようとする気持ちがなく、そして、母の介護の問題に関しても、ずっと口実をつけて逃げていることに気付きました。
私はそれを知り茫然としました。「法を実証しようという基点に立っているのに、なぜこのような結果になったのか? 問題はいったいどこにあるのか?」と私は考えました。
数日前、『轉法輪』を暗唱した時「常人社会に流され、汚染されたために、人々が正しいと思うことの多くは本当は間違っているのです。 良い暮らしをしたいと思わない人がいるでしょうか? しかし良い暮らしをしようとすれば、他人の利益を損なうかも知れないし、利己主義を助長するかも知れません。 人の利益を横取りしてしまうかも知れず、人をいじめ、人を傷つけるかも知れません」 [1] の一節が目に付きました。この法を暗唱した後、相続問題について、私には法に則った新たな理解がありました。
一、「今、人々の自らの利益についての考え方、やり方は旧勢力の按排の下で、そして変異した観念の下で、道からますます離れてしまいました。もし、私達の行動が適切でなければ、常人の利己的な心理、そして、人々の道徳の墜落の勢いを助長してしまうのではないか?」と考えました。私達大法弟子は「世の堕落を窒(ふさ)ぎ截(き)る」[2] という責任を持っているのではないでしょうか。
二、もし彼らがもらうべきではないものをもらうと、それは彼らが徳を持って交換してしまうのではないでしょうか? 今生、私達が家族となったのは、私が大法弟子になることを知っていて、私を通して大法の真相を知り、それによって彼らが代表する衆生は師父の慈悲なる済度が得られるのです。それは彼らが私と縁を結ぶ本当の目的なのです! 徳というものは、彼らが救われるかどうかにおいては極めて重要な意味を持っているのです!
三、自らの経験を通して私は「もし、私達が法に則って家族との関係を上手く対処できなければ、旧勢力は彼らを操って、大法弟子に対して、精神的に、経済的に、肉体的に迫害し、それを口実にこれらの衆生を破滅させるのだ」と思いました。
これらのことを思うと気持ちがとても重くなりました。兄と弟は私の修煉、そして法を正す師に手伝い、衆生を救い済度する過程においては、非常に良い役割を果たしてくれました。今、彼らの振る舞いは、私に今まで気付いていない執着心、あるいは法に対する誤解を気づかせてくれているのではないか? 彼らとの関係を正しくして、彼らに大法弟子と大法に対する正しい態度を保たせるよう、彼らに対する妨害を排除するようにと気付かせてくれているのではないかと思いました。
現段階での個人的な認識です。皆さんと交流したいと思って書きました。法に合致していない所があれば、同修達の慈悲なるご叱正をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「普く照らす」